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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

「書く」という運動

DIARY

 気がつけば最後の更新からまるまる1週間も開いてしまった。原因はもちろんゴールデンウィークである。というのも、僕の傾向として「休日にブログが書けない」というものがあるからだ。

 休日は眠い。普段寝れない分は寝てしまう。その上、休日はとにかく遊んだり飲んだりする性分なので、PCを開く時間がなくなっていることが多い。

 先の黄金週間も、同人イベントへ出向いたり、昼から飲んだり、ストライクウィッチーズの映画を見たり、昼から飲んだり、うまいそばを食べたり、夜に飲んだり、といった感じで、ブログの更新はどこへやら。いま、書きながら文章を書くリハビリをしている。

 

「物書き」といえるほど立派なことをしているとは思っていないが、去年の12月からはそこそこな頻度(月の半分以上)で記事を大なり小なり更新しているし、「文章を書く」という行為は割と長続きしている。そのせいか、以前よりも(少なくともこういったブログな)文を書くことに慣れてきた。思うに、体がおぼえてきたのではないだろうか。

「文章を書く」という行為は、運動ではないかと思う。「体操着の美少女を麻縄で縛ってセックスする」という行為も、外面のイメージから十分運動だと僕は思っているが、「文章を書く」とは、まさに指先と語彙、そしてあたまをだいたいまんべんなく活用する運動ではないだろうか。

 そして、運動とは「継続は力なり」という言葉がよく似合う。長く、毎日続けていれば、体力がつくだろうし、なにより体がおぼえる。体がおぼえたことは、予備校で暗記した歴史の偉人の名前よりも忘れにくいものだ。そしてもちろん、反復によって習熟度は増していく。

 

 一時期「即興小説トレーニング」をやっていたことがある。1時間に設定してガリガリ書いていたことがあった。思うに、あれを毎日、きっちり続けていれば、文章力と創作力は相当上がったのではないだろうか。毎日軽く走りこんだり、腕立て伏せをするようなものだと思えば、1年間継続すれば大なり小なり筋力がついているだろう。あれを続けていなかったことは、人生における反省のひとつだ。

 だからこそ、「だいたい毎日ブログを書こう」という執着が芽生えてしまったのかもしれない。

 とにもかくにも、文章というものは、書かない日が長くなればなるほど、どんどん書けないように思う。そこは人によるだろうけど、少なくとも僕は、なるべく継続して文章を書く方が、いろいろと維持できるタチなのだろう。ゴールデンウィークはいろいろなペースを狂わせる。少しずつ、習慣のしみついた日常へと戻していきたい。

 

 

 

 それにしても5月はマジで日記めいたものしか書けてないので、なんかイケてない。そろそろ中身のあるものをリリースしたい。

 あと、「惜しかった」とか言う前に、「(だいたい)毎日即興小説トレーニング1時間」みたいなトレーニングを、今から課す方がよっぽど生産的な気がする。結局どんなこともやり続ければそこそこ成果はあるし、やり始めるかどうかを決意しなきゃどうにもならない。

 まぁ、まずはこのブログに徐々に心を戻していくとしよう。