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「神格」という物語解釈について

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巷では春の新番が始まる一方で、『ラブライブ!』2期が再放送を開始している。

思えば1年前、社会人デビューでささくれた心に、ラブライブ2期は恵みの雨のように染み込んだ。とりわけ1話は、穂乃果が「雨やめー!」と叫び、本当に雨を止ませてから『それは僕たちの奇跡』に突入するシーンは、あまりの神々しさに背筋が震えた記憶がある。

このシーンから、僕は「神格」という概念を勝手に生み出した。穂乃果の神々しさを前に、当時は「物語を支配する神」という偶像を見出していたのだろう。

それから1年間、結構な数のアニメや小説と接したが、そのいずれも神格という概念を傍らに置き、物語を受容する際の一助にした。気がつけば、それなりのまとまりを持つ持論になったので、ここいらで一度しっかりとまとめておこうと思った次第だ。

神格は、キャラクター主導の物語を生み出す。そして、神格と物語の方向性が一致を見せた時、物語の訴求力は飛躍的に高まる。さらに、神格は同時に「心地よい物語の解釈」を見出す手がかりにもなる。ある種のトートロジーではあるが、物語を肯定的に捉える概念として、神格について述べていきたい。

 

 

物語を支配するキャラクター

まず、前提となるのは「キャラクターは物語に従属する」という考えである。

物語のシナリオに対し、キャラクターは絶対に従う。どんなに優れた人格を持つキャラクターも「挫折の物語」では挫折し、どんなに強い英雄でも「英雄の死」を結末に置かれれば死ぬ。まぁそんな難しいことを考えずとも、「恋愛ものだから主人公とヒロインが結ばれる」というような、「お決まりの流れ」のことである。

この前提の対論として、「キャラクターが物語を支配する」と考えた次第だ。

イメージとしては、「主演と監督を兼任する俳優」だ。物語中に存在しながら、物語そのものを誘導する。往々にして、それは「主人公」と呼ばれる存在だ。

そんなキャラクターをさらに先鋭化させた場合、用意された設定をも、後から変えることができるのではないか、というのが神格の発想の原点である。

 

 

神格の定義

「物語の根幹設定を参照・変更することができる権限」、それが神格の定義である。早い話がPCの管理者権限である。

根幹設定の一例として、天気が挙げられる。一人の人間の力では、天気を変えることはできない。これは、フィクションでも同じことだ。しかし、神格を用いれば、天気をキャラクターの意思で自由に変更できる。

しばしばフィクションでは、まるで人の意思に呼応するように、雨空が晴れることがある。神格が導入された物語の場合、このようなケースは、キャラクターが神格を行使して「現在の天候」という設定を書き換えたと判断できる。

 

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直近の代表例でいえば、『ラブライブ!』2期の1話にて、穂乃果が「雨やめーっ!」と叫んで雨を止めるシーンだろう。穂乃果が神格を行使したことで、挫折の象徴だった雨を消し飛ばすシーンは、2期全体の要約ともいえる場面だった。

この他にも、神格がアクセスし、書き換え得る設定はたくさんある。政治的な危機を好転させ、頭部に当たった銃弾も致命傷ギリギリでとどめる。アクセスするという性質上、他のキャラクターの設定を参照し、それをもとに教導や説得も可能だろう。神格とは、物語進行において全能ともいえる力を持つ。

 

 

神格で運営される物語

神格とは、いわばキャラクターが物語を思うがままにできる権力であり、力である。

このため、神格によって運営される物語は、キャラクターが主体となる。よって、物語中で論理的におかしな場面があっても、それは「キャラクターの都合」として解釈ができる。

俗に「ご都合主義」という言葉がある。物語の都合、作者の都合など、様々な事情によって半ば強引によって定められる展開だ。「その展開である理由」を作品の外部に定義するため、この手の展開は嫌われやすい。

だが、そのような展開が作者が望んだことではなく、物語の主人公が望んだものだとしたら。主人公が幸福なエンディングを望んだことで生まれた展開だとしたら。

神格を導入した物語では、「ご都合主義だから」「1クールにおさまらないから」といった理由を否定し、「キャラクターがそれを望んだから」という理由へと変えていく。

「キャラクターが望む方向へ物語が進む」という見立ては、神格を保持するキャラクターと、物語そのもののシンクロニシティを創出する。キャラクターであり物語でもある存在が全てを牽引していった時、圧倒的な訴求力が生まれる。神格を持つキャラクターとは、その物語における「神」に他ならない。待ち受けるのは信仰か反発だ。そして、信仰を選んだ者は、この上ない「救い」に包まれるのである。

 

 

神格の条件とスタイル

神格の性能そのものは、権限レベルに差異はあれど一様に同じ性能だ。しかし、その気質はキャラクターごとに異なる。同じ剣術でも、流派によって作法や流儀が異なるように、神格を行使する際の媒体や、行使条件は異なるのである。

 

例えば、「行使する条件」として、以下にキャラクターを2人挙げる。

  • 高坂穂乃果:「やりたいことをやる」という方向性に従うと行使可能
  • 結城友奈:「友だちを見捨てない」という方向性に従うと行使可能

この2人の神格には、いわば起動条件が課せられている。そのため、条件を満たさなければ神格はたちまち機能不全に陥る。ことりの気持ちに気づかなかった自責の念からμ's脱退を宣言した穂乃果に海未ビンタが炸裂したのは、神格が機能不全に陥ったことの象徴である。

また、「行使の方向性」というのもあると思う。以下の2人が顕著だろう。

  • 司波達也:魔法の力
  • 界塚伊奈保:知識と解析

2人の神格は起動スタイルが定められている。司波達也は界塚伊奈保のような解析ではなく、防御無視攻撃と戦略級イオナズンとオートリライズで全てをなんとかするのである。

 

 

神格と物語との統一性

神格の起動条件と起動スタイルだが、これらは作品の根幹テーマと一致していることが望ましいと思われる。

神格を有するキャラクターとは、物語の象徴ともいえる存在である。よって、その一挙動が物語の方向性と一致している方が、全体的な統一性は飛躍的に上昇する。老舗旅館の女将は、老舗旅館にふさわしい所作をこなすことで、美しさが際立つのである。

逆に不一致の場合にもたらされるのが、「俺TUEEE」などの揶揄ではないだろうか。司波達也はその筆頭として名高いが、彼の神格起動スタイルと、『魔法科高校の劣等生』という物語の方向性が同一に見えないと、「俺TUEEE」という言葉を否定的に用いてしまうのではないだろうか。

ここで、「魔法科はノブレス・オブリージュの物語である」と仮定すれば、「高貴なるものが力を行使する」という方向性の一致によって、魔法科高校を統一感のある物語として見ることもできるだろう。神格とは、「最も心地よい物語の解釈」を見出すためのヒントになるのである。

 

 

「わるいとこ探し」を握りつぶす力

すでに気づいた方もいるかもしれないが、「これは神格である」と断言可能な事柄は、ほぼ全て「論理性に欠ける」という非難を受け得る要素である。

それもそのはずで、神格とは、感覚的に「よかった…」と思ったことを、後付で論理っぽくするための手法だからである。まず信仰が先にあり、そこから「信仰に足る理屈」が生成されるのである。

では、感覚的に「クソだ」と思ってしまった物語には、神格は適用できないのか。いや、順番を変えれば済む話だ。まず最初に神格を探すことも、十分に可能だと僕は考えている。

前述したが、神格はその物語がどのように進むのかを指し示す、最もわかりやすいファクターだ。もののメカニズムを先に理解すれば、自ずとものの魅力も見えてくるということである。仕組みがわからないものを褒めるのは、なかなかに難しい。

特徴を先に捉え、そこから良い所を探し当てる。これは、作品を肯定的に受け止めるための基本的な姿勢だ。神格とは、その姿勢へ導いてくれる一筋の光といえよう。

神格をもって物語と向き合うことで、「わるいとこ探し」を握りつぶすことができる。一つでも多くの作品を肯定するために、僕らは積極的に「物語の神」と対面することが求められているのである。

 

 

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