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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

【ネタバレ有】咲き誇るスクールアイドル 〜『ラブライブ! The School Idol Movie』を観に行ってよかったという話〜

 『ラブライブ! The School Idol Movie』、観に行ってきました。

 公開日初日、奇声を上げながらサイリウムをふりまわす人が現れないかなぁと期待しながら劇場へ足を運んだのですが、15時の新宿ピカデリーは思ったよりも平和で、ごく普通の満員御礼シアターとなっていました。

 そして今日、池袋に2周目へ突入して今に至ります。

 これがなにを意味するか。劇場版ラブライブ!は最高だったということです。

 2周したのは単によかったというだけでなく、2期13話をリアルタイムで目撃し、すさまじいショックを受けた身のため、初見時はかなり警戒していたんですよね。しかしまぁ、結果としては杞憂だったと。1年間縛られていたラブライブ!に対する呪いにも似た期待から、ようやく解放された次第です。

 2期最終話からずっとラブライブ!の映画を待ち望んでいた人にとって、今回の劇場版は満足のいくものだった。これは当然のこと。しかし、この映画を一番観て欲しい人種は、あの最終話を前に「校門を出ろや!」と罵倒し、音ノ木坂を呪った全ての人たちに他ならない。怨嗟に対するひとつのアンサーとして、劇場版は存在すると言ってよいでしょう。

 以下、思いっきりのネタバレを混ぜつつ、劇場版ラブライブ!についての所感を記していきます。まだ観に行ってない方! ぜひ劇場へ足を運んでください! 最終話から時が止まってる人! 今からでも遅くない! もう一度μ'sの物語を見届けよう!

 

いわゆるNY編について


「ラブライブ!The School Idol Movie」劇場本予告(90秒ver.) - YouTube

 予告の段階から執拗にプッシュしていた劇場版のシナリオは「海外でライブだ!」というもの。ミニスカ着物に扇子の組み合わせを前に「吉原かな」という感想が目立ったものですが、2周してみてこのNY編は「息抜き回」に相当するものだなと感じました。放映前PVはミスリードというわけです。

 内容としては、あの校門前かよちんテレフォンの直後、「今度のラブライブはドームで開催するからμ'sのみんなでスクールアイドルブームを煽ってくれ」という思惑で、海外からのスクールアイドル取材に応じる形で海外ライブやるぜ!というもの。まぁ2期のハロウィン回をスケールでっかくしたものと思えばいいでしょう。

 あとはいつも通りの9人を描きつつ、最後にPVでも使われたライブシーンを持ってきてNY編は終了。穂乃果が「ライブ楽しかったね!」と総括して、まぁ9人最後の思い出になってよかったね的な話になる。ここまでは劇場版けいおん!みたいなものです。

 とはいえこのNY編、押し込められたネタの数々が1期2期を彷彿とさせたため、Aパートとも呼べるNY編は1期と2期の要約だったように思います。つまり、これまでのラブライブ!を、海外というより巨大な舞台で再演することで、「ラブライブ!というコンテンツは大きくなった」ということを示すパートになるんじゃないかなと。

 その反響として、帰国後のお話が待っているわけです。帰国後のBパートともいえる話こそ、劇場版の主軸になるでしょう。

 

続けるか、終わらせるか

 帰国した9人を待っていたのは、名も知らぬ人からのサインねだり、μ's一色に染め上がった秋葉原。海外ライブが日本でも反響を呼び、ただの高校生だった穂乃果たちは一躍有名人となってしまう。浮かれるのも束の間、「解散するという話をまだみんなに打ち明けてない」という問題が鎌首をもたげ、さらにはことりマッマが続けてほしいと告げてくる。さぁ、どうしよう? というのがBパートのあらましになります。

 そう、中心になるのは「μ'sを続けるか終わらせるか」という、2期でも持ち上がったテーマになるのです。

 2期で「3年生が卒業したタイミングでわたしたち9人はおしまいね」という結論には至ったものの、最後の最後で校門から学校へ引き返したからこそ、2期最終話は賛否両論になったのですが、劇場版後半はこの問題を引き継ぎ、「なぜすぐに校門から出れなかったのか」という疑問への解答を提示するものになっている。

 人気が出たコンテンツは、続くことを望まれる。畳んでしまえば、期待している全ての人を裏切るかもしれない。このジレンマが、9人に重くのしかかる。とりわけ穂乃果は明確な意見をすぐに出せず、直後に再会したA-RISEの「私たちは期待に応えたいから続ける」という宣言もあって、相当に悩むことにある。

 ひとつの責任感ですね。ある世界の頂点に立った以上、その世界を率いていく責任があるのではないか?ということに、穂乃果のみならずμ's全員が苦悩する。彼女たちはもはや「No brand girls」ではなく、スクールアイドルにしてトップアイドルのμ'sになってしまったのです。

 しかし、最終的に穂乃果を含めて、全員が「スクールアイドルとしてここで終わりにする」という結論に至る。実に1年越しに、2期11話の宣言が貫徹されるわけです。あの最終話を素直に喜べなかった身としては、改めての「終わりにする」という宣言がどれだけ嬉しかったか。この一点こそ、劇場版が最高たる所以です。

 その上で、自分たちが駆け抜けてきたスクールアイドルというジャンル・場を、さらに盛り上げて存続させるために、全国のスクールアイドルを巻き込んで合同ライブを開くという最後の無茶に挑むわけです。帰国後に突きつけられた責任感を、「後続が走る道を最大限に熱する」という形で昇華させていく。その結果は、3年生となってアイドル研究部の主軸となった雪穂と亜里沙の口から語られるわけです。

 この後半の疾走感ある流れも、ラブライブ!というコンテンツそのものの今後について描いていることは想像に難くないでしょう。μ'sの物語を終わりにしつつも、ラブライブ!というシリーズそのものは、次代に引き継ぐ形で残していく。その後継者たちの物語として始動しつつあるのが「サンシャイン」なのでしょう。

 「μ'sの物語」ではなく、「スクールアイドルの物語」として、ラブライブ!は続いていくことを指し示して、劇場版は幕を閉じます。こうした物語を総括した結果が、「叶え!みんなの夢――。」になるのではないでしょうか。

 

「花」としてのスクールアイドル

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 劇場版を通して、「スクールアイドルは限られた時間に生きる存在」というテーマが強くプッシュされている。他ならぬ穂乃果の口から直接語られるところなので、そのウェイトは相当に重いと見積もってよいでしょう。

 そんな「一瞬の存在」としてのスクールアイドルは、劇場版においては「花」とひもづけることで印象付けられていると思います。

 

wasasula.hatenablog.com

  アイドルとは「スター」とも言い換えられ、「星」は輝き続ける永遠の象徴として用いられることが多い。比較対象になりやすいアイマス(とりわけ先日アニメ化したシンデレラガールズ)では、星のモチーフはかなりプッシュされていたように思います。

 なぜ星なのか。アイドルには永遠性が求められているからではないでしょうか。

 帰国直後の真姫のセリフに、「見ている人にはスクールアイドルであるかどうかなんてどうでもいいのよ」というものがあります。直後のことりママの発言も考慮すれば、「純粋なアイドルとして続けてくれればいい」という願望があるのだ、という意図にも感じられます。言うまでもなくそれは作品の外部から寄せられた期待の暗示であり、これが校門から出れなかった一つの原因でしょう。

 しかし、穂乃果たちは「私たちはスクールアイドルだ」と宣言し、解散という選択肢へ進むわけです。この選択をするにあたり、おそらく重要になるのが、女性シンガーと再会した直後の心象風景です。

 冒頭の幼少期エピソードを元にした「池を跳び越える」というシークエンスを行なう場は、一面に花が咲き誇る場でもあります。この場面で穂乃果が跳び越えるのは「続けるか終わらせるか」という問題であり、跳躍そのものは「卒業後もアイドルというスターとして進む」という選択との決別です。そんな場で舞い上がる花びらは、μ'sが「花」として散る=スクールアイドルとして終わらせるということを暗示している、と解釈することができるでしょう。

 その後の合同ライブではひたすら紙吹雪が舞っているのですが、この形状が花びらに近いんですよね。直前で穂乃果が花びらを拾い上げる場面とあわせて、スクールアイドルとしての散り際を描いているように見えます。そして、解散ライブの舞台は巨大な花の上。スクールアイドルとして大輪の花を咲かせた9人が、最後に咲き誇る場であることを示しています。

 このように、「永遠の輝き」としてのアイドル像に対し、劇場版は「花」を用いることで、「一瞬の輝き」としてのスクールアイドル像を視覚的に押し出しています。「儚いからこそ鮮明に記憶に刻まれる」というひとつのメッセージとともに、「アイドルとスクールアイドルの違い」を再提示する場として、劇場版は機能していると考えてもよいでしょう。

 

1年かけて見せてくれた答え

 上にも述べたが、僕は2期の最終話にはマイナスの意味でショックを受け、「あの場で全て終わらせてくれれば」と切に恨んだオタクだった。

 だからこそ、「終わりにすべき」というμ'sの決断をあらためて貫徹させた劇場版は素直に嬉しかった。その上で、「終わってほしくない」という人もいて、ラブライブ!は劇中の穂乃果のような板挟みの状況になっているのだということに気付かされた。自分の視野はちっぽけなものに過ぎないことを再認した次第です。

 そして、「μ'sの物語は終わりにするけど、ラブライブ!は続くよ」という方向を提示されてしまい、これには素直に感心しました。コンテンツの方向性というよりは、方向性の決定を劇中の物語へ落とし込むこと自体に膝を打ったというか、メタな視点を持ち込むと膝を連続で打ちすぎて歩けなくなりそうなほど。

 とにかく、2期で先送りにされたμ'sの物語にケジメをつけると同時に、シリーズそのものをさらに広げていくんだという熱量を、他ならぬμ'sの9人に作らせたことはすごいとしかいいようがない。その象徴が合同ライブだと思うし、あの場面で心が浮き立ったのは、物語と現実のコンテンツ状況がリンクしたことへの快楽なのでしょう。

 校門を出れない呪いから解き放つとともに、後続への道を万全に整えた作品として、劇場版ラブライブ!は素晴らしい一手となっている。願わくば、2期まで見届けた全ての人に、この劇場版を観てほしいです。

 1年待たせた彼女たちの答えは、僕たちを救うには十分なものになっています。

 

その他与太話

  • 時系列について。卒業式がいつなのかによるけど、海外飛んでから合同ライブ、さらに解散ライブやるまで時間足りるのかという話。合同ライブの練習シーンがあったことを考えると、NY編が1週間、合同ライブが2〜3週間と考えるべきだろうか。そうなると卒業式って3月の頭になるのかしら。
  • CV:高山みなみの女性シンガーについて。役回りからいって、あれは「未来の高坂穂乃果」じゃないのかなと思わざるを得ないし、ラブライブ!ってSFだったのか!という驚きが生まれてしまう。もし全て穂乃果の妄想だとするならば、CoD:BOのレズノフみたいなことになりかねないので怖いですね。
  • NY編はみんな浮かれてたせいか、全体的に知能指数が下がっているように感じた。知能高めな雰囲気を出してたのは凛ちゃんだけど、「ここってアキバみたいだにゃ!」という暴論を繰り出してきたので油断ならない。
  • 到着初日の海未の嘆きっぷりがすさまじくメンヘラじみていて「めんどくさい女だぁ(詠嘆)」と思ったのは内緒。
  • モッチー持田氏に「はぐれてホテルに帰り着いた時の穂乃果の影が十字架だったので穂乃果はキリストの生まれ変わりだよ」と指摘をされたので、よくよく見てみるとたしかに影が十字架。「この後に穂乃果は重い十字架を背負うことになる」という暗示ととるべきか、それとも彼女を神の再臨とみなすべきか。『仏陀再誕』かな?
  • TV放映と異なり、油断すると一瞬でミュージカルパートに入るので、いともたやすく時系列の断絶が発生する。ちなみに京極尚彦監督によれば「ミュージカル中もシナリオは進行している」とのこと。まぁ宝塚だと思えば特に問題はないでしょう……?
  • タイの色で判別できますが、エピローグの雪穂・亜里沙ペアは3年生になってるので、アイドル研究部もラブライブも3年続いてることになるんですよね。それよりも2人がスクールアイドルをやることがほぼ確定したことだし、なにかしらのエピソードは作られるのかなぁ。あと、「アイドル研究部」という部名が引き継がれているところにはジーンとくる。
  • この劇場版のテーマを超カッコつけていうと「スクールアイドルというミームの継承」とかになりそう。
  • 私服の穂乃果の尻がやたらとエロかった。『楽園追放』じゃないけど、安心して話せるネタバレはそんなところ。