うらがみらいぶらり

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「ワンス・アポン・ア・タイム」プレイ体験記 〜即興で君だけの物語を語り切れ〜

"Once Upon a Time"と聞けば、各々いろんな童話を思い出すだろうし、今なら同名の海外ドラマを思い浮かべる人も多いだろう。

このあまりによく知られたフレーズをタイトルに冠するテーブルゲームを、先日プレイした。「ワンス・アポン・ア・タイム」は、「物語を綴る」というコンセプトを掲げた、多人数プレイの海外産カードゲームだ。*1

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と、偉そうなことを言ってみるが、まぁ人に誘われてホイホイと遊んでいただけである。しかし、これまで遊んだボードゲームとは、一味も二味もちがうゲームだったことはたしかだ。

 

「ワンス・アポン・ア・タイム」は、ざっくり言えば「自分の結末へ物語を誘導する」というゲームだ。

各プレイヤーにはまず、「結末カード」といういかにも結末な一文が書かれたカードが配られる。たとえば、次のような文が書いてある。

彼は自分にかけられた魔法から解き放たれ、そして次の日ふたりは結ばれました。

いかにもなハッピーエンドだ。そしてプレイヤーは、この配られた結末へ、物語を導く必要がある。

 

結末カードの次は、8枚の「物語カード」が配られる。物語カードには、「女王」や「かしこい」といった、名詞や形容詞、キーワードなどがイラストとともに記されている。プレイヤーは、このカードを使って物語を作っていく。

どう作るのか。語るのである。

プレイヤーは語り部となり、物語カードを場に出しながら、即興で物語を朗読していく。

むかしむかし、あるところにいじわるな兄弟がいました。

こう語りながら、スタートプレイヤーは「兄弟」というカードを場に出す。これがゲームの開始の合図となる。ちなみに上記の一文は実際にプレイした際のスタートの一文である。

基本的に、プレイヤーは「一つのカードにつき一文」というルールのもと、手札の物語カードを順に出していく。全ての物語カードを消費し、最後に結末カードへつなげることができれば、ゲームは終了となる。

 

もちろん、ただ文章を唱えるだけではダメだ。繰り出される一文たちは、当然ひとつの「物語」として整合性が保たれていなくてはならない。無理やりな物語にはプレイヤーのブーイングが飛ぶし、ゲームマスターが「バカバカしい!」と一喝してやり直しを要求するルールが公式で定められている。

つまるところ、各プレイヤーは8枚の物語カードをうまいことつなげ、最後に結末カードへ無理なく接続させるような物語を創らなければならない。まさに即興作文だ。8種の要素を用いつつ、うまいこと物語を考えていくには、相当に頭の回転を強いられるだろう。

 

そして、スタートプレイヤーの独り語りでこのゲームは終わらない。各プレイヤーは、いま語られている物語に割り込み、ストーリーテリングの権利を奪取することができるのだ。

割り込みのルールとしては、ひとつに「わりこみ」と記されたカードを用いるものがある。このカードに記されたマークと同じマークを持つ物語カードが場に出た時、問答無用でわりこみカードを場に出し、自分のターンに持ち込むことができる。この際に出したわりこみカードは、自分の物語に組み込む必要がない(=一文作る必要がない)というのもミソだ。

そしてもう一つの割り込みは、相手の語った物語のキーワードに関連付けて自分のカードを出す、というものだ。例えば、「宮殿」というカードを出しながら次のような一文をプレイヤーが語ったとしよう。

宮殿には、ひとりの王女さまが住んでいました。

この一文の「王女」を拾い上げ、自分の手札から「王女」というカードを繰り出して割り込むことができる。この場合は、通常と同様に一文語らなければいけない。

王女さまはたいへんうつくしく、国のみんなから愛されていました。

つまり、相手の物語を利用して、自分の物語を展開するということができるのだ。

当然、同じことを自分も必ずやられる。最初の手札だけで考えた物語通りに完成することはまずありえない。このゲームは、自分の物語に相手の物語が差し込まれることは承知のうえで、いかに自分の結末で持っていくように物語カードを展開する必要があるのだ。

 

と書くと、いかに論理と屁理屈を組み立てて刺し合いを繰り広げるかがカギのタクティカルストーリーテリングボドゲに見えるが、このゲームの本質はおそらく対戦ではない。「みんなで物語を作る」という共同作業だ。

実際、ゲームの序盤は、相手の物語からめざとく単語を拾い上げて、自分の物語カードを差し込む展開が目立つ。例えば僕のプレイ時、僕は「計画」「宮殿」というカードを出しながら、次のように語った。

ある村で、女王の暗殺計画がねられていました。計画は、まず宮殿に暗殺者を送ります。

この物語に対し、「計画」を拾って「罠」というカードが差し込まれた。

宮殿の中に罠を潜ませるというものです。

やばい。語り手を奪われる。だが、僕の手札には「隠れる」というカードがあった。拾い上げるのは「罠」だ。

その罠とは、馬車に暗殺者をこっそりと忍ばせるというものです。

こうして、瞬く間に3枚の物語カードが、喰い合うように場に出された。相手の言質をとって即興劇を繰り広げる、妙な高揚感を感じた。

 

だが、こうやって好き勝手カードを並べ、好き勝手に物語を語っていくと、物語はとんでもない方向へ進んでいく。

ある「常に夜になる魔法がかけられた」という王国の物語は、なんにもないところから兵士が現れ魔法の釜が現れ、突如「王様は実は愚かで悪い王だったのです」という回想が始まった。しまいには、どこからともなく「太陽の国からやってきた森の魔女」が出現し、キーアイテムだったはずの魔法の本は釜で煮込まれて「本の煮込み」という料理となり、それを森の魔女が食う、というわけのわからない事態へと発展した。適当に並べたように見えるかもしれないが、実際にあるプレイ中に本当にこういうおはなしになった。

この状態になった時、僕は外野でログをとっていたが、参加プレイヤーはみんなこんな顔になっていた。

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いよいよ収拾がつかない。いったいどうするんだ。誰が責任をとるんだ。

そうはいうものの、とにかく物語を終わらせないといけない。この段階になると、プレイヤーたちは対戦相手から共同戦線へと姿を変える。というか変わった。

各プレイヤーが、露骨に「助けよう」と言いながら、ある物語カードに対して割り込みを実行する。なんとか結末にこぎつけようと、試行錯誤で「物語カード」をつなげていく。自ターンをスキップすれば新しく物語カードを引けるルールを用いて、詰みかけたら一枚引き、隣のプレイヤーに語りを委ねる。そんな、締め切り間際に共同で原稿を描き上げるような、切羽詰まった共同感がそこにはあった。

そして、最終的に上記のわけのわからない物語は、料理人が「本の煮込みを作ってやろう」と森の魔女とともに山に登りながら、結末カードが提示された。

料理人は魔女に一目惚れし、その場で愛を告げました。そして真実の愛が、魔法を打ち破ったのです。

なんだこれは。最近のB級ハリウッド映画だって、こんな終わらせ方しないぞ。間違いなくクソ映画じゃないか。

しかし、語り終えたプレイヤーたちも、外野でログを綴っていた僕も、その時は一様にこうつぶやいていた。

「真実の愛って、すばらしいね」

真実の愛は、どんな物語もハッピーエンドにする。その重要性を、まさに身をもって味わったのである。

 

まとまると、「ワンス・アポン・ア・タイム」の醍醐味は次のようなものだ。

  • 即興で物語を作る楽しさ。
  • 自分の物語へ誘導する戦略性。
  • 相手の物語に自分の物語を差し込む駆け引き。
  • どうしようもなくなった時のみんなの協力プレイ。
  • 物語を作る上での大切さを身をもって味わえる。

プレイング状況や、プレイヤーのモラルやスタンスによって、このゲームは対戦ボードゲームにも、協力ストーリーテリングゲームにもなる。そして、状況次第では物語差し合いで神経を尖らせたプレイヤーたちが、一転して協力プレイに切り替わる、という不確定性に満ちている。

なにより、このゲームを支配するのは、純粋なプレイングの腕というよりも、人の物語に対する傾聴力や、ことばを拾い上げて話を展開する機転、なにより「即興で物語を生み出す」ための旺盛な想像力である。これらのスキルは、明らかに他のボードゲームには要求されにくい要素だし、だからこそ「ワンス・アポン・ア・タイム」のプレイ中は普段使われていない部分がフル稼働する。その気持ちよさは、実際にプレイしなければ味わえないだろう。

機転と想像力を発揮させて「物語」を生み出すこのゲームは、単なるゲーム以上のパーティー性を生み出してくれるだろう。盛り上がること請け合いだが、プレイした身としては、一人がプレイできる回数は一日一回といったところだ。そのくらい消費する。もしプレイされる場合は、他のボドゲも保険として持ち込んでおくと事故が少ないだろう。

 

なお、プレイ推奨人数は2〜6人と言われているが、バランスがよいのはプレイヤー:3〜4人と、ゲームマスター:1人ログ担当1人だと思われる。特にログは必須だと思う。思った以上に、みんな語られた物語を忘れがちだし、最後に完成した「物語」を読み合わせる楽しみができるからだ。

 

*1:公式サイト Atlas Games