うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

10年続けたTwitterから距離を取った結果

wasasula.hatenablog.com

 この日記をしたためた直後から、以下の施策を実施した。

 

  • TweetDeckをブクマから削除(=恒常的にTwitterを見ないようにした)
  • iPhoneのTwitterクライアントからメインアカウントを削除(=出先からTwitterを見ないようにした)
  • たまに公式の自分のアカウントページで通知やDMだけ確認

 

 要は「ダラっとTwitterを見ない環境にした」というだけ。それから1か月くらい経って、Twitterからちょっと距離を置いた暮らしたどうだったか、ごく淡々と記していく。

 結論から言うと、今のTwitterは張り付くべきじゃない。

 

自己紹介

 自己俯瞰のためにも今さらながら自分のTwitter情報を記す。

  • Twitter10年目
  • 普通のユーザーから末端ネタクラスタみたいなのを経て、胡乱なオタクのクラスタに近い位置に住んでいる(自己認識)
  • クライアントはPCはTween/夜フクロウ→TweetDeck、iOSはSOICHA→feather
  • Twitterは半チャット用途と、あかるさまなFav狙いのネタツイート投函、およびアニメ実況に利用。あと、各種サービスのリンク連携にも使っている。

 

どうでもいい情報を見るのをやめた

 まず「とりあえずDeckを開く」という悪習慣を排除したのは大きかった。家に帰ってとりあえずDeck越しにTwitterを眺めてボーっとする……というのが薄々「時間のムダ」と気づいてはいたので、いい機会だったことはたしかだ。

 実際に「どうでもいい情報まで取り込む」のをやめたことで、単純に余裕が生まれた。時間的な余裕や、心理的余裕、あるいは脳のリソースの余裕。なんとなく、上の日記で書いたような鬱屈とした感情を抱く機会は減った。

 「なんでそんなこと続けてたんだ」とツッコまれそうなので言及しておくと、僕がTwitterを始めたころに流れていた「どうでもいい情報」は、おおむね楽しいもの、たまに役立つもので、無作為に摂取することが好きなやつだったからだ。しかしいまは、誰かの怒りや悲しみがほとんど、まれに楽しいものや役立つもの、という状況だ。

 昔からの習慣であっても、見直しが必要だった。それだけの話。

 

noteやってました

 ところでこの期間なにをしてたのかというと、ひたすらnoteを書いてた。

note.com

 とりあえず30日間は連続で更新し、その間にちょいヒットとかもしている。ただ、どちらかといえば当初の開設意図である「気兼ねなく何か書く」を実践したいがためだった。

 めちゃくちゃどうでもいい日記とか、思い出話とか、ゲームの感想とか、愚痴とか、そういうやつをわき目も振らず書き続ける、ということをひさしぶりにやった。楽しい。感情はいろいろでも、書くことはなんだかんだ好きなんだと思った。とはいえどんよりとした気持ちの排出は、書くと後に残るので可能ならば酒とともに声に出して発散させるのがよい気もした。

 あと、小説も投げ始めた。ずっと書き溜めたまま「どこに公開する……?」と首をかしげてしまい塩漬けになっていたものを、ひとまず放出した。

note.com

 投げたあとのリアクションを見ていて、やっぱ練習が少ない小説はいまだにへたくそで、センスも欠けているように感じた。長いこと自覚はあったが、可視化された反応を見て確信したし、そこに少し悔しさを感じていた。悔しいと思うということは、自分の中で伸びたいと思っている証拠だと思うので、きっと2020年に取り組むべき課題、ということだろう。

 

もうまわりの反応を気にしていられない

 で、noteであれこれやり続けているのを見ているツイのフォロワーなんかは、「noteに逃げたか」「どんどんつまんなくなるな」「お金欲しい?」みたいな白い目を向けているのかなとも勝手に思っている。勝手に。僕は他人に大きく信頼を寄せられないので、だいたいそう思っている。

 以前はその目が勝手に気になっていて、なんとなくメンツみたいなのを保ちたかったので、半端な小説を流したり、思いっきりプライベートな日記を流したりしていなかった。あと、思いっきりの私見を流して「アホか?」って言われたくないのもあった。そう、プライドだけは高い。そういう性分。

 でも、Twitterをあえて眺めないことで、「やった後のリアクション」が少しだけ気にならなくなった。「ウケないかな……」とソワソワするよりかは、「ウケねーだろうし次いくか」と、比較的前向きに捉えられるようになってきた。特に小説。どうせヘタなら数撃ってクンフー積まなきゃいけないんだなって。他のジャンルでは体でわかっていることだったのに、なぜか小説だけその感覚を落とし込めないでいる。

 まだ、それでもリアクションがちょっとだけ気になる時がある。ただ、なぜかフォロワーが2000人もいるアカウントを持ってしまっているけど、どうせ僕のことなんか見ていないし、特別気にかけてもないだろう。そう思うことにした。

 ただ、本当にいけないことをやってしまう可能性もあるので、その際のリアクションは受け止めないと、インターネット・モンスターになってしまうので気を付けたい。

 

Twitterのトレンドはクソ

 そしてたまに公式のトップページを見るようにしたTwitterは、長いこと抱いていた違和感の元凶を発見した。トレンド機能だ。

 Deckを使っている時は気にしていなかったのだけども、いまのTwitterは常にトレンドが見えるようになっている。全世界、あるいは自分の周囲の「HOTな話題」を、問答無用で見せられる。

 これがクソだった。いまのTwitterトレンドは「炎上ランキング」に他ならない。

 ちょうどいまはほぼ常時、新型コロナに関する話題が並んでいる。それは官公庁の発表ではなく、各ニュースサイトやワイドナショーのいい加減な速報、そしてその速報の見出しだけ見て怒ったり泣いたりしている声ばかりだ。

 そして、トレンドはこうした「みんなが言ったこと」を並べる画面を見せる。そして、それを見せられた誰かもまた、その話題を口にする。なぜ毎日、みんなが異口同音に同じ話題に言及しているのかやっとわかった。ほとんどのTwitterユーザーはトレンドを"見させられている"からだった。

 ワンチャンChromeの拡張機能で消せそうな気もするが、いまの大半のTwitterユーザーはインターネットがわからないはずだし、そんな知恵は絶対に働かない。デフォルトでトレンドが表示される限り、トレンドを見て怒る人は絶対に消えないし、無限循環的に油を注ぐ構造も消えない。

 Twitterはもう、UIの時点で「楽しくない」SNSになっていた。サードパーティーの閉め出しがほんとうに致命的であることを、僕はようやく理解したのだ。

 

ゆるやかに距離を取って

 Twitterは好きだ。でも、いまのTwitterはやっぱダメだと思う。そして、Twitterはいまの道を進み続けるだろうから、もう僕がワイキャイはしゃいでいたTwitterは二度と帰ってこないだろう。もはやTwitterは社会の生き写しだ。

 希望があるとすれば、Twitterの分散化対応が計画されている……らしい、ということぐらいだろう。

note.com

 分散SNSとしてTwitterが生まれ変われば、僕の好きなTwitterがどこかで再建される可能性もある。あえてインターネットですら「社会」をやりたい人を閉め出そう。日がな一日アニメの話をしよう。気軽に「ぶっ殺すぞ」と言い合える関係を取り戻そう。そういう空気は、可能ならばもう一度吸いたい。

 ただ、これが実現するまではいくらかの時間がかかるだろうし、それまでは、Twitterとはいまの距離を維持しておこうと思う。

 

 というわけで、しばらくはnoteを拠点しようと思います。よかったらフォローしてね。(すでにフォローしてくれている人はありがとう!)