うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

異世界スマホという「祈り」

  アニメを視聴すると少なからず感情が芽生える。

 喜び、怒り、悲しみ、興奮。

 そういった感情は、作品に対する思い出として紐付き、ときに絶賛の口調として、ときに罵倒の口調として、人々の前に表出してくるものである。

 しかし、ごくまれに、そうした「視聴中の感情」が、まるで生じない作品に出会ってしまうことも起こりうる。

 喜びも、怒りも、悲しみも、興奮も。

 まるで死者の心電図のように、波打たぬ感情。30分間は起伏のない時間であり、すなわち「無」である。それは往々にして「退屈」へと収斂しがちだが、徹底された平坦は、「退屈」をも通り過ぎて「安らぎ」へと変ずる。

 そうしたアニメと出会うのは容易ではない。個々人にとって、なにが「無」であるか、そして「安らぎ」と感じるかは、まるで異なるからだ。だが、そのようなアニメと出会えたとしたら、それは幸運であろう――あなたは、毎週30分間の「祈りの時間」をえたのだから。

 

 僕の場合、今季の「祈り」とは、『異世界はスマートフォンとともに。』(以下「異世界スマホ」)である。

 

 異世界スマホには歴史的価値がある。おそらく世に出た最初の「典型的なろう異世界転生小説アニメ」だからだ。

 これまで、「小説家になろう」から映像化にたどり着いた異世界転生作品はいくつかある。だが、その多くは、大なり小なり「定型からずらそう」という意図があった。今季の同期の一人『ナイツ&マジック』も、ハイスペックな主人公を用意しておいて主軸に据えているのが「ロボット開発」であり、「典型的異世界転生」をイメージして視聴すると「おや?」と小首をかしげるだろう。

 だが、異世界スマホは、異世界転生というフォーマットに極めて忠実に作られている。

 主人公が、神さまの手違いで死に、お詫びに全能力を最強にしてもらって、そのままの姿で異世界へGO。転移先ではチヤホヤ大活躍。

 この美しい流れを寸分違わず実施する、それが異世界スマホの魅力である。

 定型から逸脱しない美しさを前にした時、感情の起伏は極めて少なくなる。期待以上にも期待以下にもならぬ、虚無にも近しい姿形。それを30分眺める時、心のあり方はたしかに、「祈り」に似ている。

 

 また、異世界スマホはその動きも美しい。徹底して無駄を省き、省きすぎた結果物語上の振幅も一部スポイルする、未来的な所作を示しているからである。

 異世界スマホの物語をシンプルに表現すれば「RTA実況動画」である。眼前のイベントを最速で消化し、サクサクと次のステージへと進む、効率性の具象化ともいえる物語だ。

 必要以上のドラマは作らず、そして複雑化させない。「王様のグラスにだけ毒を塗って毒殺を図る」という、シンプルすぎて逆に深読みしかねない推理を、パパっとこなして次のイベントへ進む。先に待つのはもちろん、異世界の住人による賛美である。

 そんな「整地された歩道を最短距離で走る」ような動きを前に、興奮も起きないがストレスも生じない。そして「物語とはなにか」という問いが生まれ、やがて「祈り」へと変わるのだ。

 

 異世界スマホを視聴する30分間、僕の中からは一切の雑念が消失する。

 ただただ、平穏に流れていく30分。それは、座禅を組んで瞑想するよりも「無」に接近できる時間である。

 わたしは何者か? わたしはどこから来て、どこへ向かう?

 虚無から生じた祈りは、内面から一切の波紋を消し去り、やがて宇宙と一つになる。それは、究極の「やすらぎ」である。

 情報過多、感情過多なアニメであふれる昨今において、その身で「祈り」を体現する異世界スマホは、まさに現代が求める物語の一つの到達点と言えよう。このようなアニメに出会えたことを幸福として、今日も僕は生きていく。

 

 そして、異世界スマホ視聴から1時間後、開けたばかりのワイン瓶からワインが消えた。