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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

劇場版ラブライブ!を4周してみて思ったことの雑記

アニメ 映画 CLIP

 劇場版ラブライブ!4周目を終えた。すでに30周した人もいるみたいなので大した回数ではないが、これまでの人生では最も多く映画館で観た作品になった。

 この作品を見て言いたいことはすでに以前の記事で言いまくったが、周回ごとに小粒な発見や思索は増える一方だ。放っておくと忘れそうなので、マッドマックスとかGEとか空戦とか禁呪イベとか空戦とかマッドマックスが降ってくる前に備忘録として残しておく。

 

[過去に言いたい放題言ったこと]

wasasula.hatenablog.com

 

女性シンガーについて

 CV:高山みなみの女性シンガーについては各所で正体の考察が行われていると思うが、概ね「未来の穂乃果」あるいは「ifな穂乃果」で意見がまとまっているように見える。穂乃果と同一視する根拠はセリフなどが主だが、よくよく見てみると目の形状や瞳の色などが穂乃果と近しい点も、目の描き分けを行なうラブライブ!においては有力な根拠になるだろうか。

 では「女性シンガーは穂乃果である」という仮説が正しいとして、なぜ彼女は同一存在である穂乃果の前に現れたのか。もはや四方山話にすぎないが、以下のような仮説が考えられる。

  • タイムトラベラーとして過去の自分を導くために現れた。
  • 平行世界の自分を導くために現れた。
  • 困窮した穂乃果にだけ見えた幻。
  • 穂乃果の回想によって脚色された存在。

 どれもこれもラブライブ!が別のジャンルに行ってしまいそうで妄想の域を出ない。

 個人的には「なんらかの形で事故死*1するも、歌い続けたいという意思の強さで亡霊として残り、それが平行世界を渡って本編中の穂乃果の前に現れた」という説を思いついたが、いろいろなんだかわからないことになる。「ホテル前の十字架の影って『ゴースト』じゃね?」という意見を耳にした影響が大きい。

 また、女性シンガーが歌っていたのは『As Time Goes By』で、古くから歌われているジャズの超有名曲だったりする。『カサブランカ』で歌われているのが有名だけど、さて本編と『カサブランカ』の共通項とはいかに。とはいえ「いくら時が経っても色褪せない日々」として、μ'sの活動を総括する意図で引用されてきた可能性高そうだし、「後の回想による脚色説」が有力なのかもしれない。

 

時系列について

 卒業式から海外行って戻ってきてからライブを2回もやれるのか問題。とりあえずタイムスケジュールを考えてみた。

  • 3/3:卒業式*2。海外オファーが告げられる。
  • 3/5:NYへ出発(本編冒頭の空港シーン)
  • 3/5〜3/9:NY編*3
  • 3/9:帰国〜秋葉原到着、穂乃果の家で状況把握
  • 3/10:「解散か継続か」のくだり。部室シーンからA-RISEリムジンまで。
  • 3/11〜3/13:数日思い悩んだ末、女性シンガーと再会まで
  • 3/14:穂乃果、合同ライブ提案。*4
  • 3/15:メールに対する返事。近場(東京内?)には会いに行くことに。
  • 3/16〜3/23:合同ライブ準備期間*5
  • 3/24:合同ライブ前日準備(秋葉原で設営と学祭的な催し)
  • 3/25:合同ライブ当日
  • 〜3月末(3/30?):解散ライブ*6

 書いてみて思ったが、こんな超突貫スケジュール、いくら超高校級のスクールアイドルを揃えたところで無理じゃないのか*7。まぁ空港まで一瞬でダッシュできるような世界で「こんなのマジでかんがえてどーすんの」という感じだけども。

 

A-RISEについて

 なんとなくアニメ版では、彼女たちの背後に衣装や楽曲を作成するチームでもいそうな印象だったけど、合同ライブに向けた準備期間で、あんじゅは衣装、ツバサは曲、英玲奈は歌詞の作成に関わっている。このことから、彼女たちもスクールアイドルとして、衣装や楽曲をセルフメイクしている可能性が見えた。ミシンをかけるあんじゅは「あっ、スクールアイドルなんだな」という納得に満ちている。

 あと、「お互いに強引なパートナーを持ったわね」というあんじゅのセリフから、穂乃果とツバサは人格は違えど近しい存在だとうがかえるし*8、彼女に引っ張られることりとあんじゅも相似形であるとうかがえる。そうなると、海未と英玲奈も相似なのでは?みたいなことを思ったり。

 あー、A-RISEのスピンオフ出ないものか。そのくらいの「意外な側面」を感じた。

 

「継承」という要素

 劇場版ラブライブ!には「継承」というテーマがあると思っている。A-RISE、μ'sをスクールアイドル第1世代とすると、後に続く雪穂や亜里沙は第2世代ともいえる存在だという見立てだ。「私たちがいなくなってもスクールアイドルは続いていく、というわけね」というツバサの言葉が印象的だ。

 まぁ劇中でうかがえる継承は本当に音ノ木坂学院だけなのだけど、かつての部室は「アイドル研究部」という名とともに引き継がれ、9人の活躍は今でも語り継がれ、ドーム大会という形でスクールアイドルそのものも継承されていることがうかがえるのは、しんみりだけど最高にエモい。今日気づいたのは、新入生に語る亜里沙が抱えているノート、あれ真姫の作曲ノートじゃないのかということ。表紙が同じだし、もしかするとバイブルとして受け継がれているのかなぁ…なんて考えるとひどく感心してしまう。

 そうなると俄然気になるのはサンシャインで、あれ時系列はどうするのだろう、という疑問。「伝説的スクールアイドルのA-RISEとμ's」みたいな語られ方するのかなぁ。

 

不可能を乗り越える物語

 とりわけ劇場版であらためてプッシュされてきたのは「どんな夢も叶えられる」という主張で、裏を返せば「不可能を乗り越える物語」として描かれているなぁ、ということである。1期における挫折の象徴として描かれた「雨」を、2期はいともたやすく止ませてみせるあたりは強く描かれているように、まさに奇跡へ至る物語だった。

 「不可能を乗り越える」というよりかは「困難を乗り越える」というか。劇中での象徴はおそらく「池」だと思っていて、幼少期の穂乃果はそれを飛び越えてみせたと。だからこそ「いつだって飛べる。あの頃のように」というフレーズが出てくるわけで、実際に穂乃果は「みんなが期待してるから続けるべきでは?」という苦悩を、「後続も輝ける場を生み出して自分たちは去る」という形で昇華させた。つまり困難を乗り越えたということになる。その象徴描写が「花の咲き誇る場で大きな池を跳び越える」だなと。

 その果てに生まれた「SUNNY DAY SONG」は、「どんなことも乗り越えられる気がするよ」と高らかに歌い上げる、2期からのスタンスが具現化したような歌なのである。最後の困難を乗り越えてこの曲が流れる瞬間、本当に全能感に満ちていて、カタルシス全開。「どんな夢だって叶えられる!」と迷いなく言い切れるこの姿勢こそラブライブ!だなぁと再実感させられる。

 このあたり、英雄譚的というか、ある意味神話のようにも思えてきて、そうなると雪穂と亜里沙は神話の語り部としての役割を担っていることになる。エンドロールの脱ぎ捨てられた練習着が表すように、μ'sは「かつていた存在」となり、もうそこにはいない。しかし、残された者たちが物語として語り、部室に代表される痕跡を受け継ぐことで、後代にも伝えられる。

 いつまでも芸能界で光り続けられる今までのアイドルとは真逆な、生まれては消え、そして引き継がれるというスクールアイドルのあり方が、劇場版では提示されているなぁと感じられ、とにかくそこが好きだ。花は散っても種は残り、再び花は咲く。そんな有り様を「神話的」というと少し誇張かもしれないけど、後の者たちに「スクールアイドルとはなにか」と提示し、「ひとつの光」として道を指し示しているのではないかなぁと思う。

 

 

 書きたいことは書いたので筆を置く。振り返ってみると、僕は劇場版ラブライブ!はシナリオがいいとかキャラがかわいいとかじゃなく、ある種の全能感に浸りたいから4周もしたんじゃないかと気づく。至高の暴力体験のマッドマックスのように、「どんなことも乗り越えられる気がするよ」と思える全能体験として、この映画は最高なんじゃないかと思う。早く円盤がほしい。

*1:女性シンガーに会うために道路を渡ったシーンがあったが、あそこで穂乃果が車に轢かれて死ぬ可能性もあるのではと思った。

*2:全国的に卒業式ってどのくらいの時期に行なうのか。母校はこの時期だったけど、3月末にやるところもあるのかしら。

*3:スノハレ突貫工事ばりのことをやった前提。

*4:この日に全国へメールを送り、ツバサとの会談までやったんじゃないかとは思う。

*5:参加ネゴ、楽曲・衣装作成、参加者への歌とダンスレクチャーなどなど。並行して解散ライブの準備もしていた可能性。

*6:合同ライブの後日からこの日までノンストップ練習だった前提。

*7:とはいえ南・園田・西木野のμ'sクリエイティブトリオに加えて、それと同等スペックな可能性のあるA-RISEもいれば、あるいは・・・?

*8:穂乃果はイノシシ、ツバサは女帝、というイメージの差異がある。