うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

我が家にVRがやってきて1年経った

 我が家にVRがやってきて1年経った。その後も仕入れ続けているデバイス代によって懐はいつも苦しいが、生活は、人生はどうなったか。ざっくばらんに振り返ってみる。


 結論から先に言えば、「買ってよかったに決まっておろう」である。 

 

楽しい、けれどもめんどくさい

 Viveを買いたてのころは毎日のように起動していた。

 『Beat Saber』『H3VR』『Hop! Step! Sing!』『カスタムオーダーメイド3D2』……そしてなにより基幹アプリケーションの『SteamVR HOME』は想像以上に時間を奪っていった。湖のほとりのコテージでひなたぼっこをしたり、スキーに漕ぎ出したり、火星にソファとテレビを置いてリビングをつくったり……殊に「一人で空間を支配したい」という欲求が強かった僕に、このツールはとてつもなく刺さった。

 しかし、ワクワク感が永遠に続くわけではない。続く人もいるかもしれないが、僕の場合は半年ほどである程度落ち着いた。

 そして鎌首をもたげてきたのが「VRはけっこうめんどくさい」という厳然たる事実である。

 PCを起動し、場所を確保し(=布団をたたんだり荷物をのけたりする)、HMDをかぶりスイッチを入れる。この一連のプロセスはそこそこ手間取る。Vive Proに変えてからは妙にオーディオまわりのかみ合わせがよくなのか、ヘッドセットから音声が流れるようにあれこれいじらないといけなくなった。

 こうした「めんどくささ」と「得られる楽しさ」を天秤にかけて、前者へ傾くようになると、VRの起動頻度は減っていく。

 使用中の身体への負担も鑑みると、まだまだVRは「お手軽」とは言いにくいな、というのがこの1年戯れてみての率直な感想だ。

 もっとも、VRゲームを集中して遊んでいた結果としてこうなったものの、ここ最近はVRライブやイベントで起動頻度は増えた。新しい用途が増えたということだ。いわんや『VRChat』にはまっていたら、起動時間はさらに増えていたことだろう。

 

体とのたたかい

 VRは常に己とのたたかいである。より正確に言うならば、己の体とのたたかいである。この一年で思い知らされたのは、自分の体の貧弱さにある。

 『Beat Saber』をやってヘトヘトになる。『SUPERHOT VR』をやって汗がだらだらになる。もちろん筋肉痛は避けられず、湿布とプロテインのお世話になる日が続いた。

 単に疲れるだけならまだいい。VRゲームの一部は「体力がゲームのスコアに響く」という強烈なルールによって支配されているので、もやしっ子にはこたえる。いわんやそれは『Beat Saber』であり、しばらくやらないと「体がなまる」ことも手伝って、なかなかに酷である。『VRChat』も「かわいい動きをするためには体を鍛えて筋肉を得なければならない」と聞く。VR適性とは、すなわち筋力なのではないだろうか。

 

 そして、人によってはVR酔いがつきものだ。僕は基本的に大丈夫な方だが、それでも高低差の激しい動きが続いたり、ラグって画質がめちゃくちゃになったり、装着が2~3時間ほど長引くと、少なからず気分が悪くなる。そろそろ酔い止めも備えたほうがいいかもしれない。

 いまのところ、VR酔いは多くの人にまとわりつく問題になるだろう。

 

どんな「場」にも、いつでも行けるということ

 手間と体力をささげてもなお、手元にViveを置いてよかったことは無数にある。その一つは「最新のゲームやサービスにすぐタッチできること」にあると思う。

 それは「最新のデバイスを持つアドバンテージ」に他ならないのだけど、主観的な体験としては少しだけ異なる。触れるのはコンテンツではない。「新しい仮想現実」だ。

 これはVRゲームにおいてもそうなのだけど、最もプレイを続けたいVRコンテンツは「アトラクション」ではなく「場」だと思っている。HMDをかぶれば「そこ」に行ける。そして、ガイドの指示に従って順路を進むより、自分で好きなように過ごせること。愛着の湧く仮想現実とは、そういうものではないだろうか。

 こうした考えから、「なんかよさげなVR空間できたっぽいぜ」みたいな話を聞くのが一番ときめく。単にゲームではない。いやまぁたいがいはSteamから入手するんだけども。

 あと、最近はVRライブがそれなのだとようやく気付いた。会場に出向くのではなく、「かぶって」飛び込む。そこはもはや単純な「会場」ではない。ホストが作り上げた一つの「世界」なのだ。平成最後のYuNiライブと、令和最初のカグヤルナライブで、強く実感したことだ。

 VRヘッドセットとは、こういった「場」へいつでも行くことができる、ぜいたくなパスポートに他ならない。

 

「顔が良い」は万象を解決する

 これは誰か? 『カスタムオーダーメイド3D2』での僕だ。

 

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 これは誰か? 『VRChat』での僕だ。


 「VRでは誰もが簡単に美少女になれる」という事実は、2018年最大のパラダイムシフトのひとつだろう。

 多くの人間が狂った。おじさんは美少女になり、それにおじさんが恋をする。アビスの片隅では収まらず、YouTubeを通じて全世界インターネットへ、そして地上波の一部へ浸食した。 そうした波を受けて「なりたい自分になれる」「ジェンダーを超越できる」といった論調も生まれてきた。 規模感まで語るつもりはないが、「バ美肉」は十分に文化となったといえるだろう。

 だが、僕はそんな高尚な思想を語るつもりはないし、昨今の論調に是非を唱えるつもりもない。重要なのは、「誰もが顔がよくなる」ことの効能に他ならない。

 

 たった一つの真実がある。「『容姿が良い』という自覚は、大きな自己肯定を生む」である。

 容姿は永劫に人を縛る。醜い容姿はそれだけで社会的不利すらもたらし得るし、社会的不利は自己肯定を大きく阻害し得る。やがては容姿と自己否定が直結するだろう。「卑屈なキモオタ」はそうやって生まれ出づる。

 そしてその逆は、万物が自己肯定に直結する。

 天気が悪い。飯がまずい。仕事はクソ。

 だが、自分は美少女だ。肌はつややかで、手足にはムダ毛も傷もなく、瞳はつぶらで愛らしく、おっぱいはデカい——そう考えた瞬間に、すべてがどうでもよくなる。

 そして、かわいい自分が街を歩き、かわいい自分が牛丼を食べ、かわいい自分が仕事でがんばる――そのすべてが「絵」になる。額縁に入れて飾り、Pixivに投稿できる「絵」だ。ただ生きるだけで作品ができるのだ。

 「美人は自信に満ちた人生を歩む」とたびたび語られる。VRはこれを万人が追体験できる。パラダイムシフトといわずに、なんと言おうか。

 「VRでアインシュタインになったらがテストの点数が上がった」という話がある。VRで美少女になれば、人間程度の知性から生じる悩みは9割9分9厘が霧散するのは当然だろう。

 ただそれだけで、VRには絶大な価値がある。

 

自分で体験し続けるほかない

 これは実体験にしか過ぎないのだけども、VRはLIBIDO……突き動かすような欲望を購入動機にした時、とんでもなくしあわせになれる。

 自分の場合、ViveもProもTrackerもREADY PCも出資したコンコルド効果があることは否定しないし、VRに飛び込んだ去年からいろいろと人生の岐路が降ってきた感情バイアスもある。すなわち、フェアーなテキストではない。だが、VRは究極的には主観体験であり、「自分で試して自分の感想を持つ」以外に真理は存在しない。

 うれしいことに、いよいよ完全ワイヤレスなHMD、Oculus Questも世に出る。まだほとんどの人間が体験したことのないフロンティアだ。すでに自分も予約した。高い買い物だ。これでPSVRも含めれば4台持ちになる。VRにのめりこむと確実にガジェッターになり、預金は常にアナルアクメをキメるだろう。本当はPimaxだってほしい。

 もちろん、それが大正解かという保証はない。だが、開拓していくワクワク感は確実にある。それがなによりの報酬だ。

 

 この記事はVRをすすめるつもりで書いていない。ただの記録である。

 だが、この記事を読んでなにかしらピンッときたのならば、今からVR環境を整えてもおそらく損はしない。

 もし勃起したのなら、絶対に損はしない。飛び込め。