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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

ガラスの花の見立て方 〜『ガラスの花と壊す世界』感想〜

PUBLISH アニメ 映画

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 『ガラスの花と壊す世界』を見てきた。というのもインターネッツの知り合いから口々に「お前は見に行け」と突かれていたからである。

 彼ら曰く、「見どころは皆無」「カントク絵が最低限のシナリオで動くくらいの価値」「SF版ごちうさ」などなど。「そびえ立つクソを佐倉綾音の演技で支えている」というのもあった。なにそれ大火事かよ……みたいな野次馬根性が働いた。というわけで、「カントク絵が動くきれいなごちうさが見れればいいか」というバイアスをかけて鑑賞した。

 そして抱いた感想は概ね下馬評通りではあったが、「いける」というサムズアップ感があった。というか、いい具合のウェルメイドで潤った脊髄と、「あれはなんだったのだ?」という脳機能のフル回転ぶりは、かの『結城友奈は勇者である』を見た時の心地に近いところまできていた。

 つまり、『ガラスの花と壊す世界』けっこうよかったです。

 ではなぜそう思えたのか。鑑賞後に買ったパンフレットも見ながら考えたのは、「ガラスの花」というキーワードの見立て方だ。「少女の物語」についてメタい視点から観てみると、ところどころで腑に落ちるものがあった。

 以下では、作中で「きれいなもの」と言われている「ガラスの花」の見立て方を中心に、『ガラスの花と壊す世界』の感想を記していく。もちろんネタバレ有りなので、初見感を大事にしたい人はお戻りいただければ。

 

女の子たちがキャッキャする物語

 まず最初に、本作のあらすじを改めて見てみる。

無数の光が色とりどりにきらめき、浮遊している無重力の空間――「知識の箱」。そこには幾つもの世界があり、幾度の時間があり、幾多もの人がいた。デュアルとドロシーの2人はそこで敵と戦っていた。敵、それは世界を侵食する存在――ウイルス。ウイルスに汚されてしまった世界は消去しなくてはいけない。それが彼女たちの役割、彼女たちの仕事。あるときデュアルとドロシーは新たなウイルスの出現を感知する。そこにはウイルスに襲われている少女がいた。少女を救った2人は、静かに彼女の目覚めを待つ。少女は何者か――どこから来て、どこへ行くのか。やがてその少女が目覚めた。その少女は「リモ」と名乗ると、ひとことつぶやいた――。「お花畑に、帰らないと……」。 *1

  こう見てみるとディストピアサイバーパンクにも見える。しかし、そんなガチなSF要素は本筋とは言いがたい。本作のコアとなるのは、あくまで「かわいらしい少女」だからだ。

 

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 「SF版ごちうさ」というのは煽りではない。作中では「保存された各時代・場所のデータを渡り歩く」という体裁で、メインの3人の少女が楽しく、かわいらしげに旅行していく。さらに彼女たちは、電子仮想世界に自分たちの家を作り、「たのしい日常生活」を営み始める。

 やってるのは以下のようなことだ。

 

  • 東京の三鷹あたりで喫茶店に入って甘いものを食べる
  • 大英博物館っぽいところをめぐる
  • カヌーで河を下って滝を眺める
  • 砂漠をラクダで横断してピラミッドを見る
  • イタリアや中国などでうまいものを食べる
  • バンジージャンプをしてみる
  • 雪景色の日本でかまくらを作る
  • 学校を卒業してみる
  • 手料理を作ってみんなで食べる
  • 一人が演奏するピアノを聞いて癒される
  • 和室でお手玉で遊ぶ
  • お菓子を作って庭でティーパーティーを開く
  • 野球をする
  • ベッドの上でトランプ遊びをしてそのまま寝る(お泊り会)

 

 その光景は、場所や時代に縛られないごちうさと言ってもいいものである。その「ごちうさパート」が、10分近く続くのだから、ここを見どころとして無視するのは不可能だろう。

 このパートで見出だせるのが、上掲のシーンそれぞれが、「美少女を数人集めて作りたい物語の類型」なのではないかということである。数多存在する「少女の物語」の集合体が、本作の短い時間に凝集されているのである。

 言ってしまえば、本作は美少女で作り得る物語のアーカイブとして機能している。よりにもよってカントクというドル箱絵師の作画で、劇場作品ならではの芳醇な背景描写力によって、このアーカイブが運営されているのはすさまじい。

 そんなことしてどうするの? そんな疑問がまず浮かぶが、重要になるのは、類型を集めていることそのものと、その後に続く展開そのものにあると考える。

 

「きれいなもの」を集める存在

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 作中における最重要人物は、おそらくリモ(CV:花守みゆり)である。

 彼女が記憶を失い、アンチ・ウィルスソフトウェアのデュアル(CV:種田梨沙)とドロシー(CV:佐倉綾音)に見つけられることで物語が始まるが、中盤にてリモは、電子世界を構築するOS「ViOS」の検索エンジンであることが発覚する。

 彼女の役割は、地球環境保全ソフトウェア「mother」の指令によって、バックアップされた各時代・世界のデータから「きれいなもの」をサーチし、回収することである。

 作中において、「きれいなもの」は世界のバックアップから抜き取られる形で回収される。それによって、欠けたデータの補完のためにバックアップが活性化してしまい、「mother」が対処のためにデュアルとドロシーの仕様変更を行い、欠けた世界をウィルスとして駆除するように仕向けている。

 この時、リモが回収し、デュアルとドロシーが駆除したものとはなにか。その代表格こそ、上記に無数存在する「美少女がキャッキャする物語」ではないだろうか。

 幸せで、なんの喪失もない物語。言ってしまえば日常系のキャッキャウフフな感じの、カントク絵が映えるおはなし。作中冒頭にてデュアルが消去したのが、まさにそんな物語であり、それをリモという検索エンジンが回収しているのである。

 そして、リモが「きれいなもの」と呼ぶ物語の象徴こそ、「ガラスの花」なのである。

 最終局面で、デュアルとドロシーはリモの本来の居場所である「お花畑」にたどり着くが、そこで咲いているのはガラスの花である。いわばここが、リモという検索エンジンが作り上げた、「喪失なき少女の物語」のデータベースと見立てられる。

 

役割固定キャラクターとしてのプログラム

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 リモが「喪失なき少女の物語」を回収し、蓄積する存在だとするならば、デュアルとドロシーの立ち位置とはなんなのか。デュアルの「私たちは命令に従うだけ」という言葉から、それはおそらく「少女の物語のキャラクター」ではないかと思われる。

 デュアルもドロシーも、自らがプログラムであり、その仕様のみに従って動くことをよしとしている。デュアルが世界を消去した後、世界の住人だったスミレのリボンのみ消去できずにいるのを、ドロシーが見咎めるのもそのためである。

 彼女たちは役割を遵守し、己の意思で物事を決定できない存在である。「私たちはプログラムだから」という言葉がその最たるものであろう。

 いわば物語序盤の彼女たちは、「mother」のひとつの理想であり、リモが作り上げるガラスの花畑の住人にふさわしい存在である。さらに、2人は「mother」によって仕様を変更され、偽装されたアップデートを行われ、住人として最適化を施されていたことが判明する。

 「少女がキャッキャする物語の住人」たるデュアルとドロシーが、どのように変化していくか。ここがキャストも掲げる「見どころ」のひとつではないだろうか。

 

喪失と変化を許すということ

 ガラスの花とはなにか。美しいのはもちろんだが、なにより不変だ。本物の花と比べて香りはないし、腐ることもない。そして、一切の色を失っている。

 美しく、不変で、だけどカラーを失った物語。リモが集める「少女の物語」とは、石浜真史監督の言葉を借りれば「均一的に美しい作品」となるだろう。

 すなわち、『ガラスの花と壊す世界』というタイトルは、「均一的に美しい不変の少女の物語で席巻する」ということになる。まるできらら逆張りかよと思ったりもするが、ごちうさが覇権を握る現状は、ガラスの花が咲き誇る花畑にも見えるかもしれない。

 だが、デュアルとドロシーはそれをよしとしない。終盤、ウィルスに侵食されたデュアルは、「リモと世界を守る」という自らの意思で再起動を実行し、「ViOS」を通じて自らとドロシーをダウングレードさせる。インストールした直後の姿に戻った2人は、「mother」による更新=喪失なき物語への最適化を、全てリセットするのである。

 直後、2人の変化によってリモの中に仕込まれた自動フォーマットプログラムが起動されるが、リモがスミレ(=「ViOS」の象徴)と母(=「mother」の象徴)に問いかけ、自身をウィルスと見なさせることで、デュアルとドロシーに削除される。これによって電子世界は守られ、物語は幕を閉じる。

 かくして、デュアルとドロシーはリモを喪い、自ら意思を決める存在へと変化する。OSと仕様に従うだけのプログラムはそこには存在しない。2人は、美しい不変の物語から解放され、喪失と変化を許されるキャラクターとして歩み出しているのだ。

 

まとめ

 『ガラスの花と壊す世界』の最後でなされていることとは、「ガラスの花」そのものの破壊に他ならない。

 デュアルとドロシーという「不変なフィクションの少女」は、喪失と変化を獲得した、本物の「花」となったのである*2少女の喪失と変化を肯定的に捉える物語が、『ガラスの花と壊す世界』なのではないだろうか。

 このような見立てをしてみると、思った以上に本作がストンと受け止められた。「花」の刹那性と、「ガラスの花」の不変性は、やはりデュアル、ドロシー、リモの3ヒロインにおいて無視でいないイメージであり、そこに着目してみると、よい鑑賞ができると思われる。

 

余談

  • 「映画館で見る気にはならない」という感想は割とごもっともなところがある。ただ、背景美術はガチできれいなので、一度はシアターという潤沢な環境で観てほしい。高品質モニターがあるならそれでもいいかもしれない。
  • ドロシー役の佐倉綾音の演技力は間違いなく必聴モノ。高くも低くもない「素の佐倉綾音」に近しい声で、ここまで真に迫る演技を聞けるのはすごい貴重で、間違いなく佐倉綾音ベストワークにカウントできる。ラストシーンの絶叫とか特にね。
  • 作中にて説明のない設定や世界観多し。「キャラクターの感情に注力したかったから世界観は語らせてない」とは監督談。とはいえ「言わなきゃわかんねーよ!」レベルな設定も説明なしなので、さすがにはしょりすぎとも思う。全員がパンフレットを買って補完してくれる人種ではない。
  • 特にリモの元存在と思われるリモーネが、「mother」開発者の娘であり、スミレの孫であり、しかも環境テロリズムで死んでるという設定は、注意して映像を見ないと見落とすレベル。それをきっかけに「mother」を作った…という設定はもうちょい詳細に見せてもよかったとは思ったり。
  • 某氏曰く「カントク絵がそのまま動く作品だからパンフと劇場BDでペイできるよ」だが、補完の意味合いもこめて最低でもパンフは買ったほうがいいかも。カントクが好きな方なら、まぁマストバイなんでしょう。
  • 今思うとPVの時点でガチSFな気配が漂っていてPV詐欺なきらいがある。
  • なお、原案ではデュアルとドロシーに相当するキャラクターが「兄弟のような男の子2人」だったらしい。リモはそのまま。でもロリ感は薄い。
  • 「ViOS」の命名由来となったスミレ、の花言葉は「謙虚」「誠実」「小さな幸せ」。紫色のスミレも含めると「貞節」「愛」もある。デュアルを突き動かした存在にこの花言葉、なにか関連してないだろうか。
  • SF的なテーマは「人類の再創造」なんだろうか。「AIの自我獲得」は古典だけども…

*1:Introduction|劇場版アニメ『ガラスの花と壊す世界』Official site

*2:この本物の「花」に、石浜監督はパンフレットにて「本質的におもしろい物語」という言葉をあてがっているように見える。