うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

僕は20年間ポケモンのシナリオプレイを一番楽しみにしている、という気づき。

 20周年というメモリアルイヤーにあわせて、ポケモン新作「サン/ムーン」の発表と、初代のバーチャルコンソールが発売された。

 

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 たった数分の映像だったのに、僕の心は一気にポケモンへ傾倒した。ポケモンセンターに趣き、おもむろにVC青を買ってしまったし、「狙い撃ちにされてる」と自覚しながら初代リスペクトアメニティも買ってしまった。キーチェーンは獣系アイコンだった。もちろん3DSに装着した。

 つまるところ、僕は平成生まれのポケモンリアルタイム直撃世代。まだ小学校にも上がってないころに、ゲームボーイをカチャカチャしながらカントー地方を駆け抜けた身なのだ。

 加えて言うなら、幼稚園時代から社会人時代まで、おおよそ断続的に接触しているコンテンツは、後にも先にもおそらくポケモンのみ。寄り道こそすれど、どっかしらのタイミングで戻ってくる。やれガンダムだのインターネッツだのクソアニメだの、いろんな文化圏を渡りつつも最終的に戻ってきているのだから、ある意味ホームグラウンドなのだろう。

 僕の根本にはポケモンがある。そんなことを感じた週末だ。

 

 ところで、僕は「ポケモンはシナリオプレイを一番楽しんでいる」ということに最近気づいた。

 個体値厳選に励んだこともあった。コンテンストに精を出したこともあった。図鑑埋めに尽力したこともあった。

 けれども、毎回新シリーズが出るたびに楽しみにしているのはシナリオであり、より正確に言えば「シナリオをプレイすること」なのだ。

 なぜだろう。それはやはり、「全く同じシナリオプレイはない」からだと考える。

 大枠のシナリオはもちろん同じだが、ポケモンは役者をプレイごとに変えることができる。言うまでもなく、その役者は手持ちのポケモンたちだ。

 シリーズをプレイして毎回楽しみにしているのは「どんなパーティを組もうか」ということだ。

 最初のポケモンはこの子、じゃあこの子を補うのはこの子かな、あっでもこの子気に入っちゃった……というチョイスの楽しみ(≒悩み)。そしてそれぞれに、出会った時の思い出や、道中の思い出が付加されていく。

 殿堂入り後に得られるのはチャンピオンの称号だけでなく、そこまでに至るポケモンたちとの物語なのだ。それを想像し、醸成されている過程が、僕は好きなんだと思い至った。

 

 ポケモンと聞けば「厳選!パーティー構築!メタ!」みたいなイメージも浮かぶ人もいるだろう。それも本質だし、そんな人たちがポケモンを支えている。みんながポケモンというシリーズのファンだ。

 けれども、「本編を遊び楽しむ」ということを、ポケモントレーナーはたまに忘れがちだ。というか僕は忘れかけていた時期もあった。過酷な育成競争に飲まれると忘れがちになる。

 だからこそ、僕はあらためてこう言おうと思う。

 ポケモンのシナリオを楽しむのもいいぞ、と。

 強さに縛られずにポケモンを愛でるのもいいぞ、と。

 誰もが最初に接した「ポケモンとの物語」を、復刻初代と新シリーズ発表にあたり、もう一度大切にしたいと思った、そんな20周年である。

 

 余談だけど、ポケモンをやっていると、「直接描かれていないものを想像する力」は身につくような気がする。

 パーティポケモンとの出会いとか、道中を歩いている最中の光景とか、ゲーム中でノベルゲーのように描かれることはないから、無限に想像補完ができてしまう。それを繰り返していると、「わずかな要素から拡大解釈する」という能力を得てしまう。戦闘中に「きゅうしょに あたった!」と出るだけで最低100文字くらいのテキストが生まれる。

 そのせいでどうというわけでもないけど、妙な解釈をして脳内二次創作を生んでいるような気もする。ブログを書けば勇者パンチはビビッドパンチだと主張できてしまう。それは決してウケ狙いなんかじゃない。どれも僕の想像から生まれた物語だ。