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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

『ずっと前から好きでした。』の応援上映が、アマゾンの秘奥探検だった件について

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 『ずっと前から好きでした。 告白実行委員会』という映画が公開されている。通称「告白ハニワ」ともいい、どことなく白石監督の新作のようにも見えるが、HoneyWorksというクリエイター集団*1が手掛ける作品群の映画版とのことである。

 この映画の「応援上映」に行った。いま見ても不思議だが、「応援上映」が存在するのである。

 原作があるらしいが、一切知らない。応援しようにも応援どころがわからないし、そもそもこんなメロドラマチックなタイトルの映画でなにを応援すりゃいいのか、まるでわからなかった。無論、ハニワというグループも初耳である。

 それでも観に行ったのは「主演の戸松が邪悪」という某氏の主張に興味をそそられたからである。もっとも、その某氏とともに突撃したのだが。

 

 シアターの中に入ると、すでに大勢の若者で席が埋まり、各々がサイリウムを振り回していた。この時点ですでにめまいがした。青春恋愛モノでサイリウムは振れるという事実が、めまいを催した。

 しかしそれは序の口。新海誠の新作『君の名は。』の予告が流れ終わった途端、タイトルに反応したのか「名はなんだー!!」と叫び出す客が現れ、さらに強いめまいをおぼえた。タイトルに反応するってなんなんだ。野球のヤジか。

 と、ここで気づく。これは純度100%の応援ではない。ヤジを飛ばしたいだけの輩、とにかく「ただ騒ぎたい」欲求で溢れているのだと。しかも、「自分はおもしろいと思っている」とうかがえる手合いなので、これはヤバイなと察せられた。

 その後も、予告映像の段階で思い思いのヤジが飛び交い、まるで可聴化されたニコニコ動画のように思えた。「ニコ厨で埋まっている」と思うとすさまじい地獄である。本編に入れば落ち着くかと思ったが、アニプレックスのロゴに対して「アニプレックスありがとー!」と叫ぶ輩も現れ、限界ここに極まる、である。

 

 

 さて、肝心の本編だが、一言で説明すれば「複数の片思い学生が告白に至るまでを描く群像劇」に落ち着く。

 メインに据えられているのは、ローソンクルーのあきこちゃんみたいな髪型をした戸松遥と、真っ当なイケメン役の神谷浩史である。戸松が冒頭でいきなり告り、それを取り繕って「告白予行演習」と言ってしまう、というお話の流れである。

 おそらく以下の楽曲が土台なのだろう。*2

 まぁまぁスタンダードな恋愛モノといった趣きで、片思い期間が妙に長いのも、告白の醍醐味をプッシュするための計らいであろう。戸松と神谷以外にも2ペア、そして戸松に片思いする「元・男の娘」とかいう危険設定を与えられた代永翼が登場する。

 で、この戸松が「邪悪」という話なのだが、「邪悪」という初見認識をマイルドに噛み砕けば「人間」である。

 どういう女なのかといえば、片思いの男とちょっとケンカした直後、「今日のライブめいっぱい楽しんでやるー!」と叫ぶようなメンタリティを持ちつつも、別の男に迫られたところを片思い男に見つけられて泣き出しその翌日に「告白予行演習」と称して「好き」なんて言ったりするような、そんな感じの女である。

 好きなったエピソードを掘り返してみれば、幼少期からあれこれと助けてもらったり、わがままを聞いてくれたことに恩を感じ、やがて恋愛感情になったという様態で、「依存強くね?」と直感する。「わがままだけど一緒にいたい」という気持ちはまぁありなのだが、将来「私と仕事どっちが大事なの!?」と言いそうな手合いなので、素直には笑えない。というかエピローグでそれをやらかしかけてるので「はぁ?」となった。

 そんな「人間らしいなぁ(≒平面なキャラクターではないなぁ)」という気持ちに。不快感が上乗せされると「邪悪だ」という感想になる。

 まぁそんな感じでこの戸松がたしかに邪悪であったのだが、順当なイケメンを感じる神谷は異様にかっこよかったし、代永翼の方はシアター内で悲鳴が上がるほどの切ない立ち位置で、憐憫の情を感じた。「この邪悪のおかげで彼が生まれた」と思うと、尊さ半分、哀れ半分といった心地だ。

 他にも、梶裕貴と阿澄佳奈のペアについては、ヘタレ童貞丸出しな梶裕貴の転換はもちろんのこと、清廉を極めた阿澄佳奈とかいう有形文化遺産が破壊力ばつぐんであった。身も蓋もない言い方をすればめっちゃかわいい。男女問わずシアターから「か”わ”い”い”い”い”」という悶絶が響くほどにはかわいい。「なんだこの最高なメスは!」というのは当方の率直な感想です。

 

 一方、告白応援については、予告映像と変わらぬヤジの飛び交いで、なかなかに地獄であった。

 告白絡みのシーンでは「がんばれー!」というシャウトが共鳴し、「告白応援とはこのことか」といたく感心した。しかし同時に「恋バナで盛り上がる中学生」みたいなノリも感じてしまい、薄ら寒さはおぼえた。さらに「こんな青春してねえよ…」みたいなぼやきも聞こえてきたので、つまるところこの応援上映は、「他人の恋路を肴に盛り上がる冴えない人々の馬鹿騒ぎ」なのだと実感した。

 そして、明らかに求められてないようなヤジを一人でぶん投げる光景も、相変わらず見られた。統制という文化など存在しない。思い思いに「(自分は)おもしろいコメント」をぶん投げる文化は、さすが可聴化ニコニコ動画か。

 

 総じて見ると、映画本体は「こういうのがウケる層はあるよなー」といった程度で、戸松の動向に癪が触る箇所が多い以外は、可もなく不可もなし、という着地点に落ち着く。

 だが、応援上映については、「応援とは名ばかりのただのヤジ」が飛び交う限界集落であり、これが今のインターネッツ・カルチャーなのだと思うと、寂寞が募るばかりである。

 応援上映といえばキンプリだが、流れてくる画像やルポからうかがえる統制っぷりを思い出すと、まさに烏合の衆ともいえたのが告白応援ハニワである。とはいえ、キンプリ応援上映にすら身勝手なヤジが飛び交ってたという話も聞くので、つまるところ応援上映というシステム自体が、招かれざる「騒ぎたがり屋」につながるのであろう。

 そもそも、「告白の応援」という体裁自体が、やかましい「コメント」を残す土壌にはなっているし、というかこれをやかましいと思わない文化圏があるはずなのである。たまたま僕がそこから離れた位置にいた、ということであろう。

 異なる文化圏の視察といえば聞こえはいいが、実態としては「アマゾンの秘奥探検」であり、藤岡弘、が数人はほしい現場だった。あらかじめビールを買っておけば生き残れるくらいのアマゾンなので、機会と気力があればもう一度足を運びたい…とは思える。シラフでノー応援上映は勘弁してほしい。さもなくば榎本夏樹を殺しかねない。

 

 どうでもいいが、僕の行った5/7の応援上映が「初回応援上映」だったらしい。上記文章はもう一度ある前提で書いたが、果たしてもう一度あるのだろうか。

 

*1:HoneyWorks - Wikipedia

*2:「そもそもどういうメディアミックスなんだ」という疑問は公式サイトで解消するとベター。告白実行委員会 ~恋愛シリーズ~