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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

チノの口調が綻びる時

 会社に丁寧な口調の人がいる。常にですます調で話し、一人称は「私」で一貫している。口の悪い自分は見習うべき人なのだが、その人と同じ案件に関わっている時のことだ。

 この人が実装した箇所で少しトラブルが起きた。調べてみると設定値がよくないようで、社外でそのことを知らされた僕は急ぎ電話した。
 事の仔細を電話で伝えると、彼はしばらく黙りこんだ後、か細い音量でつぶやいた。
「……俺、こんなの書いたっけ」
 口調が崩れた。一人称も変わった。今まで見たことのない側面が、顔をのぞかせたのだ。
 この「綻び」としか言えない現象を見るのが、僕は結構好きだったりする。
 
 人に「綻び」が生まれる時はどんな時だろうか。真っ先に思い浮かぶのは、切羽詰まった時である。
 普段は丁寧な言葉遣いな男性がいたとしよう。誰にでも丁寧な話し方で、おだやかな口調の人だ。そんな人が、ある日突然、殺し屋に目をつけられる。必死に逃げるものの、体力は消耗し、やがて袋小路に追い詰められる。振り返れば拳銃を手にした殺し屋の姿。絶体絶命。彼は思わずこう叫ぶだろう。
 
「ちくしょう、なんで俺が」
 
 窮地は人の綻びを生む。危機的状況は、時に人を大きく変質させる。
 だが、この法則が通用しない場合もある。それはフィクションだった場合だ。
 
「なぜ、いったいなぜ、私が」
 
 先ほどの男性な「丁寧な言葉遣い」という設定を与えられたキャラクターだった場合、殺し屋に追い詰められた時のセリフは間違いなくこれだ。人と違って、キャラクターは「不変であること」が、かなり容易に遂行できる。
 つまり、「オネエである」という設定であれば、殺し屋に追い詰められた時のセリフはこうなる。
 
「ウソッ、ウソッ、どーしてアタシが」
 
 あるいはそのキャラクターがイヤミだった場合はこうなるだろう。
 
「なんで、なんでザンス、なんでミーなんでザンス!」
 
 だからどうというわけではないが、キャラクターは「綻び」が生まれにくいような気がする。
 
 危機的状況と同じくらい「綻び」を生むのは、「どうでもいい」という感情だと考える。
 とてつもなくしょうもない。意味がない。関係がない。そんな話を聞かされれば、誰だって対応がおざなりになりがちだ。そこに「綻び」が生まれる土壌が存在する。
 例えば、ごちうさのチノである。誰に対しても常に丁寧語。落ち着いた口ぶり。作中でもその口調が崩れるケースは多くないし、思いっきり綻んだのはウイスキーボンボンを食らった時ぐらいだ。
 そんな彼女も、「心底どうでもいい」と思う時があるだろうか。
 想像してみよう。ラビットハウスの仕事を終え、父と交代した直後の時間帯だ。せっせと彼女は夕食の支度を始めるだろう。今夜のメニューはシチューだ。そこにココアが現れ、台所をうろちょろしながらチノに話しかける。
 
「今日はココアおねえちゃんがシチューを作ってあげましょう!」
 
 ドヤ顔のココアをよそに、ジャガイモを洗いながらチノはこうあしらうだろう。
 
「いえ、結構です」
 
 チノもまたキャラクターである。「口調が丁寧」という設定は、やすやすと破られることはない。
 では、チノの設定が崩れ、おざなりな口調になるほど「どうでもいい」と思わせる状況とはなにか。カギはココアの発言にあるはずだ。
 やはり夕食の支度をしている最中だ。シチューを作るため、ジャガイモを洗っている時のことだ。ココアが何気ない顔をして現れ、チノに話しかける。
 
「水前寺清子が『チータ』って呼ばれているのはね、水前寺清子の本名は『タミコ』で、背も小さかったから、『小さなタミコ』から転じて『チータ』ってみんなに呼ばれていたことが由来なんだけども、それはそれとしてスーパーでアジの干物が10%オフだったんだよ」
 
 何気ない顔だ。えばるような口調でもない。まるでひとりごとのような語り口だが、顔は間違いなくチノの方を向いている。
 だからなんなんだ。少しだけイラッとしつつも、そんなことで怒るのも馬鹿らしい。
 きっと彼女はジャガイモを洗う手を止めず、ココアの顔も見ることなく、こう返すだろう。
 
「へぇ」
 
 その瞬間に彼女の「綻び」が生まれるのである。
 
 人は時して「綻び」を生む。キャラクターもごくたまに「綻び」が生じることがある。
 作中でチノの口調が綻ぶことはほとんどないだろう。だけども僕は、チノの口調が綻ぶ瞬間が見たい。チノに限らず、いろんな人の「綻び」を見たい。「綻び」を見た瞬間、その人の奥行きがより一層広まりそうなのだ。