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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

「いいね」のサムズアップ感をTwitterに持ち込むということ

 ☆が♡に変わっていた。それだけの出来事だけど、それだけの話ではないのが実情だ。

 

japanese.engadget.com

 

 とりたてて騒ぐつもりはないけど、思うところはあるので雑記がてら書いていく。

 

 Twitterのお気に入り、あるいは「ふぁぼ」が星マークからハートマークに変わった。これに「押しにくい」「気持ちわりい」「えっちに見える」という文句が飛び交ったのが今日のハイライトだ。

 僕自身もTwitter使用歴が6年目に突入しているオールドボーイであり、馴染み深い☆が♡に変わったことにはなかなか困惑している。

 とはいえ「UIの変更」は慣れの問題だと思っている。これまでも「そのアイコンはねーだろ」みたいな文句を垂れたことは数知れないけど、1ヶ月も経てばたいてい気にしなくなっていた。機能が同じならそれでいいのだ。

 だけども「仕様の変更」となると話は違ってくる。慣れる場合も多いけど、少なくとも「お気に入り」が「いいね」に変わったことは、埋めがたい断絶をもたらすと思う。

 

 「いいね」というとまずFacebookが連想され、自動的にリア充というイメージに結びつく。

 個人的に抱くイメージは、日に焼けた兄ちゃんがサムズアップしながら「いいね!」と笑顔で声をかけてくる様子だ。

 このサムズアップ感に怯む。人との距離感を縮めようとする意識が感じられるからだ。ネガティブな言い方をすれば、パーソナルラインを土足で踏み越えていく、そんな感覚がある。

 僕はこの感覚がヘドが出るほど苦手で、「ザッカーバーグ死すべし」と密かに思っていたりする。そして同種の気持ちは、インターネッツの特定地域の住人は共有しているものだと思っている。

 まぁ、サムズアップがFacebook内で完結する分には問題はない。これがTwitterに持ち込まれ、「お気に入り」に上書きされたことが焦点だろう。機能は変わらなくとも、意味合いが変わってしまうと、ヘタな仕様変更よりもユーザーが動揺するはずだ。

 

 一方の、上書きされた「お気に入り」は、「物を扱う」という感覚が強い。

 それはシールを箱に貼り付けていくような感覚で、感情の往来は微小だけども、コンテンツとして価値を認めているような意識の動きがある。ぶっちゃけドライではある。

 こんな意味が内在しているからこそ、「ふぁぼれよ」という乞食行為が成立して、ネタツイや大喜利といった「お気に入りをかき集める行い」が流行したのだと思う。

 好意を集めると鼻につくけど、物を集めるならむしろ妥当。そんな感覚が「ふぁぼ」にはあるのだと思う。

 そもそも、「お気に入り」はブラウザのブックマーク由来のことばだとは思う。今でもIEをインストールすれば、ブックマークボタンには星が輝いている。あれだって、サイト管理者にサムズアップするために使われるものではない。

 長くふぁぼを「集めて」「与える」身からすると、それが中の人へのサムズアップにつながる文脈に切り替わるというのは、居心地がいいとは言いがたい。

 

 日本だけでなく海外でも「星に戻せや」という声はあるようだ。だが少なくとも「ふぁぼ」と呼び、「ふぁぼれよ」ということばが通じ、星を投げ合うような文化圏は、やはり世界全体で見れば少数派には違いない。日本の一部のキチガイの声というわけでもないけども。

 とはいえ、プロフに個人情報を書くタイプのゆるふわアカウントからは「お気に入りのとこの♡マークかわいい〜」なんてツイートが寄せられているし、徐々に浸透していくのだろうとは思う。

 ☆が♡に変わったことをネタにして「いいね」を稼ぐようなノリがじきに生まれるだろうし、インターネッツはそうやって少しずつ変わりながら続いていくだろう。しかしながら、「お気に入り」が「いいね」に変わったことで、これまでとは決定的に違う瞬間も訪れるのだろうなと、少々の不安をおぼえる。

 それを不安と感じるあたりが老害めいているし、抗いようのない非リアの血筋が流れている、ということでもあるけど。

 

 余談だけど、はてなブログはまだはてなスターが生き残っているし、この「いいね」騒動をきっかけにはてなブログに移住する輩がいないかと内心ドキドキしている。

 あまりにも媒体が違うのでそういないだろうけど、☆が見れるインターネッツ、そろそろ数が少なくなってきているんじゃないだろうか。