うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

脳の空回りが脳内エロ同人誌を描き、眠れぬ夜が訪れる

 ここ数ヶ月で認識したことがある。自分はどうやら「頭の回転が速い」部類に位置する人間だということだ。

 対面で人と話す中で、あれよあれよと出てくる質問に対し、思っていることや思ってもいないことをヘラヘラした感じで、でもある程度は論理的な組み立てで返す。ノータイムとは言わずとも、適切なインターバルで。

 振り返ってみれば、あれらの応対は脳がフル回転したことは事実だろう。実際、中途採用面接は異様に疲れた。

 そして気付かされたことがある。「頭が回りすぎて寝れないことがある」ということ、そして「頭が回りすぎて性欲が強い」ということである。

 

 VTuberを見るということは、人間を見るということである。よって、有機的で不定形で生き生きとした彼らについて考える時、脳の使い方は完全に対人コミュニケーションのそれになる。少なくとも僕はね。

 そして「あのVTuberに関する印象や好きなところ」というのは、かなり言語化が困難だ。「おっぱいがでかいから」「萌え声だから」と表層的なファクターでかんたんに好きになれればいいのだが、実際はもっと複合的な要素が絡み合って「あのVが好きやねん」となる。

 好きになったきっかけは? いつ? どの配信? あるいはツイート? 見た目? 声色? 時折のぞかせる質感? 他の人との関係性? 好きになった最初の瞬間の自分の精神状態は? そもそも自分とは? 世界とは? 宇宙とは?

 こうしたことがらを全部考えてしまう。考えなければ、「なぜ好きになった」という問いを解きほぐせないし、そして解きほぐせずじまいということも多い。まるで樹海だ。光明が見いだせることのほうが少ないようにも感じる。

 ……そんなことを思索していると、脳が完全に覚醒する。

 日中に起こる分にはいい。だが、悲しいかな、こうした堂々巡りの思索散歩が起こるのは、就寝間際だったりする。あんなにくたびれてなにも手付かずだったはずなのに! オフトゥーンに委ねる我が身は、内戦地で仮眠を取る少年兵と大差ないものとなる。

 これが数日連続で起きるとさすがに参る。考えるよりも眠りたい。ある意味では不眠症状なのだろうか。いずれにせよ、特にこの1週間くらいは、こうした入眠事故に見舞われた。

 幸いにも、この症例には対処療法が存在する。「アウトプットする」だ。ささいな、散文的な、まるでオチのない断片を20ほどツイートすれば、自然と堂々巡りは収まる。つまるところ、これは完全な空回りなのだ。

 いろいろなことを「考えすぎている」――そんな傾向が強いんじゃあないか、というのがここ数ヶ月で得られた気づきだ。

 

 それから導かれたこともある。「頭が回りすぎて性欲がフルチャージしやすい」という、どうしようもない自分の特性だ。

 諸兄らは仕事中に勃起したことがあるだろうか? 僕はある。脳内でエロ同人誌が描き上がることがままあるからだ。

 脳内エロ同人は厄介だ。なにせささいな「きっかけ」からネームが作られ、着彩までワンストップで組み上がりやすい。仕事が少し落ち着き、ふと脳裏をスクール水着がよぎったその瞬間、スク水モノ全44Pフルカラーの新刊がおあがりよ!ってなる。少なくとも僕は。

 これも、頭が回りすぎた結果なのだろうと自分は考えている。エロを出力するために、どうも自分の脳はチューンナップされている可能性が高い。問題なのは、44P描きあがったとしても、脱稿されないという点で、つまり無限にドスケベページが積み上がっていく。誰かが会議依頼を投げるなどして、強制的にタスクキルされなければ。

 とはいえ、これも対処療法可能だ。「射精する」である。適切なアウトプットだ。しかしながら、職場でそれを行うわけにはいかないため、次善策たる「自然消滅を待つ」や、「なんか勢いよく放尿する」でなんとかするしかない、というのが実情だ。

 

 時に、同じく性欲の強い、異様に頭の回転が早いとある先輩は「一日に何度も射精する」というソリューションがあると言った。

 「IQが高いのだから性欲が強くて当然」「だから射精は多めにする」などと話しており、その真偽は脇に置くとして、これには膝を打った。つまるところ、アウトプットを増やせ、ということである。

 空回りは過剰なアウトプットを生み得る。ならば、アウトプットそのものの回数を増やせばよい。当然の帰結だ。

 アウトプットが増えれば、残るものも多くなる。無駄なちり紙となる可能性もあるが、試行回数の重要性は語るまでもない。思わぬ発見はくずかごの中に眠っているものだ。

 射精でもよいだろうが、エロSSを即興で書きなぐれるなら、ドスケベイラストを即興で描けるなら、この時点でクリエイティブの発露である。無論、エロの領域から離れていけば、例えばVTuberの思索だけでも膨大なテキストやスライドを生むことができるだろう。

 とにかく、考え過ぎで悶々とすることが、一番よくないのだ。僕はもう思春期の少年ではない。適切に処理できるオトナでなければならないのだ。

 

 そして、このような取り留めのない散文をひさびさにしたためる中で、再認識したことがある。

 自分のテキストアウトプットは、どうしようもないほど分量が多い。