うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

違法DLは「鉄骨渡り」ですらない

 年始から悲しい出来事が起きた。このような悲劇は繰り返してはならないと、小学校の段階で誰も教わらなかったのか。

 同人が読めないだけで死ぬの? 通販は使えないの? 地方から出れない孤村の因習的なやつでもあるの? みたいな疑念が数多く現れ、「言うだけ無駄」という結論に落ち着く。

 痴漢の常習犯に「痴漢はいけないことなんだよ」ということを教えるのはものすごく大変だと聞く。それは「自分は痴漢をしても許される立場だ」という認知のゆがみが生じているせいで、認知は容易に修正できるものではない。

 この手の違法DLも同じ手合で、たとえ違法という自覚があっても「でも立場の弱い田舎者だから」という認知のゆがみがあると、つい正当化してしまうのだと踏んではいる。

 

 まぁ、やらかすのはみっともないが、それを正当化しようとするのはもっとみっともない。説得は無駄である以上、僕の口からせいぜい言えるのは「わざわざ口に出すな」だけである。結局のところ、この手の話題でわざわざ自己申告したがる人間というのは、炎上上等で注目を浴びたい愉快犯にほかならない。

 そんな愉快犯がいつまで経っても消えないのは不思議なのだが、彼らが意識しようとしまいと、「違法行為を働くスリル感」にクセになってるんじゃね?とは疑っている。

 違法DLを鉄骨渡りと見立てれば、スリルとリスクの果てに待つ「報酬」には大きな価値があるように見える上、なにより「報酬」を得るまでの過程を乗り越えることをある種の勲章だと感じてしまうだろう。無免許運転自慢と同じだ。同質のコミュニティにおいて、それらの行為が賞賛されるのも含めて。

 悲しいことに、違法DLは鉄骨渡りのような大スペクタクルですらない、みみっちい窃盗行為である。そして、嗜好品に対してそれをあえて行う人間に、「貧乏人が」という罵倒は不適当だ。「ケチなヤツめ」が正しい罵倒である。

 

 にしてもこういう時、「いや清貧を大事にすべき」だとか「いまの時代はFree to Useでしょ」みたいなコメントを添える人って一定数いるけど、同じこと肉屋の軒先で言えるのか知りたい。盗品に清貧もFree to Useもないっての。

 

 それにしたってこのようなブログを書いていること自体が物悲しい。もっと楽しいことに目を向けないと。