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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

ありがとう。フリップフラッパーズ。 〜『フリップフラッパーズ』全13話を終えて〜

PUBLISH アニメ

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 2016年の秋は、振り返れば豊作の秋となった。

 とうらぶ、ドリフ、ユーリ、ユーフォ、ガリナン、競女、卓球娘、イゼッタ、ビビスト、まほいく、舟を編む……どれもこれも粒ぞろいで、各作品を往復する楽しみが味わえる、豪奢な3ヶ月となっただろう。

 そんな飽食の渦の中で、僕はただ一つの作品に全てを注いでいた。『フリップフラッパーズ』。それが、今期で最も僕を夢中にさせてくれた作品の名前だ。

 つい昨日、最終話を迎え、今の僕はかつてないほどの虚無感に包まれている。フリフラのない木曜日が来ることが信じられない。とにかく、毎話が冒険で、圧倒的な破壊力を有し、視聴後には言語を失う。そんな素晴らしい体験を毎週味わえたのだから、僕は幸せである。

 間違いなく今年一番好きになったアニメになったが、終わらせ方にはやや疑問が残る箇所もあった。だが、それすらも「視聴者への宿題」と思えるほど、ポジティブに受け止められる。なにより、この3ヶ月の素晴らしい体験を鑑みれば、大いにお釣りがくるほどだ。

 だからこそ、冬を迎える前に、『フリップフラッパーズ』(以下、「フリフラ」)の魅力を伝えるプレゼンテーションを記しておく。そして、以下に続く全文を端的に現したことばが、標題となる。

 

1. 圧倒的な作画

 フリフラの魅力の一つは、すさまじいほどの作画だ。

 「作画がよい」という表現は、多くは「作画枚数が多い」という意味として用いられる。なるほど、「このアニメ動かねえ」という嘆き・嘲笑が跋扈する昨今において、ぐりぐり動く映像はそれだけで価値があると言えよう。

 だが、フリフラにおいて「枚数」はもはや基礎事項である。フリフラにおける作画の素晴らしさは、「重み」「繊細さ」にある。

 

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 まずは「重み」。このアニメは、変身した主人公たちが敵と戦うシーンが数多くある。その戦闘時の動きの一つ一つに、全体重を乗せるかのごとき「重み」を感じられるのである。

 パンチ一つにしても、繰り出す側の全身を使った動き、直撃時の衝撃、直撃後の吹き飛び、その全てに「勢い」「空気のゆれ」といったものが如実に感じられる。その1カットたちがつながることで、映像自体が強烈なインパクトとなって、網膜を焼き、脳を揺らしてくるのである。大気をも震わせる原始的な重みだけで、このアニメは視聴に値すると言ってもよい。

 

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 そして「繊細さ」。特に、女の子たちのほんの些細な所作が、非常によく描かれている。

 制服のプリーツスカートを整えるしぐさ、寝返りを打ちながら見せる表情、そんな1カットも手を抜くことなく細かく描かれている。そして女の子同士の距離が近い。近づけ方も絶妙。思わずため息が出るような、彼女たちの息遣いが聞こえてくるような映像が、雪崩のように押し寄せてくるのだから、脳髄が焼ききれること必至である。

 「重み」も「繊細さ」も、ただ枚数を重ねれば生み出せるものではない。一つ一つの画作りが丁寧だからこそなせる技である。その上で枚数まで担保している。フリフラは、極上の映像体験を地上波で次々と送り込む、規格外の一作なのだ。

 

 

2. めまぐるしい美術設計

 作画と並んで、フリフラは美術面でもとかく高品質だ。

 作品全体として、色合いは明るく、色使いはかなりポップでビビッドである。背景の描き込みも相当であり、軽い気持ちでスクショを撮ったらデスクトップになっていた、なんてこともめずらしくない。

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 ほら。1話の時点でこんなものがポンポン飛び出してくる。マジパねえ。そんな心地になれる。

 というのも美術部門専任のスタジオに発注しているらしく、なるほどプロ中のプロの御業というわけである。だがそれ以上にすごいのは「各話ごとに異なるイメージを発注している」という話である*1。いわばほぼ全ての美術要素が「1話使い捨て」という可能性が濃厚ということである。明らかにリソースの注がれ方が狂っている。そして、それは非常によろこばしいことである。

 ちなみに、6話は背景の緻密さのみならず、色の使い方を強烈な演出として機能させているすばらしい1話なので、ぜひ観てほしい。

 

 

3. 言語化不能なジャンル

 フリフラに対する第一印象として、おそらく最も多いと思われるのは「魔法少女」だろう。公式HPのトップ画像や、あらすじを眺めていると、特にそれを感じるだろう。だが、実は公式で打ち出しているジャンルは「SF」である。事実、フリフラは後半へ進むにつれて、SF的側面(ともすればSCP財団的)を見せてくる。

 では、本作のジャンルは「SF魔法少女」なのか? 答えは否。本作を一言で定義できるジャンルはおよそ存在しない。強いて言えば、「フリップフラッパーズ」というジャンルである。

 というのも、まず前半戦たる1〜9話まで、ほぼ全ての回がまるで違うジャンルなのである。

  • 1話:ガールミーツガール/ジブリ/童話的冒険
  • 2話:サイケデリック/シャブキメ体験
  • 3話:北斗の拳/変身ヒロイン
  • 4話:無人島百合
  • 5話:百合ホラー
  • 6話:タイムリープ/老人とのハートフル物語
  • 7話:自己問答としての形而上セックス
  • 8話:巨大怪獣 vs 合体ロボ/水着回
  • 9話:レズ悶着/幼馴染の叫び

 誇張ではない。本当に、本当に各話のジャンルがまるで違うのである。

 一応「百合」が基本骨子にはあるのだが、毎週異なるジャンルで殴りかかってくるため、予測不能回避不能という強烈な状況に叩き込まれる。しかも、各ジャンルともにギャグ的に茶化すことなく全力投球してくる。直撃すれば大怪我必至。無論、百合に弱ければ弱点特効によりK.O.である。

 この変容する姿こそ、フリフラの最たる特徴といってよい。様々なジャンルをせわしなく横断する光景は、「冒険」というコンセプトにこれでもかとマッチし、視聴者を興奮と混乱の渦へ連れて行ってくれるのである。毎週の視聴が冒険に変わる。こんなに楽しいことがあるか。

 常に心地よいカテゴリーエラーをもたらすアニメは、そうそう出会えるものではない。そのエラーを百合とともに叩き込まれれば、言語を失うというものである。フリフラが「電子ドラッグ」と呼ばれた所以は、まさにそこにある。

 

 

4. 突き抜けるエモーション

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 上記までの要素でも十分だが、なによりフリフラの恐ろしいところは、説明を省いたエモいやり取りだけで、話がグイグイと進むところにある。

 パピカとココナ。この二人はフリフラの中心人物にして、最強クラスの百合オーラを放つ特異点である。この二人が「好き」だの「嫌い」だの言うだけで話が進む。実は設定にはむちゃくちゃ複雑な要素があるのだが、そんなもの説明せずとも、ふたりが顔を見合わせるだけで全てが自明になる。

 そう、ジャンルは毎回変わるけど、この作品の本質は「ガール・ミーツ・ガール」で完全に一貫している。究極的には、フリフラ全13話は「二人の女の子が仲睦まじくしている」だけで成立し得る。そのくらい二人の密度はすさまじい。表情や仕草の繊細な描写や、書割っぽくない実に小気味よいセリフによって、その百合レベルは確実に強度を増し、破壊力を高める。4話以降、二人のやりとりは毎回致死量に達する。

 おしゃれアニメ感、背景の小難しさ、といった心理的ハードルも、パピカとココナが手を取り合って歩くだけで簡単に乗り越えられる。そして言語を失い、両手を合わせることしかできなくなる。フリフラは、端的に言って「エモーションの怪物」である。

 

 

5. 幼馴染の到達点としてのヤヤカ

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 パピカとココナはこのアニメの主砲だが、彼女らに匹敵(あるいは凌駕)する存在として、ヤヤカというキャラクターは特筆に値する。

 ヤヤカは「ココナの幼馴染」として登場し、以後、パピカとココナの前にライバルとして立ちはだかる存在だ。だが、彼女は単なるライバルではない。その本質は「不憫な幼馴染キャラクター」であり、かつその(シナリオ的な)逆境に負けない「強い幼馴染」なのである。

 事実上の敵役に位置しつつも、ヤヤカにとってココナは唯一無二の親友であり、常にその身を案じている。そして、突如現れてココナを魅了した「運命の女」たるパピカに対し、彼女は真っ向から立ち向かう。

 

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「こっちはなぁ、お前が会うよりずっと前から一緒なんだ!!」

 

 9話でヤヤカがパピカに向けて放ったこのセリフは、フリフラ内で完結するセリフではない。およそ全ての「メインヒロインに敗北する幼馴染ヒロイン」たちの叫びである。そして、メタ的事情の笑いを一切引き起こさない気迫をもたらすのが、ヤヤカというキャラクターの真骨頂である。

 9話に至るまでの葛藤、そして、葛藤を乗り越え純粋に「ココナのために」文字通り体を張る姿は、この物語における主人公といっても過言ではない。その熱さ、勇ましさ、愛おしさは、幼馴染キャラの歴史に刻まれるべき逸材だ。

 

 

6. 「彼女たちの冒険」は続いていく、ということ

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 そして最終話であるが、これはなかなかに感慨深い「宿題」となった。

 後半から回収されだした伏線のうち、一部は回収されないまま、全てを解決したパピカとココナは再びピュアイリュージョンへ旅立つ、という形でこのアニメは幕を閉じる。その終わり方は若干謎が多い。後半の怒涛の展開を思うと、やや「発散」して終わった感は否めないものであり、実際最終回を機に「気に入らない」という感想に着地する人も見受けられる。

 ただ、5〜6話上映会にて、押山清高監督は「あくまで主役は事情を知らない女の子なので、全てを説明するわけではない」という話をしていていた。そのことを踏まえれば、むしろ「最後どうなったのか?」という観点にフォーカスしないのは自然な流れと言える。

 そしてなにより、「二人の冒険は続いていく」ということが、なによりの肝であろう。

 僕ら視聴者は、フリフラを通して、「パピカとココナの冒険」に全13話同行することができた。それが素晴らしい体験であることは、上掲のとおりだ。だが、僕らはずっと同行することはできない。最終話を区切りに、二人は僕らを置いて旅立っていく。これが世の常である。

 そう考えると、最後に登場した世界*2から、パピカとココナが飛び立つという幕引きは、非常に感慨深い。彩度が暗く、建物も無機質なあの世界は、いわば「視聴者の世界」と見立てられるからだ。「視聴者の世界」にピュアイリュージョンは存在しない。だからこそ、ピュアイリュージョンを冒険したいと願ったココナは、パピカとともに「視聴者の世界」を去るのだ。これ以上となく明るいキャラクターソング『OVER THE RAINBOW』とともに。

 「彼女たちの冒険」は続いていくこと。それは、僕らと彼女たちの間には、乗り越えようのない断絶が存在することを、改めて教えてくれる。夢の終わりを提示する最終回は、示唆的で、さらに寂寞感をもたらす。そして、それが「僕らの夢の終わり」としてではなく、「彼女たちの旅立ち」として祝福し得るものなのだと教えてくれる。

 すばらしい冒険の最後に残された宿題に対し、僕たちはきちんと解答を用意するべきだろう。そこまで含めて、フリフラという物語なのである。

 

 

総括

 圧倒的な快楽と、極上のエモーション。そして、後にも引き続ける最終話。

 どれをとっても思い出深い。作品のあり方そのものが唯一無二で、「毎週言葉を失う」という体験は、おそらく人生で初めてだと思う。

 映像、音楽、演出、キャラクター、声優、どれをとっても「ここがよかった!」と言えるので、毎週幸せになれたのはそのためであろう。荒削りな要素もあったけど、それを上回る熱量が随所に感じられ、制作陣の「やりたい!」という気持ちがダイレクトに伝わる心地よい作品でもあった。

 なにより、これほど勢いのある作品を毎週放送し続けたことが、なによりすごい。あらゆるリソースを、ウィークリーで惜しげもなく投入し続けた姿勢こそ、僕がなにより賞賛と感謝を贈りたいものなのだ。

 だからこそ、あらためて、この楽しい「冒険」と、それを世に送り出してくれた全ての人達に、この言葉を捧げたい。

 

 ありがとう。フリップフラッパーズ。

 

 

フリップフラッパーズ 1 [Blu-ray]

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*1:5〜6話上映会にてチラッと話があった。

*2:おそらく「『ピュアイリュージョンが存在しなくなった世界』のピュアイリュージョン」というのが可能性として一番高い。