うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

ビッグサイトと「美少女の洪水」 〜我々はいつだって織斑一夏になり得る、という話〜

 幾人かは知っているかお察しではあろうが、僕は一昨年までコミケのスタッフをやっていた。

 所属は企業ブース側で、夏休みのど真ん中や年末には朝4時に起床し、わざわざスーツを着込んで東京ビッグサイト西ホールを駆け巡る生活を6年ほど続けていた。「いた」というのは、諸事情あって去年から参加を取りやめてしまったからで、今年も年末は有明ではなく自宅でぬくぬくと過ごすつもりだ。

 やっていた当時も、振り返っている今も、「まったく正気ではない営みである」とたしかに実感していたが、正気度と引き換えにとても楽しいものだったし、いろいろあってやめてしまったものの、僕の人生の中でなくてはならないファクターだと思っている。

 

 そんなスタッフの側から参加していたコミケの思い出として印象深いものの一つが、「美少女の洪水に呑まれる」である。

 右を見やれば出展企業のブースに美少女キャラ、左を見やれば出展企業のコスプレコンパニオン。眼前に現れ「◯◯◯◯(これは企業名であったりブース番号であったりはたまた「初音ミク」というあいまいなジャンルだったりする)どこですか!!」と尋ねる来場者の肩には、どこぞの企業でもらったであろう美少女全面のショッパー。

 どこをどう見回しても美少女、美少女キャラクターだらけなのである。この一点こそコミケを異界たらしめている主要素であると僕は考えている。

 

 傍目から見れば「天国か?」と思うかもしれない。とんでもない。「美少女の洪水」は重大な感覚の麻痺をもたらす。

 考えても見てほしい。自らの意思にかかわらず、次々に名前も知らぬ美少女たちのイメージの嵐にさらされるのである。「名前は知らないがまぁかわいい娘だ」という感情をn回(nは任意の自然数だが、おおむね100は超える)抱くと、次第に「かわいい」という感情すら摩耗する。残るのは「女がいる」という認識のみで、しかし漫然と性欲だけは体内に残存する。それは当然のことで、近年の美少女キャラクターは繁殖欲求の喚起をもたらすデザインを志向しているからである。

 個々の美少女を個別に認知できなくなり、周辺情報としか認知できなくなる。この状態を「美少女の環境化」と個人的に呼称している。

 「今季のアニメのキャラくらい全員名前知ってて当然だろカス」と思ったそこのあなた。リリース前のソシャゲのヒロインの名前を全員分正確にそらんじることができるだろうか?その性格は? 趣味は? 担当声優は? ゲーム内スペックは? スリーサイズと初見で直感した体位は? ていうか好みのタイプ? 要するにそういうことである。

 

 「美少女の環境化」は本当に恐ろしいものだと思っている。とりわけ恐ろしいことは、射精が漫然なものになることである。

 対象を正確に認識し、詳細を理解し、然るべき文脈を想起することで、手淫は最大限の効能を発揮することは、諸兄にはご存知のとおりであろう。だが、「美少女の環境化」はまず最初の「認識」を阻害するものである。我々は人の足音や車のクラクション、けたたましく可動する空調の音では欲情しないし、欲情したら特段の変態である。

 環境では射精しない。だが先にも述べたが、性欲は残る。セッションは都度破棄されるが、メモリは着実に圧迫される。放置すればメモリーリークが起こり*1、これを人間に置き換えればレイプや痴漢になる。ゆえに、リークを起こす前に射精するのだが、先にも述べたが環境では射精しない。よって、「射精すべきだから射精する」というトートロジーをもって射精する羽目になる。

 このような現象がいかに惰性的で、怠惰に満ち、ひどく悲しいものであるかは、惰性的射精を経験した全ての諸兄には理解できるものであろう。もし理解できないあなたは幸運だ。常に射精に対し真摯であり続けてくれ。

 

 上記のような経緯をたどると、2日目を終えて風呂に入っているあたりで苦渋の手淫に踏み込むことが多い。一番印象に残ってるのは「開会前に目の前を横切ったチノのコスプレしたコンパニオンさん、いい香りがしたな…」という郷愁にふけりながら射精した3年前の夜だろう。あれは悲しかった。チノというキャラクターと、ハタチは超えてるであろうコンパニオンさんとのアンビバレント。「二律背反はシコれる」という確信を得ながらも、虚しさに涙した一夜。まぁ、それはそれとして。

 このような環境化にともなる惰性的射精もさることながら、環境化した美少女はかなり冷静な視点で見てしまうことも多く、それがかなり心苦しい。

 「やはり看板娘はピンク髪か茶髪なんだな」「この黒髪ロングはどのMF文庫Jが参考かな」「やはり金髪ツインテは平坦」「このメガネはどこへの配慮だ?」ーーそんな視座を僕は良しと言いきれない。解体された豚の丸焼きに神秘性はない。

 コミケスタッフをしていたことは肯定的にとらえているが、このような見方を得る景気を作ってしまったのは、僕の人生設計における致命的ミスである。「エロ漫画家やエロゲンガーは勃起もせずに局部を描ける」とはよく聞くものの、業界人ですらない一介のオタクが近似の能力を得て、いったいなにになるというのか。

 ゆえに、いまから強いてコミケスタッフになりたいと考えている人には、上記のようなリスクがつきまとっていることは念頭に置いてもらいたい。そして、おそらく「美少女の環境化」は、強い意思をもって現場に立てば防げるはずだ。それは、眼前の名も知らぬ美少女との恋愛成就から初夜に至るまでを、迅速かつ正確に想起する力ーーハードルは高いが、ジェダイの騎士のように強い意思さえあれば、大望を成し遂げられるというものである。

 

 『IS』というアニメ化ラノベがある。主人公の織斑一夏は、女性しかいない「IS学園」に転入し、「唯一ISを起動できる男性」として活躍し、ヒロインたちの好意をほしいままにしていく。2010年の初頭にて『魔法少女まどか☆マギカ』と覇権を争い、後に「石鹸枠」という作品体系の基盤を生み出した、歴史的一作である。

 織斑一夏の朴念仁ぶりはすさまじく、若かりし自分は「なんだこいつホモか?」といぶかしんだものである。

 だが、いまになってわかる。織斑一夏は「美少女の環境化」を引き起こしているのだ。幼馴染の篠ノ之箒、高貴な英国令嬢のセシリア・オルコット、中国国籍の幼馴染その2の凰鈴音、元男装少女のシャルロット・デュノア、眼帯軍人気質の勘違いガールなラウラ・ボーデヴィッヒ……時代を席巻する勢いだった美少女たちも、「女子校」という異常環境に身をおいたが故に、「環境」としかみなせなくなったのである。殊に思春期の男子たる彼にとって、これはまぎれもない悲劇である。

 我々はいつだって、織斑一夏になってしまう危うさを抱えている。だからこそ、我々は善き射精を求めて、虚しい格闘を続けざるを得ない。女性を環境とみなしてはいけない。それは、僕らに与えられた最後の挟持なのだから。

 

 そのようなことを考えられる12月29日を迎えられる今年は、とても平和であるにちがいない。その一方で、平和ではない年末を有明で過ごす人々がいる。

 今年のコミケもぜひに頑張ってください。1日目の夜に抱く、偽らざる気持ちである。

*1:これは完全に余談なんですけど、GCの頻度ってどの程度であれば「問題なし」とみなせるもんなんですかね? 当方ザコJavaマンで負荷試験はペーペーのぺーです。