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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

その後の『結城友奈は勇者である』について

結城友奈は勇者である PUBLISH

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以前、「ゆゆゆは放映後も話題が盛り上がるかもしれない」と冗談交じりで記した。しかし、どうもこれが冗談ではなくなりつつある。

放映後に製作陣から「アニメで残った謎」について言及されることはめずらしくない。しかし、いくらなんでも多すぎである。「それ本編でやっとけよ」という声が各方面から寄せられているほどだ。

とはいえ、本編を勇者部の物語として特化させた以上、勇者部が認知しないことについては、アドオン的に補完するのがベストだとは思う。そして、このアドオンを効率よく取り込むことで、『結城友奈は勇者である』は何倍もおもしろくなるだろう。

以下にて、アニメ本編終了後に提示された、ゆゆゆ関係の情報についてまとめたい。

 

 

おまけエピソード「その後の園子」

まず、本編視聴組が最優先で回収すべきは、電撃G'sマガジン2015年3月号に掲載された後日談「その後の園子」だろう。

本編のその後だけでなく、本編中で一切語られなかったことへの言及がある。特に「あの最終話はなにがあったのだ」という人は、一読推奨である。以下に内容をまとめる。

  • 園子は完全ではないが散華が回復し、讃州中学へ編入。勇者部に入部する。
  • 東郷の記憶はもとに戻った。園子を「そのっち」と呼ぶようになる。
  • 友奈の復活、および散華の回復について、園子は「神が人間の勇気を信じてくれたから」と推測している。
  • 大赦は、壁の外の世界、および四国以外が滅んだ真相を公表することを決定。
  • 勇者システムがアップデートされ、勇者が量産可能に。精霊バリアが消えたものの、無垢な少女なら誰でも勇者になれるようになった。
  • 「外の世界をどうするか」についても少し言及。「種」がキーワードらしい。

これだけの情報が追加公開されている。円盤最終巻特典かよ、というレベル。しかし、友奈についてはかなり言及が避けられている。

内容そのものは、締めの文も相まって「まどマギが進撃の巨人になるのか」という印象だった。

 

電撃G'sマガジン2015年3月号 スタッフ対談

電撃G's magazine (ジーズマガジン) 2015年 03月号 [雑誌]

電撃G's magazine (ジーズマガジン) 2015年 03月号 [雑誌]

 

 「その後の園子」とあわせて、同誌ではゆゆゆ総括特集も掲載された。特集内のスタッフ対談企画では、酒でも入れてるのか、かなりぶっちゃけラインのトークが展開されていた。

「描かれてないだけで友奈には両親いるんすよ〜www」という岸誠二の発言にはさすがに「ふざけんなテメエ」と言いたくなったが、まぁアドオンなので致し方ないだろう。個人的にチェックした要素を以下に挙げる。

  • 構成は最初からカッチリ定めた。
  • ロケハンによって背景美術がかなり精緻になった。
  • 車椅子の移動シミュレーションを徹底して行った。
  • 友奈の帰還について、上江洲は最後まで「成否は保留で」と主張した。でも治るオチにして幸福感が生まれ、結果的によかったとのこと。
  • 大赦の人間が説明するシーン案などもあったが、「友奈たち勇者部の物語」として特化するために切った。いわく「世界観の話は蛇足だと思った」とのこと。
  • 「絵の中で全て答えを提示している」とのこと。このへんの岸誠二の語り口はドヤ顔っぽい。
  • 続編制作をかなりにおわせている。

かなり強調されていたのは、「勇者部の物語に純化させた」という点である。つまり「世界観が〜」「オチの論理性が〜」といった文句を、作品設計段階で遮断させるようになっていたということだ。このあたりは、当ブログのゆゆゆ論とも共通するものだった。

また、以前から円盤ブックレットなどで記されていた、「描いてないだけで設定はある」という説明もプッシュされているように感じた。スタートアップからメディアミックスを意識した結果、製作陣としては「世界観アドオン式」ともいえる作品展開を推していくということなのだろう。つまり、受け手には「未描写設定を回収しにいく」という負担が発生する。この是非については、本記事では脇に置く。

 

オトナアニメ 岸×上江洲 対談 

オトナアニメvol37 (洋泉社MOOK)

オトナアニメvol37 (洋泉社MOOK)

 

 岸誠二と上江洲誠のホモ本ってあるのかな。そんなことを思うくらいセットで駆り出される二人の対談は、『オトナアニメ Vol.37』でも行われていた。

「うどんを食べながら」と記されているが、どう見ても酒がある。ぶっちゃけレベルはG'sマガジンよりも高い。当然ながら内容も濃い。僕がチェックした点は以下のとおり。

  • メインキャラ5人はみんな「いい子」としてデザインされている。
  • 大赦や神樹は「現実社会のカリカチュア」だが、モチーフは別にある。「天の神様」というフレーズがヒントのひとつとのこと。
  • 「勇者部の物語」として特化させたのは、1クールできっちりおさめるためでもあった。
  • 外の世界の滅亡は、規模というより「条理が変わってる」とのこと。
  • 散華は初期案では本当に手足が欠損する予定だった。絵的にグロいのでお蔵入りになったとのこと。
  • 東郷は問題が起きたら自分だけで背負い込もうとするタイプ。
  • 友奈は友人の不幸に対して神経質であり、「過度の気遣い」をするタイプ。
  • この物語がハッピーエンドになることは、冒頭の人形劇で示唆していた。
  • シビアな現代を生きる若者向けに、ハッピーエンドにすることで「人間の力の凄さ」を描いた。「願いについてのお伽話」であるとのこと。
  • 岸誠二曰く「ひとりの女の子を犠牲にハッピーエンドなんて気色悪い」とのこと。
  • 上江洲誠曰く「デビサバのアップデート」とのこと。
  • まとめると、「ゆゆゆはファンタジーの皮をかぶった現実(の暗喩)」である。

総括すると、「俺たちはこういうことを考えてこのアニメを作ったんだぜ」的な「制作秘話」である。「まだみんなが読み解けてないところもあるね」という挑発も感じられる。どこまでも視聴者を翻弄する作品だ。

とはいえ、当ブログの推論と合致する箇所が一定数あった。特に「ハッピーエンドになることは冒頭の人形劇で示したよ」という上江洲の発言は、あまりにもぴったり一致していて空恐ろしさすら感じたほどだ。

G'sマガジンと比較して、ゆゆゆという作品を、どのような思想によって設計していったかより深く言及されている。おそらく現状では、もっとも「ゆゆゆとはなにか」を理解する一助になるだろう。

 

PS Vita『結城友奈は勇者である 樹海の記憶』

気がついたらもう発売じゃねえかふざけんな!(喜び)

ゲーム内容は、バーテックスを片っ端から殺していくアクションモードと、書き下ろしの日常パートてんこ盛りのアドベンチャーモードの二本立てらしい。ギャルゲモード偏重の『GOD EATER』といったところだろうか。ちなみに東郷さんはスティックキー移動不可らしい。

「アクションモードでは満開使い放題」という謳い文句が売りだ。 事前情報によれば、無制限満開はゲーム的仕様ではなく、なにかしらの理由があるとのことだ。本編後半の展開が関係しない方がレアケースと考えるべきだろう。

有力な推論としては、「12話で意識散華した友奈が帰還するまで、友奈が神樹の中で見ていた過去の記憶」というものがある。アニメ本編に大きく関わるとなると、資料的価値が跳ね上がるのだが、はたして。

 

円盤1巻特典ゲームについて

正確には最終話直前の媒体だが、円盤1巻の特典ゲームについてもふれておきたい。

「描かれなかった日常」を存分に見せつける、心を砕かれた視聴者への恵みの雨として注目された公式ゲームだが、その中では「最終話はこうするよ」という暗示が各所に散らばっていたように思う。

要素が多すぎて挙げきれないが、とりわけ問題視される「最後の友奈の勇者パンチ」について、暗示されているポイントを記す。たしか樹シナリオだった。

占いオタクの樹がタロットうんちくを語る場面にて、「友奈の今後の運勢」として「力」のカードについて言及がある。東郷が「このライオンが力の象徴?」と尋ねると、「力は女の人が象徴で、ライオンを鎮めることでそれを示している」と樹が語るのだ。

女性がライオンを鎮める。最終話の友奈 vs 獅子座バーテックスの構図そのまんまである。つまりこの時点で、「友奈は獅子座バーテックスにパンチで勝つよ」と示されているのである。

なお、「力」というタロットの絵には、「無意識の象徴である凶暴なライオンを、女性が素手で鎮める(=本能を制御する)」などの解釈があるらしい。

本編中にて、バーテックスとは「天の神の使い」であり、それを素手で沈めた友奈という「少女」には「力」が確実に存在し、それが作中では勇気や根性と言われたりしているのかもしれない。友奈とバーテックスについては、「その後の園子」でも言及がある。

 

 

以上までが、現状におけるゆゆゆ関係のコンテンツである。

今後登場する、本編中にふれる可能性の高いものとしては、円盤6巻に付属予定の特典ゲームになるだろう。また、円盤のブックレットも、作品に関する証言が数多く載っているので、映像のかたわらで一読してみるのもよいだろう。

後日談や対談に関しては、個人的に思うところが山ほどあったが、それは別の機会に。そもそも、だいたいは過去のゆゆゆ論にて述べているところなので、再掲することでお茶を濁す。