うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

アリス・カータレットの再生産

 僕は今、『きんいろモザイク』の世界にいる。

 僕、とはいっても、エロゲヒロイン1年目である今の僕は、小柄なツインテールの少女だ。金髪は諸事情で黒く染めている。今の僕に求められるのは、「目を引く美少女」ではなく、「一介のモブ少女」だからだ。

 机の上で筆記用具を整えながら、前方を観察する。アリス・カータレットだ。この物語の主要人物の一人。今の僕よりも一回り小さく、きゃいきゃいと動く姿は、愛らしい小動物のようだ。周囲には、大宮忍、小路綾といった友人がいて、にぎやかな立ち話をしている。

 彼女たちの動きを注視しながら、ノートと教科書を取り出し、3限の化学の授業に移動する準備を「見せかける」。ほどなくして予鈴が鳴り響き、教室にいる生徒たちがにわかに動き始める。

「アリス、行きましょう」

「うん!」

 大宮忍がそう声をかけると、アリス・カータレットも教科書を胸に抱いて席を立つ。ウェーブがかった金色のツインテールがふわりと跳ねる。その動きだけでもだいぶ魅せられる。僕もエロゲヒロインとして、見習うべきところがあるかもしれない。

 だが、今の目的は、学習ではなく収奪だ。

 彼女たちが教室から出払ったのを見計らい、僕も椅子から腰を上げる。教科書を抱え、スカートのすそを払いながら、先ほどまでアリス・カータレットが座っていた席へと近づく。

 そこで筆箱からわざと鉛筆を一本落とす。カラン、という小気味良い音が響く。

 それを気にかける者は誰もいない。この世界では、主要人物以外の描写はないに等しい。一介のモブ生徒の所作は、ほとんど背景も同然だ。

 床に落ちた鉛筆を拾うため、その場にしゃがみ込む。何気ない動作。だけども集中力はありったけ注ぐ。

 目を皿のように。虹彩をスキャナーのように。教室の床に、落ちているであろうものを探し――果たして「それ」はあった。

 まばゆく輝く、絹糸のような一縷の光。アリス・カータレットの毛髪だ。

 指先でそっと取り上げ、先ほど落とした鉛筆以外に何も入れていない筆箱へ収める。そして鉛筆も拾い上げ、ゆっくりと立ち上がる。

 あたりを見渡せば、教室はだいぶ人がはけている。ほとんどが次の教室へ移動したのだろう。なんでもない、ごく普通の「学校の風景」が、ここが俗に「日常系」と呼ばれた作品の世界なのだと再認させられる。

 足早に教室を出る。向かうのは次の教室ではなく、この作品の外。

 階段を下り、校舎の1階へ出て、そのまま玄関口へと向かう。下駄箱から取り出したローファーに履き替え、何食わぬ顔で玄関の外へ歩き出す。堂々たる欠席行為に見えることをしでかしても、モブキャラには注意が向かない。そもそも描写すらされていないのだ。その行為は存在しないに等しい。

 悠然と玄関から校門へと脱出すると、タイミングを見計らったように、目の前にハイエースが現れた。

「うまくいったか?」

 運転席のフロントドアガラスがゆっくり開き、中からピンク色ツインテールの女の子が話しかけてきた。紛れもなく、それはエロゲヒロインの父だった。

「これから電話してピックアップしてもらうと思ってたんだけど」

「モブキャラなら正面玄関から出ても気にかけられない。教えたのは父さんだろ?」

 そんな会話をしながら、僕が助手席に乗り込むと、ハイエースは再び動き出した。

 

   * * *

 

 水槽の中に、アリス・カータレットが浮いている。

 金色の髪に、とても小柄な身体。閉じられた目は碧眼。円筒形の水槽に収められた姿は、たしかに西洋人形のようだ。

 だが、彼女はアリス・カータレットになることはない、と父は言った。

 僕らを乗せて『きんいろモザイク』の世界から走り去ったハイエースは、父の運転のもと街の郊外へと進み、さらに山奥へと移動していった。鬱蒼と木々が多い茂る場所まで車を走らせると、「いかにも」な地下への入り口が現れ、その入り口から階段を降りていくと、そこは「いかにも」なラボラトリーだった。

 ちょっとしたバイト――『きんいろモザイク』の世界へ侵入し、アリス・カータレットの髪の毛を一本くすねる、という依頼を父から受けた時、正直ろくでもないことだとは思っていたが、こんな怪しい場所へ来るとは予想だにしていなかった。

 面食らっていた僕をよそに、僕が拾ってきた髪の毛は、ラボラトリーのスタッフによって見るからにSFな機械にセットされ、ほどなくして培養槽の中に人間が生成された。それがアリス・カータレットであると気付いたのは、機械が稼働してから5分ほど経ったころだった。

「……ここでは『クローンヒロイン』を作成しているんだ。今人気のアニメやゲームの、その中でも人気のキャラクターのクローンを、な」

 姿形がそっくりの別人。そういったヒロインと共演したことはあった。だけど、よもやこんな方法で「作られて」いたとは、露ほども考えていなかった。

「だから、この子はアリス・カータレットのクローンではあるけど、アリス・カータレットにはならない。まったく別の人格を与えられて、エロゲヒロインとしてデビューするんだ」

「……具体的に、この子はどうなるか知ってる?」

「父さんが聞いてる範囲では……日本とカナダのハーフで、ちょっと片言、名字が『金剛』になる、ってとこかな……」

「それで、名前は『カレン』にはならず?」

「あぁ。この子はカレンじゃなくて、アリスだからね」

 本当に「極めてよく似た別人」になるのか。そんな設定にしてしまう感覚が、少し不思議だとは思った。

 水槽は目の前のものだけではない。少し離れた水槽には、胸がひどく大きくなっている宇治松千夜が入っている。少し先には結城明日奈のような子が、もう少し先には城ヶ崎美嘉のような子が、もう少し先にはレムのような子と、涼風青葉のような子が。

 みんな、ここ最近人気のヒロインたちだ。だけども、彼女たちは一人残らず「本人」になることはなく、全く別の存在として生を受ける。エロゲヒロインとして、主人公とセックスをするために。

 ふと、自分の髪型に触れる。

 黒髪ツインテールの美少女ヒロインである今の僕にとって、「ツインテール」という要素は、半ば記号だ。「黒髪」「貧乳」といった要素もまた記号となる。それらの「記号」は、どんなキャラクターであるかを端的に示すサインだ。

 目の前の少女も同じだ。「金髪で、碧眼で、小柄な、外国人の少女」という要素の複合が、「アリス・カータレットの記号」として存在している。本当はそんなに単純なキャラクターではないはずなのに、特徴的な要素を抽出することで、ある種のテンプレートになる。「アリス・カータレットのような女の子」というパッケージになる。それは、商品そのものであり、商品の取扱説明書でもあり、あるいはブランドでもある。

 それ自体が記号的で、ゆえに最もユーザビリティなヒロイン。そういったことなのだろうか。

「まぁ、たまにはこういう仕事もあるってことさ。それに、エロゲヒロインとして、ここは見せとくべきだと思ってな」

 そういって父はスタッフから渡された日給入りの封筒を手に、地上へと戻っていく。

 僕も長居する理由はない。父の後を追う――直前に、もう一度水槽を見やる。

 アリス・カータレットのクローンは未だ眠ったままだ。会話することは叶わない。

 けれども、異なるキャラを与えられてデビューした彼女と共演する機会があったら、聞いてみたいことはある。

「――君は本当に、アリス・カータレットじゃないのかい?」

 

 

 

   * * *