うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

こんなSNSに10年もいる

 あとちょうど1週間でTwitterを開設してから10年になるらしい。高校3年の卒業間近のときに始めてから、死ぬほど楽しかった学生時代と、悲喜こもごもになった社会人序盤をずっと駆け抜けた、まぎれもない僕のインターネット資産になってしまった。これもどうなんだという感じではあるけど、感慨深さもそこそこにある。

 ただ、10年経とうとするこのごろ、そろそろTwitterからも距離を置くべきかなぁと思い始めている。Twitterを潰すのではなく。軸足とするプラットフォームを変えたり増やしたりする、というようなことを考えている。

 理由はいくつかあって、

 

①うんざりする人が増えた

 宇崎ちゃんの一件からここしばらくは毎日のようにツイフェミが吹き上がっていたり、それに怒る人が吹き上がってたりする。別方面からはやれアベだーやれサクラがーなどと騒いでる。それを見るたびにうんざりしている自分が最近いる。

 正直、フェミニストの名を騙る蛮族にはうんざりさせられているし、ノータイムな反アベコールは騒音公害みたいなものだ。ただ、その思想というより、例えば自分より人生を重ねて、弁護士という立派な地位にいるような人が、「オタクアニメキモッ、サイテー」という、あまりに幼稚な言葉を発することに絶望感を覚える方が大きい。年齢も地位も、その人の賢明さを担保することにつながらない。先達がまるで役に立たないという事実は、ある種の奮起にもつながるんだけど、正直がっかり感の方が強いのだ。

 ……というようなことを最近考えがちになる。なんというか、それがものすごく、思考のリソースとしてもったいない。ブロックしたところで背後からRTで輸送されてくるし、ミュートしても引用されてきたりするから、自衛も最近手を焼く。

 

②たのしくインターネットできていない

 ここ最近は「殺す」と書くだけでアカウントがロックされることがTwitterでは増えてきた。なのでツイートはよく校正するようになった。それはある意味では良識ある大人の振る舞いではあるんだけど、僕はまともな大人になるためにインターネットをやりたいわけじゃない。

 衝動で言葉を弾き出すインターネットは心地よい。下品なコンテンツが並ぶタイムラインはドキドキする。間違いなくこれは懐古主義だけど、10年前のTwitterはギラついた承認欲求が毎日レーザービームのように飛び交っていて、素敵な光景だったように感じる。

 半分は自分の問題なんだけど、なんというか、Twitterそのものはほんの少しだけ息苦しくなってきた。そして少なくとも、Twitterは日々「お行儀のよい」方角へと進んでいる。

 

③発信したいことばが出にくくなってきた

 これはもう自分の問題だ。まず、直近一年は仕事が地味に忙しくて、そして楽しくなってきたせいで、逆にインターネットに流したい言葉が減ってきた。あまり現実でルサンチマンやリビドーが湧き上がることがなくなって、それを「発散」するためのインターネットのことばが少なくなってしまっている。はっきり言って、リアルにかまけすぎて自分が日々つまらない人間になっている。

 そして、10年もインターネットにいると、強いて話したいことも減ってくる。ネタがなくなってきた。SNSの歴史の中で言えば「中堅の老人」くらいになってきた。口数も減って、ただ川の流れを眺めるだけの存在になりつつある。それが正しい姿勢な気もするけど、物寂しさは否定できない。

 

 

 と、3つくらい理由がある。書いていて自分でも「しょうもな」とまだ認識できるだけまともなのかもしれないけど、笑い飛ばせる気力がないのは、そろそろ「冬だから」だけで片付けにくいとは感じる。

 無論、Twitterアカウントを消すことはない。10年育てた資産だ。間違いなく執着だけど、これは抱えてもいい執着だと思う。その一方で、しばらくはよその地域に旅をしたい。なんというか、「ヒマなときにTwitter」を見る、みたいな状況をいったんやめてみて、どうなるか自己観察をしていきたい。

 とりあえず、最初の一手として、インフラの勉強も兼ねてマストドンのおひとりさまインスタンスを立てる修行を始めた。AWSにちょいーっとインスコするだけ、に見せかけてそこそこハードルが高そうなので、腰を据えて遊んでいきたい。

 

 春になるころには「しょうもな」と言えるようになってればいいなとは思ったりする。しめっぽい日記を書きがちな冬なのは、たぶん例年通りだ。