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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

テーマをキャラクターがしゃべっちゃうアニメについて

アニメ DIARY

『放課後のプレアデス』3話を見て「ヒーヒーおもしろいー」と涙をボロボロ流しながら両手を合わせて拝んでいた。その「おもしろさ」というのはよくある言い方だと「尊い」なのだろうけど、これをちゃんと考えると、「その回のテーマをキャラクターがしゃべる」ことが肝要なのだと思う。

 実際、事前情報で「3話はポエム回」「テーマを言っちゃうのよね」などと聞いていて、たしかにその通りなのである。すばるとみなとの会話とか3話連続でポエム合戦に近いしね。

だって…不良品じゃ…いくらあつまったって、なにもできないよ…

 これは父の持って返ってきた規格外部品を見たすばるのセリフだが、これはまさに3話のテーマのひとつ「なにものでもない(=ポンコツな)自分たちになにができるか?」をモロに表している。リアリティ重視なら、すばるにいきなりこんなセリフをしゃべらせないだろうし、ただ泣かせるカットにするだろう。このような場面ですばるの口からテーマ性を言及させるアニメが、『放課後のプレアデス』だ。

 

 登場人物に直接テーマをしゃべらせる作品は、個人的にはすごく力強いと思う。

 だってもうはっきり言っちゃうんですもの。「この作品はこうである」と。それだけで、作品の方向性がはっきりとする。多くは主人公かキーマンだけがそういったセリフを述べるけども、『放課後のプレアデス』では登場人物ほぼ全員が、テーマ性ポエムを展開するのだから、全員が同じ方向を向いているかのようなすさまじい統一感をもたらす。

 こういったセリフ(もっと言うなら作品)は、言ってしまえば猪突猛進だ。勢いよく、小気味良くしゃべってしまえば、ストンッと胸のド真ん中に納得が落っこちてくる。この瞬間が非常にここちよい。僕はこの状態を「突き刺さる」と表現していることが多い。

 統一感のある勢いは、そのまま前進するための力に変わる。物語と登場人物、そして視聴者をぐいぐいと「この作品のテーマ」に向けて疾走させる構造は、訴求力がとても強い。そういった作品がすごく好きだ。

 

 

 テーマを直接キャラクターが話すアニメというと、やはり『たまこまーけっと』は欠かせない。

 "Everybody loves somebody." という一文は、みどりのおじいちゃんが発し、やがて語り部たるデラが直接しゃべることになる。「誰もが誰かを愛する」という当たり前のテーマは、当たり前ゆえの非ドラマチックさから、商店街の日常を描く『たまこまーけっと』には最適なセンテンスだろう。

 特に9話は、このテーマが存分に発揮されていた。柚希が好きなあんこ、たまこが好きなもち蔵、そしてひなこが好きな豆大。いつだって誰かは誰かのことが好きなんだというメッセージは、豆大がひなこへ送った「恋の歌」としてこの回のクライマックスにインサートされ、ひなこの写真を見る豆大のカットで締められる。そして語りのデラが言い切るのだ。"Everybody loves somebody."と。

 どうですかこの愚直なまでに貫かれたテーマ性。美しいとは思いませんか。9話はぶっちゃけたまこまの中でもトップレベルに良い回です。

 ちなみに、ある意味日常的な "Everybody loves somebody." という主題は、「ドラマチック」という要素を放り込むと別の言葉に変わる。それは "I love you." であり、その言葉は『たまこラブストーリー』にて、もち蔵がたまこに告げるものだ。『たまこまーけっと』の日常の象徴たるメッセージがもち蔵の告白によって壊れ、では日常しか知らないたまこは自分に対する "I love you." とどう向き合うのか? というのが、『たまこラブストーリー』の主題になると僕は考えている。

 

 

 テーマをしゃべるのはなにも登場人物だけではない。時には「作品そのもの」が言い切る時すらあるだろう。

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「友情が世界を守る鍵。」ーーいわずもがな、『ビビッドレッド・オペレーション』の第1段キービジュアルのキャッチコピーだ。

 だが作中における「友情が世界を守る鍵。」というテーマはおっそろしいほど雑だ。「本当はトマトだいっきらいだったの!」でちょっとした軋轢が生まれ、1回のお泊りで生まれる程度の友情がそこにはある。『放課後のプレアデス』を見てみなさい。あちらの方がよっぽど「友だちってなに?」という疑問に踏み込もうとしている。

 それでも、あのキービジュアルは真っ先に唱えたのだ。「友情が世界を守る鍵。」と。ならば、作品そのものが、言い切られたこのテーマで駆動するのは自明の理だろう。

 あまりにも雑だが、とてつもない暴力性をもってテーマを貫徹を遂行しようとしたその姿勢は、『ビビッドレッド・オペレーション』を象徴するあり方として、いまなお語り草になっているのだ。

wasasula.hatenablog.com

 

 

 テーマを登場人物や作品そのものに言わせてしまう方法は、時には圧倒的な勢いとなって視聴者の心を震わせ、ある時には盛大な交通事故を引き起こす。つまり、好き嫌いが激しく別れる。「そんなテーマは好きじゃない」と一瞬でわかるので、決別もとんでもなく早い。そもそも、直接言わせてしまうということ自体、あまり好きじゃない人もいるだろう。

 この手の作品がどうしようもなく好きと思われる僕は、きっと「シンプルで尖ったもの」が好きなのだろう。ごちゃっといろいろ盛られるよりかは、ある特徴にズバーッとまとめられて、それ以外の要素は切り捨てているものを好む手合いだ。もしかすると、僕がDELLの重いラップトップからMacBookに転向した理由も、そういうことなのかもしれない。

 好みはどこにあって、どこから生じるかわかったもんじゃない。だけど、バラバラに見える好みは、案外同じ方向性にまとまっているかもしれない。そしてこのような考え自体、その方向性の一端なのかもしれない。