読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

あらためて「カニカマとしてのソシャゲ」を考える

f:id:wasasula:20091108134440j:plain

ソーシャルゲームが世に出たばかりの頃、僕は「ソシャゲはカニカマだ」と主張した。

この主張は今でも変わらないが、最近は「あえてカニカマを選択する理由」を徐々に理解している。他ならぬ自分が社会人になったからだ。

 

ゲームをやる時間がない。この一言につきる。

 

DSすら開けない生活を送る人たちと、スマホから遊べるソシャゲは相性がいい。以下で、ソシャゲが受け入れられやすい理由や、それでもソシャゲではないゲームを遊びたがる理由について、あらためて考えてみる。

 

 

カニに対するカニカマ

まず、以前に投下したツイートから。もう4年前の発言だ。

ここで「カニ対するカニカマ」とは、「本物に似せたもの」という意味合いで用いている。つまり、「ソシャゲとはゲームに似せたなにか」と当時は主張していたのだ。そのスタンスは、基本的に今も変わらない。

 

なにゆえソシャゲは「ゲームに似せたなにか」と映るのか。あれこれ書くよりも、手っ取り早く伝わりそうなものを最近見つけたので、そちらを紹介しよう。


そう、ソシャゲは歩くだけ(タッチするだけ)でいいのだ。

その上、歩くだけで「ステージクリアおめでとう!」とほめられる。これほど楽なことがあろうか。

操作やデータをおぼえることなく、ただ画面をタッチするだけでゲームが進み、達成感を得られる。「ゲームの腕前」など関係ない。まるでベルトコンベアのように「ゲームをした」という実感を得られるのである。*1

 

このような特徴は、「操作をおぼえる」といった努力を積むことで進めていく従来のゲームとは、かなり異なる部分だ。

多少でもゲーマー寄りだと、「あのゲームで遊んだような努力の過程がない」と不満を漏らす。この「本物(と思っているものに対する)不満感」を、当時の僕は「カニカマ」と例えた。

だが、全ての人間が「努力の過程」を求めているわけではない。むしろ、「達成感という結果」だけ手軽に得られるなら、それに越したことはない。そして、そうならざるを得ない環境が存在する。

 

スキマに入り込めるソシャゲ

「据え置きは無理でも、携帯機ならソシャゲみたいにできるでしょ」と思う人もいるだろう。実際、電車の中で堂々とDSを開く人はいる。それができる人は、おそらくゲーマー気質がかなり強い。

この時、DSを開いて電車内でゲームをする姿は、「わたしはこれからゲームをします」という意思表示になり得る。それをはばかる人は、いたとしても不思議ではない。全ての人が電車の中でポケモンを遊べるわけではないだろう

その点、スマホは電車の中で開いても「スマホを見ている」としか思われない。なにせスマホはなんでもできる。メールも見れるしSNSも見れる。列車の運行情報だって調べられる。「なにをしているか」といちいち考える人は、そうそういない。

スマホで遊べるソシャゲは、「わたしはゲームをします」意思表示をカモフラージュできるのである。

 

また、勤め人となれば、社内でDSを開くことは非常に難しいだろう。

休憩室や喫煙室であっても、DSを開いているところを上司に見つかれば、怒られはしなくとも小馬鹿にされたり気まずくなったりするだろう。自分のデスク上ではなおさらである。

しかし、スマホならばごまかせる。おじさん上司に見つかっても、「日経オンライン見てました」といってごまかせる可能性がある。そもそも画面は小さいし、懐にしまうのも容易だ。休憩時間にパズドラをするサラリーマンは、いまやどこの会社でも見られるだろう。

 

スマホで遊べるソシャゲは、生活のあらゆるスキマに潜り込める柔軟さを持っている。どこでもさわれるという特徴が、ソシャゲの隆盛を生み出したと考えていいだろう。

 

ゲームにどれだけ労力を払えるか

ゲームをする理由は様々だ。人によってはプレイの楽しさを、人によっては高みへ上ることを目的にする。そしてしばしば、ゲームをする理由の違いからいざこざも起きる。

 

漫画家・岡部閏先生「ポケモン」でフルボッコにされ炎上、ポケモン引退へ? → 編集部から呼び出しを食らう - ねとらぼ

 

上記は極端な例だが、「手軽に自分が楽しめればいい」という人と、「ゲームは相応の労力を支払うべき」という人は、結構な確率で衝突する。ポケモンという一つの作品で起きるのだから、前者の象徴たるソシャゲ派と、後者の象徴たるコンシューマ派*2が、価値観の相違を生むのは仕方がない。

 

ただし、ニーズとして「手軽に遊べて手軽に達成できる」という方向へ、ゲームそのものが向きつつある気もする。コンシューマタイトルの一部が「ヌルゲー」と言われるほど難易度軟化をしているのが、その一例だろう。

カニとカニカマを比べて、未だにカニを食べたがる人は多い。しかし、時間がなくなるにつれ、一からカニを解体すると遅々として進まなくなることがある。あらかじめ脚だけもがれたものを提供された方が、喜ばれる可能性もあるあるだろう。

しかし、人によっては脚だけのカニから身をほじくり出す時間すら惜しいこともある。そんな人たちが、片手間につまめるカニとして、カニカマがある。

「カニカマがカニを語るな」という罵声が飛ぼうとも、忙しい中でカニの味だけでもほしい人はいる。そんな人たちのために、「カニカマとしてのソシャゲ」は、インスタントなゲーム体験をもたらしてくれるだろう。

 

 

*こんな話をしたくなった理由

f:id:wasasula:20150301192301j:plain

いや、Vitaゲーを2本も買っちゃったんですよ。

いざ遊ぼうと思っても、両方ともシナリオががっちりあるので、音声込みで遊びたいと。するとイヤホンがいると、通勤電車でやるにはなかなか難易度高めと。正直休日にじっくり遊びたいんですが、アニメを消化したり飲み会に駆り出したりして時間がない。自業自得。

正直、遊ぶ余裕がここ数日はなかったけども、それでも遊びたい。ゲームをした感がほしい。そこに至って、「これがソシャゲならいつでも手軽にできるのか…」と思った次第です。

とはいえGE2RBは途中まで前作と同じ話だと悟ったので、新シナリオまではミュートでちまちまアラガミを虐殺することで前進してます。ゆゆゆの見通しは立ってないです。

 

 

*1:このようなシステムに、パズル要素を加えるとパズドラに、音ゲー要素を加えるとスクフェスになるだろう。わずかな「タッチだけではないゲーム要素」を加えるだけで、ソシャゲはメガヒットの可能性を秘める。

*2:より先鋭化しているのはゲーセンタイトルだと思われる。