うらがみらいぶらり

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「問題解決システム」としての主人公

主人公とは、多かれ少なかれ問題を解決し、前進する存在だ。主人公の行動によって、作中のなにかしらの問題が解決され、障害を乗り越えていくことができる。そして、その解決性能の高低によって、物語のテイストを決定することができる。

そんな中でも最近は、「解決できないものなどない」と言わしめるほどに強力な解決能力を与えられた主人公が目立っている。事例は数多くあるが、直近の極端な例といえば『魔法科高校の劣等生』の司波達也であろう。ともすれば、彼という存在は「俺TUEEE」という言葉とともに、批判的な文脈で語られることが多い。

「問題解決システム」ともいえるこのような主人公は、しかしながら、最近の作品に特有のものというわけではない。むしろ、主人公の類型としては伝統的なものである可能性が高い。以下では、直近の「問題解決システム」としての主人公を列挙しながら、その特徴や意義について考えていきたい。

 

 

きっかけ:ゆゆゆ円盤特典の証言

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そもそも、「問題解決システム」という単語を捏造してまで、この手の主人公について考えるきっかけとなったのは、『結城友奈は勇者である』Blu-ray2巻に付属する、ブックレット内の上江洲誠インタビューコーナーである。

――最初に中心として決めたキャラクターはいますか?

上江州 東郷ですね。友奈は基準にはできないんです。なぜなら、いろんな問題を最終的に解決することが友奈の役割だったので。物語の謎や展開も含めて核となっているのは東郷なので、東郷を中心に据えて各キャラクターの配置を考えました。

 ゆゆゆ本編を見たことがある人なら、膝を打つ発言であろう。

たしかに、友奈は作中にて、問題解決するために奔走し、解決することで物語を進めている。夏凜の来訪、樹の悩み、風の怒り、東郷の絶望などが物語を駆動させ、それらを友奈が解決してあげることで、ゆゆゆという物語は前進していた。

しかし、友奈自身の問題が物語に関わることはなかった。私生活すら描写を省いていることが、彼女を「解決するためのシステムじみたキャラクター」として見立てられる根拠である。

 

お兄様という解決システム

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問題解決システムの直近の例として結城友奈とするなら、最も顕著な例は司波達也であろう。

「さすおに」という言葉で語られる彼の「最強」っぷりは、単なる調整ミスではなく、この作品のコンセプトとされている。信頼性が微妙だが、Wikipedia内のアニメージュ引用箇所を引用したい。

また、敵が運良く見逃してくれたり「潜在能力が覚醒した」などのご都合展開をタブーとし、最初に設定したことから逸脱しないよう設定を作り込む作風。そのご都合主義のタブーを踏まえ、「幸運に頼らず自分の力でトラブルを踏み越えていく物語」を綴りたいと語っている。

この記述の正誤はともかくとして、揶揄されるほどの司波達也のハイスペックぶりは、実力だけで問題を解決するためにあてがわれた、という見立てが可能である。なるほど、自動完全蘇生+防御無視攻撃+原爆以上の範囲攻撃+存在情報感知 と備えてしまえば、どんな障害だろうと対応可能だろう。レベル50で1人目のジムリーダーに挑めば、なにも心配する必要はない。

こうしたスペックゆえに、司波達也には「成長」という要素がほとんどない。無論であるが、「競り合い」といった要素も皆無だ。そこを糾弾する論調は、テレビアニメ化する以前から存在する。しかし、まさに「解決のための存在」ともいえる彼が、あらゆる問題を解決していくことこそ、魔法科という物語の本質である。成長や競り合いは、最初から主眼とされていないのだ。

そして、このような物語の類型は、なにもめずらしいものではない。

 

「問題を解決する物語」という紋切り

強大な解決能力で真上からぶん殴るような物語は、すでにジャンルとして確立しているものがある。

 

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ひとつは、いわゆる「探偵モノ」である。推理小説や刑事モノで採用されるこのタイプでは、事件という明確な問題を、文字通り「解決」することが、物語として至上目的となる。この目的のため、往々にして「完成された主人公」が配置されることが多い。

わかりやすい例としては『相棒』の杉下右京が挙げられるが、彼が推理能力を高めるために修行することはありえない。彼は「完成された解決者」として、物語を進める役割を担っているのである。

 

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そしてもうひとつは、時代劇の中でも「勧善懲悪」とされるものであろう。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』がその代表格だ。こちらも、様々な問題を解決すること、そのものが物語の目的とされている。

探偵がロジックで問題を解き明かしていくのに対して、勧善懲悪の時代劇では「力」や「権限」で問題を叩きのめす。世にはびこる悪に対し、「将軍」の肩書と卓越した剣術で成敗するか、「この紋所が目に入らぬか!」で土下座させる。圧倒的な正義の力でねじ伏せるシーンは「紋切り型」と言われるほどの定型だが、それゆえに圧倒的な快感をもたらすのである。

そして、徳川吉宗や水戸光圀にも、修行シーンは存在し得ない。彼らは「高貴な存在」として完成しており、彼らが正義のために己の絶大な力を振るうことが要請されているのである。

 

こういった「問題を解決する物語」の流れ、とりわけ「勧善懲悪の時代劇」の血脈を、魔法科やゆゆゆ、もとい司波達也と結城友奈は汲んでいるのではないだろうか。司波達也は、強大な力をテロリストなどをぶっ潰すために容赦無く振るい、完膚なきまでに叩きのめす。結城友奈は、最高の勇者適性から放つ勇者パンチによって、ついには供物を求める世界をも修正してみせる。

これらの物語の主人公は、解決能力という点では完成済みか、容易に完成するように設計されている。いずれの場合でも、問題を見つけては解決してみせるあり方は、極めてシステム的である。

だが、「人間性に欠ける」という批判は効力をなさない。システムに等しい「完成された存在」による問題解決こそが、最大の見どころであり、最大の快楽なのである。

 

問題解決システムの是非について

ただし、たとえ「暴れん坊将軍の流れを汲んでいる」とはいっても、無条件で赦される根拠にはなり得ない。暴れん坊将軍は先発作品であり、後発たる魔法科たちには、「先人との差別化」が求められるからだ。

「あの作品となにも変わってないじゃねーか」と無意識で感じ取ってしまうと、問題解決システムとしての主人公は槍玉に上がる可能性が高い。その際に生じることばが「俺TUEEE」や「主人公無双」といったものであろう。

いわずもがな、劣化と見なされてしまえば糾弾はさらに大きくなる。魔法科に対しての批判常套句として「主人公以外がザコすぎて存在意義が皆無」「主人公以外まともに描かれてない」といったものがある。これらは、「先行作品と比して劣化している」という意識が働くと生じやすい。「主人公が問題を解決し、脇役もきっちり描かれている」というなにかしらの物語を知っていると、異常なまでのスペックを持つ司波達也や、完全な力押しを遂行する結城友奈は、非難の対象となるのである。

 

しかし、上記の問題は「常に他作品との差異を求める」という価値観にのっとった場合に発生するものであり、「同じような物語を求める」という価値観を持てばメリットへと逆転する。

問題解決システムとしての主人公を据えた物語は、「わかりやすく爽快感が強い」という特長を有している。複雑な謎や、心をえぐるような登場人物の葛藤などを排し、ただただ単純な快感を追求する物語は、水戸黄門がいまだに放映されていることからも、需要があることが裏付けられる。ラノベの最強異能剣士と、時代小説の最強剣客は、相似の関係にあるのである。

 

「システム」と呼称されるほどの問題解決能力を持つ主人公は、すでに存在自体が定型のパッケージである。「主人公につっかかるツンデレ」と同じぐらい、テンプレートを呼ばれ得るのだ。そして、この定型をこよなく愛する人がゼロにならない限り、問題解決システムはあり続けるだろう。

 

今期の問題解決システム候補たち

ところで今期アニメには、問題解決システム候補ともとれる主人公で賑わっているような気がする。以下に、完全に個人的な基準で今期主人公を列記していく。

 

・灰村諸葉(聖剣使いの禁呪詠唱)

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今期で最も問題解決能力を有していると思う。十三の頭を持つ九頭の龍を倒したり、漆原家の家庭環境に首をつっこんで静乃を引き戻したり。ついでに戦闘力もまたたくまに頂点に上り詰めている。

彼の特長は、「思い出すことでシステム完成に近づく」点であろう。はじめはおっさんにすら太刀打ちできないが、前世の記憶を思い出すごとに、弩級異端者も蹂躙する力を手に入れる。ある意味では修行の代替要素ともいえる。

 

・物部悠(銃皇無尽のファフニール)

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彼の解決性能も高い。彼がいるだけで、”D”の少女たちはドラゴン化の危機から逃れられるのである。

物部悠は、灰村諸葉とは対照的に「システム完成に近づくと記憶を失う」という点である。原作がどうなっているかは不明だが、「システムとしての完成」が「人ではなくなる」なるならば、「人間性に欠ける」というシステムの特性を描いているといえるだろう。

 

・吹雪(艦これ)

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5話が非常に顕著だ。これまでへっぽこ新人だった彼女が、あまりにバラバラな第五遊撃部隊に放り込まれて、旗艦として唐突に開花するシーンは、シリアスな笑いすらもたらしただろう。

とはいえ、ここまでの全話を通して、ある程度は解決役として奔走している傾向はある。2話と3話は「自身の成長」という解決を成し遂げ、4話は塞ぎこむ睦月という他者を救っている。そして5話の立ち回りと、問題解決システムとしては一歩ずつ前進している。「鎮守府のエース」という解決者として完成する物語が、アニメ艦これの見所なのかもしれない。

 

※界塚伊奈帆(アルドノア・ゼロ)

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アルドノアをあまり見ていないので正確なことを言えないが、「イナホくん無双」という感想がどこかから聞こえてきたし、劇中の活躍まとめを見る限り、その解決性能は極めて高いといえるだろう。

彼の場合は、桁外れの知識と解析能力がウリである。その上「感情がないのでは」と言わしめるほどの冷静さを併せ持つ。いわば「知識と解析に特化した司波達也」ともいえるスペクを有するが、使用機体は低レベルである。このギャップが、アルドノアの見どころといえるだろう。

 

それぞれを見ていくと、同じ「問題解決システム」という方向へ向いているものの、微妙に差別化をはかろうとしている印象を受ける。問題解決システムを万人向けへ近づけるには、先人との差異化が必要となる。いままさに、システム差異化への取り組みがなされていると言ってよいだろう。