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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

「テキスト読み」と「データ読み」 〜「最近のラノベ」について雑な話〜

ライトノベル CLIP

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ここ最近は、ラノベ妖怪にウォッチされている。

Twitterでいわゆる「最近のラノベ」について雑に話すだけで、ラノベ読み妖怪たちに、個人的な趣向まで捕捉された上で、いろいろ言われることがある。雑なのはたしかによくないが、「虐殺器官がすき」と言うだけで、「これだから伊藤計劃厨は」と言われる環境は、言論統制を彷彿とさせて非常にグルーヴィーだ。

しかしながら、僕自身はラノベは嫌いではない。むしろ、ラノベでしかやれないお話はどうしようもなく好きだ。しかし、好きじゃないラノベっぽい話があることも事実で、そういったものにあれこれ言ってしまうのかもしれない。

そんなことを大学時代の知人に話したところ、「そもそも文章の読み方が違うんじゃね?」という話になった。「文章そのものを読む読み方」「文章が描く内容だけを読み取る読み方」の二種類の読み方があり、どうも僕は前者寄りなんじゃないかと気付かされた。

結論としては、どちらが正しいとかではなく、文章のジャンルによって使い分けるべきだよね、というところに落ち着いた。そこで、近頃はやりのラノベ論壇へのデビューもかねて、「テキスト読み」「データ読み」と仮に名づけた読み方について、メモを残しておく。

 

  

なめまわすように読む 〜テキスト読み〜

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まず、僕の普段の本の読み方について話すと、一字一句あまり読み飛ばさないように読んでいる。

よっぽど時間がない時は別だが、基本的に、視線は文章に蛍光ペンを引くように動いている。「なめまわすように」という表現が的確かもしれない。

これは、「せっかくお金を出して買ったんだから、一字一句暗記しなきゃもったいない」という心情のあらわれだと思っている。そう言うのも恥ずかしいので、「文章を一字一句味わいたい」と言っちゃったりするのだが。

実際、一冊を完全に暗記などできるわけもないのだが、気に入ったフレーズは暗唱できることがある。そこまでしたいと思える文章は、まず音読していて気持ちいい。脳内音読ですら気持ちいいのだ。その上で、漢字や言葉の選び方や単語などの置き方、表現が小気味よいと、どんどん自分の中で評点が上がってしまう。

こういった文章に重点を置く読み方を、僕は「テキスト読み」と便宜的に呼ぶことにした。テキスト読みに向くのは、ポエムや芥川賞小説だ。とにかく文章そのものに重きを置き、内容そのものはしょうもなくても構わないやつ、と言うと極論だろうか。とにかく、そんな感じの文章を受容する上では最適だ。

ここ最近気づいたことだが、僕は結局ポエムが好きなのだ。そして、ポエムがあるラノベや、ポエムじみたラノベは高確率で好きになっている。

 

内容だけをスキャンする 〜データ読み〜

しかし、全ての書物が文章表現に重きを置いているわけではない。教科書や説明書は、余計な修飾を避けている。確定申告の教本が、やたら詩的な文体で綴られていたら、ひどく混乱するだろう。

また、文章表現よりも、文章で描くもの自体に重きが置かれることもある。まどろっこしい言い方を避けたストレートな文章は、物語で描かれる世界を読者に伝えやすいと思う。「だからなにが言いたいのさ」と思われたら、致命的だ。

ひたすら内容の伝わりやすさに重きを置いた文章として、教科書や新書が挙げられる。そして個人的には、一部のラノベもこの類型ではないかと思っている。そして、ラノベに限定しなくても、娯楽小説の半分は伝わりやすさを重視しているだろう。

こういった文章は、味気ない時がある。例えば、新書の一文一文をなめまわすように読んで、「ここの比喩が絶妙だ…」と思うことはあまりない。教科書は皆無だ。そして、バカな僕は昔、新書をなめまわすように読んで非常につらい思いをしたことがある。*1

では、そんな文章はどう読めばいいのか。文章の指し示す内容だけスキャンし、バンバン読み進めればいいのだ。僕はこれを、「データ読み」と呼ぶことにした。

とはいえ、おそらく数行〜1ページをまとめて視野に入れて、内容を読み取るこの読み方は、いわゆる「速読」という読書法に近いものだと思う。

そう、このデータ読みを、今まで「つらいつらい」と言っていたラノベで使ってみたら、ごくふつうに楽しめたのだ。

 

描こうとしてるシーンだけを読み取る

 

アブソリュート・デュオ 告白は蒼刻の夜に (MF文庫J)

 

抽象論で話すのもよくないので、具体例を出す。『アブソリュート・デュオ』第1巻だ。

僕は『アブソリュート・デュオ』はアニメ新参だ。1巻を読んだのは2話放映時だった。アニメは2話でかなり楽しんだし、今もそこそこ楽しんでいる。アニメの好印象ばかり僕の中で形成されているため、自然と原作との相違点に目が行く。

最初の挫折は、1章の入学式シーンだった。

長い。そしてくどい。ただただそう思った。ひたすらに人物解説が連続していたからだと思う。

ユリエが現れてはスペック描写、となりの伊万里に話しかけられて会話とスペック描写、背後の巴がせきばらいして多少解説、理事長あいさつが始まったと思いきや、トラが現れて「彼は俺の知り合いだ」と解説。

「これを長いのか」とお怒りの人もいるだろう。長いのではない。なんというか、くどくて、なかなか前に進めないと感じたのだ。

それもそのはず、あの文章を一字一句読んでいたからだ。もっというなら、読んでいた時の僕は、確実に上記の箇所を脳内音読していた。正直な話を言えば、教科書を音読させられているような感じで、とても気が滅入ってしまった。

あの箇所で記されていたのは、単なる人物に関する解説・データだ。なのに、僕は「いったいどんな言葉でキャラを表現してくれるのか」という期待を込めて読んでいたのだ。Wikipediaの文章にポエットなものを期待したら、事故るのも無理はない。

 

そしてこの時、「データ部分はデータとしてスキャンするべき」ということを悟った。

「このキャラはこんな容姿である」という外見のデータ

「このキャラはこんなことをした」という行動のデータ

「この世界ではこんな概念がある」という設定のデータ

これら「描こうとしている物語の構成データ」を、文章の大枠からササッと読み取ることで、頭の中に映像化された物語が構築されるのである。

データ読みに切り替えてからの『アブソリュート・デュオ』1巻は、なかなかにおもしろかった。

アニメ版3話では戦闘シーンがあった。透流・ユリエ vs うさ先生のバトルだ。あのシーンの原作版――より正確には、「原作を読み取って僕の脳内で構築された戦闘シーン」は、少なくとも僕の脳内ではufotable版Fateばりにモリモリ動く、非常にエキサイティングなシーンになっていた。そのため、原作より後に見たアニメ版3話バトルシーンに対し、「なんかしょっぺえ」という感想を抱いてしまったほどだ。

 

このような読み方を、意識的に実践したことはなかった。文字で構成されている以上、一字一句文章を読み、文章そのものを楽しむものだ、という思い込みがあったからだ。

ちょっと読み方を変えるだけで、あれだけ苦手だったラノベも楽しめるレベルになった。食わず嫌いせず、読み方を臨機応変に変えることで、どんな文章にも対応していきたいものだ。

 

文章で楽しめるラノベってなんだろう?

前章で終えるつもりだったのだが、それでも「文章が楽しいラノベもあると思います」ということは書き残したい。以下は読み飛ばしていただいても大丈夫だ。

 

ガガガ文庫 俺、ツインテールになります。(イラスト完全版)

ここ最近読んだラノベで「文が好きだった」ものというと、やはり『俺、ツインテールになります。』が挙がってくる。

ひたすらバカ一直線のくせに、無駄に熱く、「好きなものに正直になれ」という真っ直ぐなメッセージまで込められていて、名作だと思っている。が、それと同等かそれ以上に、「ツインテール」という単語が乱舞するあの文章がひどく好きだ。

一行に一回ペースかそれ以上(体感)。とんでもない頻度で文中に現れる「ツインテール」という単語。ゲシュタルト崩壊必至な文章は、「主人公はツインテールがめちゃめちゃ好き」というデータの立証だけでなく、「この物語における至上価値はツインテールである」という作品の方向性すら明示している。文章でコンセプトが構築されているのである。

また、量だけでなく、使い方も光るものがある。ラストバトル、ドラグギルティとの一騎打ちシーンだ。

ツインテールの形に、地面が削れ、土砂が噴き上がる。

俺たちの斬撃の軌跡は、いつしかツインテールの地上絵を完成させていた。

なんだこれは。とにかくびっくりした。「ツインテール」という言葉を、こんな風に使ってみせることが、『俺ツイ』の究極の価値だと思う。

こういう文章には正直弱い。「やべえよ、あれ、なんか、ツインテールっていっぱい出てきてさぁ」と、誰に1ページ見せたくなる衝動に駆られる。見てもおもしろく、読んでもおもしろい。音読してもおもしろい。僕は、こういう文章がとにかく好きだ。

 

この他に好きなラノベというと、魔法の皮をかぶったドSFとポエットの『ウィザーズ・ブレイン』、一日ずつ記す丁寧な書き方が気に入ったグロありバトル『奇械仕掛けのブラッドハウンド』、陽気だけど軽薄じゃない感じの文体が好きな『変態王子と笑わない猫。』、しなやかできれいな文体なのに残虐な『魔法少女育成計画』、そしてラノベカウントが許されるなら弩級ポエムの『空の境界』あたりだ。

列記していて気づいたのは、どの作品も「この文体、いいなぁ」とおぼろげに感じたということだ。

「クセ」というのもなんか違う。ただ、文章に対するイメージが明瞭なのだ。頭の悪い言い方をすると、「この文章はこんなカラーだよ」と言える作品だ。

 

ひるがえって、僕は『アブソリュート・デュオ』に対する文章のイメージがない。

描かれていた物語はしっかりと読み取れたつもりだが、「どんな文章?」と聞かれても、「どんなんだっけ…」「よくあるやつ…」としか言えない。僕の中で、『アブソリュート・デュオ』は完全にデータとして消化されてしまっている。

しかし、きっと『アブソリュート・デュオ』にも、『精霊使いの剣舞』にも、文章のイメージがあるはずだ。僕がまだ認知していないだけで、あの作品たちを言い表すことばが存在するはずだ。

だから、僕ももっとラノベを読もうと思う。幸い、先日知り合いから、「直近のラノベ新人賞リスト」なるものを受領した。カバンにはいつもKindleがある。データ読みの練習ももちろんだが、いろんなラノベを読む必要がある。

いつか、『アブソリュート・デュオ』はこういう文章だよ、ということが言えるようになりたいものだ。

 

*1:経済学について学ぼうと思って開いた新書が「なんだか文章が平坦だぁ…」と感じて、とてもつらくなった。思えばただのバカである。