うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

16卒就活生へ:「働きたくない」という気持ちを大切にしなさい

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本年度からシステムがかわり、就活が3月解禁となったらしい。

毎年恒例の就活シーズンの到来となると、やはり重用されるのは「就活生へのアドバイス」だ。その波に僕も乗ろうかと思ったが、どうにも難しいと感じた。

なぜなら、就職活動とはクソだからである。

この場で僕のうれし恥ずかしな失敗続き就職戦記を記しても、それはただのドヤ顔記事になる。世の中の「就活生へのアドバイス」の9割は「君たちもがんばれよ〜www」という、無責任な先輩面なのだ。

だからこそ、いま記すべきは「就職活動とはクソである」ということ、そして「社会に出たくないという気持ちを大切にしろ」ということを伝えるべきだろう。これもひとつの先輩面だが、「やりがい」を強いて妄想する必要のないことだけは記したい。

 

 

負の余裕

身の上話をすると、僕の回りには社会のアナーキーたちでにぎわっていた。

留年休学中退無職大卒フリーター卒業してるのになぜか学校にいる人など、多種多様でグローバルな人材に恵まれた環境にいたことは、ある意味幸福だった。

 

「人間、ここまでいっても、生きていられるんだなぁ」

 

そんな状態で就活に臨んだため、「落ちてもまぁいいか」を通り越して「就活とかしたくねえよ大卒フリーターでいいよ」と思いながら面接会場に足を運んでいた。

相手はプロの人事である。おそらく「働きたくない」という僕の無言のオーラを感じ取り、お祈りメール第一号としてチェックしていたと想像される。

かくして途中で持ち駒が尽きたのだが、ここで家族に「まぁ就留ぐらいいいよね」と確認したところ、「まぁいいんじゃない」と返ってきたので、そこから遊び半分で就活をした。ものはためしというやつである。

負の余裕はとても大事だ。なにせ最近では、「内定がとれなきゃ死ぬしかない」と思い込み、本当に線路へ身投げする学生が後を絶たない。内定どころか職すらない人が、むしろ楽しげに生きている姿を見ることは、クソ長い人生を生きる上で糧になる。

とはいえ、無職を奨励するわけではない。無職が人生の詰みに近いことはたしかである。あくまで「無職になっても即死しない」という当たり前の事実に気づくべきだ、ということである。

 

捏造「やりがい」が死を招く

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あちらこちらで「やりがい!」と叫ぶ学生が増えたからか、むしろやりがいコール学生は落とされる可能性も高くなっていると、耳にする時がある。とはいえ、「御社にやりがいを見出だせない」と正直に告げるよりは、やりがい詠唱が内定を引き寄せることは確かだろう。

とはいえ、企業の側が「やりがい」と唱えているところに、やりがいを捏造して擦り寄っていくと危険だと思う。どんな仕事が降ってくるかわからない。

 

お客様に最も近い場所で声を聞き、価値を提供することができる、やりがいのある仕事です。

 

こう記された仕事内容が休出サビ残ありのコールセンター業務である可能性だってある。当然、捏造したやりがいとともに入社すると死ぬ。

死ぬほどキツい仕事や、死ぬほど退屈な仕事に就かせるにあたり、「やりがい」というマジックワードは雇う側にとって便利だ。「おっ、やりがい、感じちゃう!? マジで!? じゃあこの仕事頼むよ!」と投げる材料にできるからだ。

捏造したやりがいで得た仕事は、往々にして悲劇を生む。無内定で焦り出すと、架空のやりがいで武装する人が多いので、警笛を鳴らすべきだろう。もちろん、「やりがいが大事だよ!」と唱える人間は、速やかに無人島へ送り出すべきだろう。きっとやりがいを見出して開拓してくれるはずだ。

 

「働きたくない」と思いながら求める職場

こんなことを書いている僕自身は無職かといえば、実はきっちりサラリーマンをやっている。

仕事には特段やりがいを見出してはいないが、職場としては居心地がいい。簿給ではあるが、一応土日に休みはあり、残業代は出る。ごく普通の職場だ。死ぬほど忙しい中で「バリュー!やりがい!」と唱えるよりは、ずっといいのではと思っている。

今の勤め先に出会えたのは偶然だ。だけど、「働きたくない」という気持ちがなければ、ここまでたどり着かなかっただろう。

思うに、やりがい重視な空気を嫌って、あえてゆるい空気で満たした企業というのは、少ないながら必ずある。そういった会社は、「とりあえずやりがいアピールで」と安直に就活を終わらせると、おそらく出会えない。

職に就くことが就職活動の目的だが、ゴールではない。過労死必至な職場に入れば、それこそ人生がゴールしてしまう。勝手な偏見だが、やりがいを社訓にするようなところは、人生の墓場になりやすいだろう。

 

だからこそ、「働きたくない」という心は大切だ。「働きたくない」という意思は、確実に「無根拠なやりがい」を否定してくれる。それが、巡り巡ってあなたの命や心を救うかもしれないのだ。

あなたの「働きたくない」という意思は尊い。「働きたくない」と願う自分を、社会の不適合者と気に病むことなどないのだ。本当に体や心を病んでからでは、手遅れなのである。