うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

『放課後のプレアデス』が最高だって話をしましょう

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 今週の木曜、アニメ版ニンジャスレイヤーがニコニコ動画でお披露目され、多くの人間が地獄を見ることになったという。

 MPが足りない僕は一報を聞いた後も踏み込めずにいるのでその惨状がいかなるものか、そもそも惨状なのかどうかすら判定できないが、地獄のネオサイタマを見るハメになった人々には、哀悼の意を禁じ得ない。

 その一方で、木曜夜を無事天国として迎えられた者がいる。他ならぬ僕もそのひとりだ。そう、木曜24時は『放課後のプレアデス』放映日である。

 実は今季スタート前は完全にノーマークだったのだが、ぶっちゃけ今季で一番ツボをついてきている。有り体に言えば、「もう最高」というわけである。そりゃ「星」というモチーフをこれだけ盛り込んだ上で、それが映える絵作りをしているんだから最高よ。

 「最高」という気持ちは新鮮なうちにぶちまけるのが良いため、以下にいろいろと書き連ねる。

 

Web版からずいぶんと経った

 4年前にWeb版が公開された際には、「よくわからないうちに進むけどガイナって感じの作画だ」というよくわからない感想を抱いていた。SUBARUとのタイアップ企画という興味深さはあったが、めっちゃ心を刺激するほどの威力があったかといえば、個人的にはそうでもなかった。

 というのも、Web版は30分しかない単発作品であり、展開としてはかなり詰め込んでしまったため、理解できないうちに再生を終えてしまったきらいがある。「ゆっくり見せてほしかった」とは、当時から思っていた。

 そして4年経って、まさかのTVシリーズ化。あの30分しかない物語が、1クールまで拡大される。詰め込み過ぎた物語にたっぷりの時間が与えられる。こんなにうれしいことはないですよ、えぇ。

 とにかく30分という時間を無駄に引き伸ばしもせず、かといって無理に詰め込みもせず、実にちょうどよい分量だけどみっちりと詰まっている。その調度良い密度が、Web版に感じたちょっとしたときめきを、何十倍にも拡充させている。このような感じ方はWeb版を見た人に特有かもしれないけど、「ちょうどよい密度」は全てのアニメにとって最も重要な要素であることもたしかだろう。

 

「星」のモチーフと「人の距離感」

 よりそうように輝く星も、本当は、ひとつひとつが、何光年も遠く遠く離れています。

 なにもない空で、ひとり輝きながら、みんな、同じように星たちを見上げているのかもしれません。

 その輝きが、いつか誰かに伝わるって信じながら。

 1話冒頭の主人公・すばるのポエムセリフだ。このセリフに象徴されるように、1話と2話は「すばるとあおいの距離感」にフォーカスを当てて物語が進む。そして、作中にはいたるところに「星」のモチーフがあてがわれている。上記セリフがその端的な例だろう。

 この「星」のモチーフと「すばるとあおいの距離感」を、より掘り込んでいったのが2話だ。

 この回で現れたエンジンのかけらは、青と赤のふたつのかけらが合わさったものだ。これが回転しながら遠心力で弾き飛ばされそうになっていて、確保するには同時にキャッチする必要がある。このキャッチに挑むのがすばるとあおい。「すれ違っていたふたりの心を再び隣り合わせる」という見立てが、このシーンだけでありありと伝わってくる。

 そして、運命線が束ねられたことで出会ったすばるとあおいは、それぞれの知っているすばる/あおいとはパラレルな存在であり、1話の時点でちょっとずつズレが明かされる。しかし、かつていっしょに歌った「星めぐりの歌」だけは、ふたりとも知っている。その歌に合わせて、同時キャッチを成功させる。

 さらにキャッチ直後にかけらは急加速し、すばるとあおいは激突しそうになる。しかし、あおいから教わった「高度を上げれば速度は落ちる」という知識をすばるが思い出し、辛くも難を逃れる。こうして二度目のかけら回収に成功するのだ。

 このシーン、すばるが青のかけらを、あおいが赤のかけらをキャッチしているのが小気味良い。互いにキャッチし、その後離れそうになるかけらが、お互いに抱いている「かつての友だちへの想い」であると見立てると、ひさびさに会って今教わった「高度を上げれば速度は落ちる」という知識で乗り切るのって、すごくエモい。「昔のすれ違いを今得たもので乗り越える」ってこう、最高じゃないっすか。

 「自分が知っている人物像とはちがう友だち」とは、作中では異なる運命線(≒平行世界)の存在として描かれるが、ひさしく会っていなかった友だち=元の世界におけるすばるとあおいを暗示していることは想像に難くない。2話のエンジンのかけらキャッチは、久しぶりに会ったがすれ違い気味な友だちと、かつての思い出を頼りに再び隣り合うまでの過程を描いているのである。

 すれ違った友だちを「星」に見立てて、それを回収することで解決へと向かわせるシナリオ・作画は、はっきり言ってとても心地よい。おはなしと映像のシンクロは訴求力高いですよ。ゆゆゆとデレマスにもあてはまる話だったりするけども、あらためてその重要性をあらためて実感させられた次第だ。

 

放課後の、ごく普通の魔法少女

 『放課後のプレアデス』は魔法少女に分類できる作品だ。そして、ここ最近の魔法少女モノは「世界の守護」や「運命を変える」といった壮大なコンセプトを持ち上げていることが多い。そういった中で、『放課後のプレアデス』は世界を守るでもなく、「すれちがっていた友だちと向き合う」という、女の子にとって等身大のテーマを持ち込んでくる。

 さらに登場時間たちも、魔法や宇宙人について詳しいでもなく、なにが起こっているかわからないまま前に進もうとしている姿が、ものすごく等身大なんですよね。「わからないけどやってみようよ!」というまぶしすぎる動機がとてもエモーショナルで、心がどんどん純真になっていく心地をおぼえる。

 そして、彼女たちの活動は、恐ろしい怪物と戦うのではなく、宇宙人の手助けとして「エンジンのかけら」を集めるというものだ。命のやりとりではなく、散らばったなにかを集める。その姿は魔法少女としてはあまりにも正道すぎて、まどマギやゆゆゆばかり見ていて忘れがちになっていた。

 そう、『放課後のプレアデス』は、とんでもなくスタンダードな魔法少女モノなのである。

 流行の魔法少女モノだからといって、ひねったりせず、絶望や代償といった重いスパイスを投じたりもしない。『放課後のプレアデス』はその名の通り「放課後」に繰り広げられるおはなしであり、そこで描かれるのは、「友だちの距離感」といった、背伸びをしないテーマだ。ごく普通の日々の延長線上に魔法で空を飛ぶ非日常を置く、等身大の魔法少女の姿がそこにある。

 

 我々が忘れがちになりつつある魔法少女の姿は、SUBARUのエンジン音とともに空を舞っている。絶望も代償もない、なつかしさすら感じる魔法少女を、放課後に探しに行くのはいかがだろうか。

 

 

*余談

  • 直前に耳にしていた高森奈津美が前川だったせいか、すばるの高森奈津美がとんでもなく清らかなものに聞こえた。そうだ、これがスタンダードな高森奈津美なのだ。ジュエルペットてぃんくるで初邂逅した時のことを思い出す。
  • ひさびさの地上波あゆたに妙な感動をおぼえるストパン族は僕だけではないはずだ。
  • とにかく、Web版が何十倍にも拡充されている、その感覚だけで感動しちゃう。しかるべきリソースを与えるだけでこんなにも輝き出すって、シンデレラガールかよ。
  • 上記で「スタンダードな魔法少女」とは書いたものの、ゆゆゆも途中まではきらら枠の皮をかぶっていた。うっかりひっくり返るかもしれないので注意したいが、そんな心配なんて不要なものが魔法少女のはず、なんだよなぁ。
  • なお、ゆゆゆ→シンデレラガールズ→プレアデス という、僕の好みぶっ刺さり系譜を発見したことで、僕のどうしようもない好みの傾向が明らかになってしまったのだけれども、それはまた別件ということで。

 

とにかくみなさん、『放課後のプレアデス』を観ましょう。特に忍殺で辛くなった人、『放課後のプレアデス』を観ましょう。きっと幸せになります。