うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

パクツイクラスタという社会不安因子

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 陰謀論までささやかれた「コロナこわいけどぉ、安倍の声聞いたら元気出た」ツイートの真相は、いわゆるパクツイクラスタの遊びが外に広まった結果であった、というオチ。正直しょうもなさすぎて頭を抱えた。

 が、大昔からパクツイ文化圏を眺めていた身としては「とうとうこうなったか」という感慨深さの方が大きい。視界に入る不愉快な遊びから、社会全体を脅かす火遊びへと、その性質は変化しているように感じる次第だ。

 

 パクツイそのものの歴史はだいぶ古い。今はなき「ShootingStar」というTwitterクライアントのパクツイ機能に始まり、イラストの無断転載騒動やら、「Copy writing」や「サザエbot」のような悪質度の高いパクツイアカウントの騒動など、定期的にインターネットにざわめきをもたらしている。ちなみに現在進行系である。

 彼らの言い分は一様に「悪いとは思っていない」「そういう文化だし」で染まっていた。これは、露悪的な開き直りも多数あっただろうけど、なかには本当に悪いとは思っていないというものもあったはずだ。

 実際、「ツイートをパクる」という行為そのものは、スパム的な気味の悪さが一番大きい。無論、著作権侵害という側面も強いのだけれども、「身内同士でパクり合う遊び」ならば、おそらく互いに著作権放棄をしている可能性は高いので、「気味が悪い」以上の問題はないだろう。

 

 しかし先の一件では、身内の外にキャッチされてしまい、それが全方位へ延焼していった。著名人も巻き添えにした、文字通りの全方位だ。ここまで大規模な火事になったのは、コロナで世間がヒリついた、いわば「火事が起きやすい気候」だったことが、おそらく最たる要因だろう。

 「主犯」となった人のブロを読むと、この騒動そのものには謝罪しつつも、「嘘を嘘と見抜けないやつにインターネットは向いていない」といった、ある種の責任転嫁をするような開き直りも見られる。おそらく後者が本音で、口だけで全く反省していない、と見てよいだろう。

 「嘘を嘘と見抜けないやつに~」とは古くからのインターネットのならわしであるため同意はする。ただ、それはインターネットがギークと社会不適合者たちの遊び場だった時代の言葉であり、もはや一種の社会インフラと化したTwitterでは「露悪的な開き直り」と取られても仕方ない。そんなTwitterは僕もクソくらえだと思ってるけど、このタイミングでこの開き直りは、正直悪手にほかならないと思う。

 

 はっきり言って、パクツイクラスタはもはや、社会不安を煽る因子だろう。

 そのモラルも問題だが、なによりいまのTwitterとの相性が最悪に噛み合っている。トレンドを最優先で全面表示する、あのUIとの相性だ。

 パクツイクラスタはその性質上、「同じ文言」をひたすらに並べていく。そしてアホなTwitterのロジックは、この人工的に並べられた文言を「世間のトレンド」と誤認する。そして、誤認されたトレンドはTwitterのトップページにデカデカと掲載される。そして、(おそらく大多数の)公式ページか公式クライアントを使用するユーザーたちの目に真っ先に飛び込むのが、その誤認されたトレンドだ。

 パクツイクラスタもダメだが、Twitterもダメだ。Twitterの改善には現状全く期待できたい。なのでパクツイクラスタが自粛してくれれば同じ問題は起きないだろうけど、正直彼らの言動を見ていると、その善性には一ミリも期待できない。

 現状の最適解は、彼らを根こそぎシャットアウトするか、Twitterそのものをやめるかだろう。このご時世だし、ブラウザのトップページは自治体のホームページにするのが、最も無難な選択肢だろう。

 

 きわめて個人的でプライベートなお気持ちをあえて発するならば、パクツイ野郎はバカッター大学生と大差ないし、社会的に生かしておくべきじゃあないし、速やかに全員リンチにあって、河川敷に死体となって転がっていてほしい。

 というより、ランサーズ株式会社が本当に告訴すべき相手は彼らなのではないだろうか、とは思っている。ぜひそうなってほしい。そういうお気持ち。

10年続けたTwitterから距離を取った結果

wasasula.hatenablog.com

 この日記をしたためた直後から、以下の施策を実施した。

 

  • TweetDeckをブクマから削除(=恒常的にTwitterを見ないようにした)
  • iPhoneのTwitterクライアントからメインアカウントを削除(=出先からTwitterを見ないようにした)
  • たまに公式の自分のアカウントページで通知やDMだけ確認

 

 要は「ダラっとTwitterを見ない環境にした」というだけ。それから1か月くらい経って、Twitterからちょっと距離を置いた暮らしたどうだったか、ごく淡々と記していく。

 結論から言うと、今のTwitterは張り付くべきじゃない。

 

自己紹介

 自己俯瞰のためにも今さらながら自分のTwitter情報を記す。

  • Twitter10年目
  • 普通のユーザーから末端ネタクラスタみたいなのを経て、胡乱なオタクのクラスタに近い位置に住んでいる(自己認識)
  • クライアントはPCはTween/夜フクロウ→TweetDeck、iOSはSOICHA→feather
  • Twitterは半チャット用途と、あかるさまなFav狙いのネタツイート投函、およびアニメ実況に利用。あと、各種サービスのリンク連携にも使っている。

 

どうでもいい情報を見るのをやめた

 まず「とりあえずDeckを開く」という悪習慣を排除したのは大きかった。家に帰ってとりあえずDeck越しにTwitterを眺めてボーっとする……というのが薄々「時間のムダ」と気づいてはいたので、いい機会だったことはたしかだ。

 実際に「どうでもいい情報まで取り込む」のをやめたことで、単純に余裕が生まれた。時間的な余裕や、心理的余裕、あるいは脳のリソースの余裕。なんとなく、上の日記で書いたような鬱屈とした感情を抱く機会は減った。

 「なんでそんなこと続けてたんだ」とツッコまれそうなので言及しておくと、僕がTwitterを始めたころに流れていた「どうでもいい情報」は、おおむね楽しいもの、たまに役立つもので、無作為に摂取することが好きなやつだったからだ。しかしいまは、誰かの怒りや悲しみがほとんど、まれに楽しいものや役立つもの、という状況だ。

 昔からの習慣であっても、見直しが必要だった。それだけの話。

 

noteやってました

 ところでこの期間なにをしてたのかというと、ひたすらnoteを書いてた。

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 とりあえず30日間は連続で更新し、その間にちょいヒットとかもしている。ただ、どちらかといえば当初の開設意図である「気兼ねなく何か書く」を実践したいがためだった。

 めちゃくちゃどうでもいい日記とか、思い出話とか、ゲームの感想とか、愚痴とか、そういうやつをわき目も振らず書き続ける、ということをひさしぶりにやった。楽しい。感情はいろいろでも、書くことはなんだかんだ好きなんだと思った。とはいえどんよりとした気持ちの排出は、書くと後に残るので可能ならば酒とともに声に出して発散させるのがよい気もした。

 あと、小説も投げ始めた。ずっと書き溜めたまま「どこに公開する……?」と首をかしげてしまい塩漬けになっていたものを、ひとまず放出した。

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 投げたあとのリアクションを見ていて、やっぱ練習が少ない小説はいまだにへたくそで、センスも欠けているように感じた。長いこと自覚はあったが、可視化された反応を見て確信したし、そこに少し悔しさを感じていた。悔しいと思うということは、自分の中で伸びたいと思っている証拠だと思うので、きっと2020年に取り組むべき課題、ということだろう。

 

もうまわりの反応を気にしていられない

 で、noteであれこれやり続けているのを見ているツイのフォロワーなんかは、「noteに逃げたか」「どんどんつまんなくなるな」「お金欲しい?」みたいな白い目を向けているのかなとも勝手に思っている。勝手に。僕は他人に大きく信頼を寄せられないので、だいたいそう思っている。

 以前はその目が勝手に気になっていて、なんとなくメンツみたいなのを保ちたかったので、半端な小説を流したり、思いっきりプライベートな日記を流したりしていなかった。あと、思いっきりの私見を流して「アホか?」って言われたくないのもあった。そう、プライドだけは高い。そういう性分。

 でも、Twitterをあえて眺めないことで、「やった後のリアクション」が少しだけ気にならなくなった。「ウケないかな……」とソワソワするよりかは、「ウケねーだろうし次いくか」と、比較的前向きに捉えられるようになってきた。特に小説。どうせヘタなら数撃ってクンフー積まなきゃいけないんだなって。他のジャンルでは体でわかっていることだったのに、なぜか小説だけその感覚を落とし込めないでいる。

 まだ、それでもリアクションがちょっとだけ気になる時がある。ただ、なぜかフォロワーが2000人もいるアカウントを持ってしまっているけど、どうせ僕のことなんか見ていないし、特別気にかけてもないだろう。そう思うことにした。

 ただ、本当にいけないことをやってしまう可能性もあるので、その際のリアクションは受け止めないと、インターネット・モンスターになってしまうので気を付けたい。

 

Twitterのトレンドはクソ

 そしてたまに公式のトップページを見るようにしたTwitterは、長いこと抱いていた違和感の元凶を発見した。トレンド機能だ。

 Deckを使っている時は気にしていなかったのだけども、いまのTwitterは常にトレンドが見えるようになっている。全世界、あるいは自分の周囲の「HOTな話題」を、問答無用で見せられる。

 これがクソだった。いまのTwitterトレンドは「炎上ランキング」に他ならない。

 ちょうどいまはほぼ常時、新型コロナに関する話題が並んでいる。それは官公庁の発表ではなく、各ニュースサイトやワイドナショーのいい加減な速報、そしてその速報の見出しだけ見て怒ったり泣いたりしている声ばかりだ。

 そして、トレンドはこうした「みんなが言ったこと」を並べる画面を見せる。そして、それを見せられた誰かもまた、その話題を口にする。なぜ毎日、みんなが異口同音に同じ話題に言及しているのかやっとわかった。ほとんどのTwitterユーザーはトレンドを"見させられている"からだった。

 ワンチャンChromeの拡張機能で消せそうな気もするが、いまの大半のTwitterユーザーはインターネットがわからないはずだし、そんな知恵は絶対に働かない。デフォルトでトレンドが表示される限り、トレンドを見て怒る人は絶対に消えないし、無限循環的に油を注ぐ構造も消えない。

 Twitterはもう、UIの時点で「楽しくない」SNSになっていた。サードパーティーの閉め出しがほんとうに致命的であることを、僕はようやく理解したのだ。

 

ゆるやかに距離を取って

 Twitterは好きだ。でも、いまのTwitterはやっぱダメだと思う。そして、Twitterはいまの道を進み続けるだろうから、もう僕がワイキャイはしゃいでいたTwitterは二度と帰ってこないだろう。もはやTwitterは社会の生き写しだ。

 希望があるとすれば、Twitterの分散化対応が計画されている……らしい、ということぐらいだろう。

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 分散SNSとしてTwitterが生まれ変われば、僕の好きなTwitterがどこかで再建される可能性もある。あえてインターネットですら「社会」をやりたい人を閉め出そう。日がな一日アニメの話をしよう。気軽に「ぶっ殺すぞ」と言い合える関係を取り戻そう。そういう空気は、可能ならばもう一度吸いたい。

 ただ、これが実現するまではいくらかの時間がかかるだろうし、それまでは、Twitterとはいまの距離を維持しておこうと思う。

 

 というわけで、しばらくはnoteを拠点しようと思います。よかったらフォローしてね。(すでにフォローしてくれている人はありがとう!)

こんなSNSに10年もいる

 あとちょうど1週間でTwitterを開設してから10年になるらしい。高校3年の卒業間近のときに始めてから、死ぬほど楽しかった学生時代と、悲喜こもごもになった社会人序盤をずっと駆け抜けた、まぎれもない僕のインターネット資産になってしまった。これもどうなんだという感じではあるけど、感慨深さもそこそこにある。

 ただ、10年経とうとするこのごろ、そろそろTwitterからも距離を置くべきかなぁと思い始めている。Twitterを潰すのではなく。軸足とするプラットフォームを変えたり増やしたりする、というようなことを考えている。

 理由はいくつかあって、

 

①うんざりする人が増えた

 宇崎ちゃんの一件からここしばらくは毎日のようにツイフェミが吹き上がっていたり、それに怒る人が吹き上がってたりする。別方面からはやれアベだーやれサクラがーなどと騒いでる。それを見るたびにうんざりしている自分が最近いる。

 正直、フェミニストの名を騙る蛮族にはうんざりさせられているし、ノータイムな反アベコールは騒音公害みたいなものだ。ただ、その思想というより、例えば自分より人生を重ねて、弁護士という立派な地位にいるような人が、「オタクアニメキモッ、サイテー」という、あまりに幼稚な言葉を発することに絶望感を覚える方が大きい。年齢も地位も、その人の賢明さを担保することにつながらない。先達がまるで役に立たないという事実は、ある種の奮起にもつながるんだけど、正直がっかり感の方が強いのだ。

 ……というようなことを最近考えがちになる。なんというか、それがものすごく、思考のリソースとしてもったいない。ブロックしたところで背後からRTで輸送されてくるし、ミュートしても引用されてきたりするから、自衛も最近手を焼く。

 

②たのしくインターネットできていない

 ここ最近は「殺す」と書くだけでアカウントがロックされることがTwitterでは増えてきた。なのでツイートはよく校正するようになった。それはある意味では良識ある大人の振る舞いではあるんだけど、僕はまともな大人になるためにインターネットをやりたいわけじゃない。

 衝動で言葉を弾き出すインターネットは心地よい。下品なコンテンツが並ぶタイムラインはドキドキする。間違いなくこれは懐古主義だけど、10年前のTwitterはギラついた承認欲求が毎日レーザービームのように飛び交っていて、素敵な光景だったように感じる。

 半分は自分の問題なんだけど、なんというか、Twitterそのものはほんの少しだけ息苦しくなってきた。そして少なくとも、Twitterは日々「お行儀のよい」方角へと進んでいる。

 

③発信したいことばが出にくくなってきた

 これはもう自分の問題だ。まず、直近一年は仕事が地味に忙しくて、そして楽しくなってきたせいで、逆にインターネットに流したい言葉が減ってきた。あまり現実でルサンチマンやリビドーが湧き上がることがなくなって、それを「発散」するためのインターネットのことばが少なくなってしまっている。はっきり言って、リアルにかまけすぎて自分が日々つまらない人間になっている。

 そして、10年もインターネットにいると、強いて話したいことも減ってくる。ネタがなくなってきた。SNSの歴史の中で言えば「中堅の老人」くらいになってきた。口数も減って、ただ川の流れを眺めるだけの存在になりつつある。それが正しい姿勢な気もするけど、物寂しさは否定できない。

 

 

 と、3つくらい理由がある。書いていて自分でも「しょうもな」とまだ認識できるだけまともなのかもしれないけど、笑い飛ばせる気力がないのは、そろそろ「冬だから」だけで片付けにくいとは感じる。

 無論、Twitterアカウントを消すことはない。10年育てた資産だ。間違いなく執着だけど、これは抱えてもいい執着だと思う。その一方で、しばらくはよその地域に旅をしたい。なんというか、「ヒマなときにTwitter」を見る、みたいな状況をいったんやめてみて、どうなるか自己観察をしていきたい。

 とりあえず、最初の一手として、インフラの勉強も兼ねてマストドンのおひとりさまインスタンスを立てる修行を始めた。AWSにちょいーっとインスコするだけ、に見せかけてそこそこハードルが高そうなので、腰を据えて遊んでいきたい。

 

 春になるころには「しょうもな」と言えるようになってればいいなとは思ったりする。しめっぽい日記を書きがちな冬なのは、たぶん例年通りだ。

年始 of 2020

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新年から美少女すぎてごめんなさいね!!(新年の挨拶)

 年末年始は完全に茫漠と過ごしていて「一年の振り返り」とかもできなかったので、仕事初め前にヌルっと振り返りつつ、今年の抱負もある程度立てていこうかと思う。

 

本業は結局どうなりましたか

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 2018年末に怒涛の転職活動を行い、2019年の2月から新しい会社で働きはじめて、気がつくと11ヶ月経っていた。早い。2019年の流れが異様に早いと感じた最大の要因だろう。

 結論から言うとものすごく快適に日々を過ごせた。業態は変わらず「傭兵さん」なんだけど、妙によくしてくれるし、さわってるものも比較的新しめで楽しいし、仕事の進め方もゴリゴリのアジャイルな上に進捗管理もうるさくない。挙げ句に10月から入っている現場は定時ダッシュがあたりまえの風土。なんだこれ神引きか?(そのかわり案件そのものはエグめ)。

 自社の中でも、早々に「VRとVTuberが趣味です」とオープンにしまくったら完全にVR・VTuberおじさんとして認知されて、VTuberについて好き勝手ライトニングトークしていいよ、という謎の機会も得た。そして近くにはVRハンズオンしてもいいと言われちゃった。ワイは何屋さんなんだ。

 

noteとの使い分けはできましたか

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 6月ごろにnoteを開設したが、「使い分け」しようという意図はそこまでうまくいかなかった。というかnoteの方が気楽に書ける。そして今どきのメディアなのか、なんだか反応もいいんですよね。たぶん「いいね」がはてなスターより打ちやすいんじゃないかしら。あと、記事そのものがブログ内に閉じ込められずに、タグ付けによって独立して見つけられるのもデカそう。

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 ありがたいことに「今週の記事」的なやつに選ばれたりした。ザワはマジでよかったよ。

 ぶっちゃけるとnoteの方がなんとなく快適に書ける感じがあるので、正直移行でもいいのかなぁ……とも思いつつ、たぶんド・えっちなテキストはnoteでは書けなさそうなふいんきがあるので、そういうやつはこのブログにシュートで、という使い分けはまだできそう。

 それ以前に最近こういうのを書くヒマが順調になくなりつつある方が問題。

 

2020年どうしていきましょうか

 こっちにも書いたけど、2019年で人生最大の夢が叶ってしまったので、正直これからの人生なにしてやろうかという気分になっている。惰性で長生きしてもなぁという感じだし、早めに人生畳んだほうがいいんじゃないか説もある。

 とはいえ、夢が叶ったら叶ってそれが継続している状況でもあるので、しばらくはそちらをがんばるかという感じにはなっている。その上で、2020年ほかになにができるだろうか、というかしてみたいかと考えてみる。

 

フィクションを書く

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 一回だけnoteにフィクションを投下した。一回だけ。こっちに気合入れたらどうなるかは(なんかずっと前から言ってるけど)試したほうがいいのかなと思っている。以前と違うのは、「継続は力なり」を肌身をもって体験しているところ。

 

わさすらちゃんの写真集

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 こんな感じの実写合成写真を作り、ある程度たまったら写真集にしたらおもしろくない?ていうかやってる人結構出てきてんじゃない?とか最近考えている。

 とはいえ、COM3D2での実写合成ってかなりむずいし、なにより家でしかできない作業だから面倒なんですよね。なかなかしんどい。

 ……とか思ってたんだけど、なんか年始早々にSurface bookとかいうおもちゃ(15万円)を手に入れてしまった。おや……これは……? いけるか……?

 まぁあくまで遊びの範疇で。いまさらVTuberになろうなんて気力はない。

 

技術方面の強化

 転職してからモダンな開発風土は一通りさわったので、2018年の今ごろに抱いていたような不安感はだいぶなくなっている。実務経験を地道に積んで次のステップを見据えていきたい。

 とはいえ、長いことJavaを1.7未満の世界で生きてきたので、初めて見るラムダ式に相当脳みそのリソースを奪われるなどなど、どっかしらのタイミングで資格取得などの目標をつけて勉強しないとなぁ……と思う時はある。資格そのものにそこまでのアドはないかもなので、あくまで「勉強のきっかけ」を作れれば。

 

 

 総合的に見るとクリエイティブ寄りな感じ。ただ、ここ数年で自分のクリエイティブ方面への適正を相当に疑問視しているので、どこかで区切りをつけた方がよいやも。

 

惰性で生きないように

 2019年は新しい環境に身を投げたこともあって、常に気が張っていた状態だった(そこまで大げさではないけども)。だからこそ楽しかったし、いろいろトライする気力も多かったんじゃないかと自分では思っている。

 1年続くとだいたい人は慣れが生まれやすいもので、そういうときほどしょーもないことをしがちだし、しょーもないミスをやらかしたりする。同じルーチンを回し続けて脳髄とかが飽きを感じる前に、また違うことに手を広げてみて、意図的に「慣れ」を防いでいく必要性は感じる。活動1年を超えたVTuberも、割と新しいことにトライし始めていたりするし、そういう人ほど伸び続けていたりするので、つまりそういうことなんだろうと。

 「惰性で生きないように」を今年の目標に据えて、ぬるりとやっていこうと思う正月休み最終日である。それにしても文章がえらい固くておもしろみがなくなってきた。これも習慣による影響かもしれない。

ポケモン剣盾 シナリオに関する雑記

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 ポケモン剣盾のシナリオについて個人的に思うところとかがあったので、ざっくりと書き溜めていた。しかし12月中なんか多忙だったので、整形するタイミングが遅れる始末。なんとか年末はボーッと過ごせたので、2020年が訪れる前に感想記事として供養する。

 

  • 継承(あるいはバトンタッチ)の物語
  • ダンデは「僕ら」だったのか?
  • ソニアとホップ、そして僕ら
  • 継ぐことをしなかった/できなかったものたち
  • ガラルをかたちづくったものはなにか
  • もっとガラルのことを知りてえ

 

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意識の低いエンジニアによる、意識低い系転職活動の記録(1.5人月)

 現職に入ってからちょうど半年が経った。仕事はなんだかんだ楽しくやっているし、ふれる技術は楽しいし、新しい案件のために勉強する機会も増えたし、人も良い。有り体に言えば、順調である。

 そして、昨年末に実施した、人生初の転職活動からはさらに時が経っている。もはや遠い思い出だ。粗熱は大方取れたように思う。いい具合に整形できそうだ。

 つまり、長らく書く書く詐欺で温めてたやつをようやく形にすることができた、ということである。

 というわけで、2018年の11月から12月にかけて、1.5ヶ月で終わらせた転職活動の概要と、得たことや教訓になったことなどを、可能な限り全部記していこうと思う。これは、また転職するハメになった自分と、どこかにいる転職したくてもじもじしている誰かに向けた、やたらとボリューミーな記録である。

 

  • 1. とりあえず勢いで「辞めます」と言ってやった
  • 2. エージェント(に会うため)夜を往く
    • doda
    • ギークリー
  • 3. 転職サイトは濁流だった
  • 4. 書類通過率、なんもわからん
  • 5. 御社・ワールドツアー
    • 12/5
    • 12/8
    • 12/10
    • 12/11
    • 12/13
    • 12/14
    • 12/18
    • 12/19
    • 12/20
    • 12/21
  • 6. 傾向と対策
    • ①「業界5年目の20代後半」
    • ②たまたまスキルセットがよかった
    • ③駆け込み需要
    • ④有給が余っていた上に使いやすかった
  • 7. これは事前に知っておきたかった
    • エージェントの数は考えろ
    • エージェントの当たり外れはある
    • 技術的関心と知見を高めておきたい
    • 技術面接は存在知らないとビビる
    • 転職者の情報は想像以上に出回る
    • 面接官の反応はなんの材料にもならない
  • 8. 1.5ヶ月で転職ってやつをしてみて
  • 9. 小話
    • モグキャリも使ってみた
    • 現職の面接の裏話
    • 前職の裏話
    • なんか白髪がすごい勢いで増えた話

 

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デオコおじさん、あるいは女子高生のクオリア

 ロート製薬の薬用デオドラント「デオコ」が異様なバズり方をして、一般世間は混乱に陥った。そして、全国の精神的女子高生たちはこの偉業をたたえている。

 

dain.cocolog-nifty.com

 この記事をきっかけにデオコは成人男性の間に急速に広まったとされる。各所で使用者の「いい おんなのこ」という書き置きが見つかり、それを見つけた誰かがデオコを買った。追って残されるのは書き置き。まぎれもないパンデミックだ。あまりに急速すぎて、稚拙ないかかでしたかブログですら全容をとらえきれていない様子だ。

 

 というわけで僕も買ってきた。まずは試しやすい制汗剤タイプで真価を見定めることとにした。

 構造としてはキンカンに近い。少し振ってから任意の箇所に塗布するだけ。お手軽である。

 薬液そのものは、多くの証言に見られる通り「ふんわりと甘い香り」で、露骨ではないが人工物と分かる程度のフレグランスである。それ自体に青春とリビドーをくすぐるような魔性は漂っていない。

 そこまで確認したところで自身の肉体に塗布した。ひとまず脇、ついでに肘裏、なんかアクセントにと胸部。全3か所に塗りたくり、服を着直して動向をうかがった。

 

 変化はほどなくして現れた。いつも通りに無心にキーボードを叩いている我が身から、不意に鼻腔をくすぐる香りがただよった――それは一瞬だが、"本能"を揺さぶった。

 予感はあった。人工物のみでは、あの華やぐ匂いを生み出すことは不可能だと。汗、皮脂、よだれ。その他様々な体液とまざりあうことによって、「女」のにほひが生まれるのではないかと。その予感が的中した次第だ。

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効果を実感する筆者(27・美少女ブロガー)

 「自分から女子高生の香りがする」という事実は、かなり自己認知がバグる。さすがに一度使った程度では短時間で終わるものの、どうやらシャンプーを継続して使用すると体全体からその香りがするらしい。それは、文字通り自己改造の類だ。この状態でVRで美少女となれば、確実に自己認知は傾くだろう。

blog.gururimichi.com

 

 一方で、嘆きの声も耳にする。「そんな匂いをかつて人生において嗅いだことがない」と。

honeshabri.hatenablog.com

 「思い出の香り」というものがある。記憶と嗅覚は往々にして接続し得る。汗臭い体育館、ホコリにまみれた資料室、ラーメンのかおりただよう食堂。類似する匂いからありし日の記憶を想起することを「プルースト効果」と呼ぶらしい。その名を知らなくとも、我々はその瞬間に出くわしているはずだ。

 故に、女性接触が虚無の青春を送っていたなら――無情な現実が立ち上がる。

 デオコは図らずも、男たちの過去をえぐり出してしまったのかもしれない。

 

 

 しかし、諦めるにはまだ早いと思う。「天然の女子高生の匂い」は、容易に収穫できる。

 一つはフィールドワークだ。女子高生はそこかしこにいる。今ならタピオカ屋に行けば確実に群がっている。現地に行き、匂いを得る。その瞬間に「あの香り」は記憶野へと格納されるのだ。そうなればこちらのものである。匂いを仮想的な高校時代へインポートさせ、バーチャルなクラスメートの女とのふれあいを創り上げれば、デオコエフェクトの条件は成立する。

 そしてもう一つは、他ならぬデオコを用いた、自身の身体を用いた創作活動だ。すなわち、自分の香りから漂う、デオコと身体分泌物の混合物質。そこから漂う匂いそのものを「女子高生の香り」と積極的に"誤認"させるのだ。知らなくてもいい。「これが、女子高生だ」という強い信仰が現実を変える。

 とにかく、どんなところからでもいいので、なにか具体的なサンプルを脳裏に焼き付けることが肝要だ。一つのサンプルからは、無数のフィクションを創造できるのだ。

wasasula.hatenablog.com

 

 こうしたことを考えていると、僕が自分の体から認知しているのは、「女子高生の香り」ではなく「女子高生のクオリア」なのではないかと思う。

 女子高生というイメージから連想する、「女子高生からただようあの感じの匂い」は、まぎれもなく学生時代の記憶にもとづくものではない。その他の生活と、想像上の光景から、「経験された質感」として創造したのではないか。事実ではないが、実質的な真実。バーチャルな記憶が、自分にとっての「女子高生のクオリア」なのではないか。

 女子高生とはなにか、その匂いとはなにか――我々は、デオコを通じて、ひとつの深淵を覗いているのかもしれない。