うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

元旦の夜の街を歩く

 2018年1月1日、0時30分。毎年のように、僕は「元旦の夜の散歩」を開始した。

 ダウンジャケットを着込んで外に出ると、空気はしん、と冷え込んでいて、肌がくまなく張り詰めていくのを感じる。勇み足で歩き始める元旦の夜の街は、凍えながらもワクワクする、不思議な空気に包まれている。

 歩いて数十分。僕は何の気もなしに、小石川の源覚寺を訪れていた。「こんにゃくえんま」の名で親しまれるこのお寺にに、とりわけ縁やゆかりはない。ただ2年前になんとなく立ち寄ったのをおぼえていたに過ぎないーーちょうど今日のような、冷え込んだ元旦の夜に。

 お寺の初詣では二礼二拍手一礼は必要ないらしい。静かに手を合わせ、祀られる存在へ祈りを捧げるべきなのだとか。そもそも、ここに祀られているのは閻魔様だ。1年の初めにやかましく参られては、公正な沙汰にも感情が根ざすものだろう。「久方ぶりのご参拝をお許しください」「昨年は職場で大暴れしたのに咎められなかったのはひとえにあなたのおかげでしょう」「今年も是非にお願いいたします」などと脳内で告げて、味噌ダレのからんだこんにゃくと、紙コップ入りのお神酒を味わい、しれっと寺を後にする。

 そのまま自宅へ向けて歩き出す。元旦の夜は思いの外、人とすれ違う。夫婦とおぼしき男女。家族連れとおぼしき一団。一人歩いて行く老人。みな、思い思いの元日を迎えている。道沿いには、タバコを吹かすタクシーの運転手が、憂い気に夜空を眺めている。こんな時でも働いている人がいる。人の数だけ元日があり、その全てを体験することはできないのだろうと、さも当たり前のことを考えながら、ふと地元の神社を思い出す。

 大昔は神社の中の砂場で遊んだりもしたが、小学校にあがって以降は、めっきり立ち寄ることもなくなった。初詣にすら行かないこともしばしばだ。詣でる場所も日時も自由とはいえ、地元の神社を放り出して神田明神へ赴くのも、やや薄情な気もしていた。そんなことはないはずだが、今夜はそんな気がした。時刻は1時半。息も真っ白に染まる中、ゆっくりと地元の神社へ歩みを進める。

 耳たぶも凍るような寒さの中で、自販機はちょっとしたオアシスだ。踊る「HOT」の文字にこんなにも活気づけられることはない。だが、往々にして街角の自販機はハズレが潜む。コンビニで見かけない逸品はだいたい危ない。しかし、危ないものほど人は惹かれる。

 衝動に負けて、110円の「ミルクカフェ」を買う。ロング缶のそれははたして温かったものの、コーヒーにも牛乳にもなりきれない微妙な味わいが、寒空の下で失笑を誘った。「まぁ、こんなホッカイロもありだろう」と、空き缶を携えながら歩いていると、日頃のささいな苛立ちすらバカバカしくなってくる。人なみんな、時としてこの「ミルクカフェ」みたいな存在なのだ。

 まもなく午前2時を回るころ、僕は地元の神社にたどりついた。BUMP OF CHICKENならば望遠鏡を覗き込む時刻、今年やがて27歳になるであろう僕は、参道のど真ん中に並んでいた。参道とは神の動く導線であり、人が立ってはいけない場所であると、NHKの「さしたび」で紹介されていたが、参拝客は一様に参道のど真ん中に整列していた。はたして、神はどこを歩めばよいのだろう……見えもしない、知りもしない神に道をゆずる素振りをしながら、ふと空を見上げると、月は見事なまでに満月だった。小さな子どもを抱えた、父親らしき男性が語る。「今日はお月さんがきれいだね」と。それに気づきもしなかった僕は実に間抜けだ。真っ白な息を吐きながら、僕は茫漠と、まばゆい満月を眺めていた。元旦に月を見上げるなど、いままでにあっただろうか。

 そうして、午前二時ごろに参拝を終え、二度目のお神酒を流し込み、帰路につく。寺と神社で飲み干したお神酒、そして年越しの瞬間まで面倒をみていた6000円のカリフォルニアワインが、喉の奥底で暴れるのを感じる。だが、不思議と苦しくはない。凍てつくような寒さの中で、アルコールだけが体と心を陽気に暖めていた。それは年を越せたお祝いか、新たな年を迎えられたお祝いか。

 家に戻ると、家族はすっかり寝静まっていた。遅くの入浴を執り行い、髪が乾くのを待ちながら、この文を書いている。

 元旦の夜の街は楽しい。真夜中なのに、多くの人が堂々と、期待を胸に膨らませて歩く姿が拝める、不思議な一日。1月2日の夜でも、1月3日の夜でも、この光景は拝めないだろう。だからといって、明治神宮付近での12月31日でも拝めまい。1月1日の夜、自宅のほど近い一帯だからこそ見える、静かだが、活気が潜伏する、ささやかなお祭りのような時間。それを何気ない視線で眺めるのが好きだし、きっと来年も、あるいは再来年も、元日の夜を歩んでしまうのだろう。

 そんな、ちょっとしたハメの外し方も悪くあるまい。今日は、新しい年の始まりなのだから。

 

 そんなこんなで、すっかり元日の夜を歩くのが好きになっている年頃。いったい誰に影響されたのやら。仮に両儀式に影響されたのであれば、遅咲きの厨二病としてもまるで笑えないのだが。

 まぁ、元旦ぐらい許されるでしょう。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。