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冴えない彼女の観方 〜不快さとサイコパスと冗長さの解釈〜

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ひさしぶりに大学時代のサークルに顔を出すと、とうの昔に大学を卒業したOBたちでにぎわっていた。いわゆるキモオタサークルなので、集まれば「今期のアニメはどうですか」という話題に自然となるのだが、うちの場合は「おもしろいアニメ」よりも「クソアニメ」に話題が移りやすい。そして自然と、話題の中心は「冴えヒロ」の話になり、「学習の必要があるね」として、録画してあった4話までを視聴することになった。

「冴えヒロ」こと『冴えない彼女(ヒロイン)の育てかた』は、このブログではうっかり取り上げ忘れた、今期放映のラノベアニメである。KADOKAWA一門の中でも、ノイタミナ枠という異様なプッシュをされているこの作品をめぐり、インターネット横丁では賛否両論の激戦が繰り広げられている。

「四大」とシンデレラガールズ、それにISUCAと艦これにうつつを抜かし、追い逃した「話題の作品」を最新話まで視聴する機会に恵まれたので、昨今の「冴えヒロ論壇」とも絡めながら所感を以下に記したい。

 

 

不快(クズ)な主人公の捉えかた

「冴えヒロ」の根幹を為すのは、いわゆる「オタクあるあるネタ」であり、それっぽいかっちょいい言い方をするなら「メタフィクション」である。

その「オタクあるある」をとりわけ地でいくのが主人公・安芸倫也である。ラノベを読み、フィギュアを飾り、「三次元に興味はないしクソ」と言い、ラノベアニメ感想ブログを更新し、挙句の果てに「俺は最強のクリエイターになる!」と言って白紙のゲーム企画書とにらめっこするなど、「オタクなら経験し得ること」を思い出したくないことを含めて丁寧に実践する。昨今よくある「オタクな主人公」を先鋭化させた、CV松岡である。

この主人公、とにかく「クズ」という要素が槍玉に挙がる。彼自身は、ラノベをブログで紹介して売上をアップさせる、アルファブロガーとしての才はあるのだが、クリエイター方面への才能は皆無に等しい。それでいて、彼を好いてると思われる金髪ツインテハーフ売れっ子エロ同人作家黒髪ロング黒スト現役JK売れっ子ラノベ作家に対し、ひたすら「俺の望むギャルゲを作るために人肌脱いでくれ」と迫ってくる。さらに、彼がゲーム作成の原動力とした地味な少女に対し、「お前は地味じゃない、キャラが死んでる」などの上から目線トークを畳み掛ける。「才能はないクセに人をこき使い上からものをいうクズ」として、とにかくヘイトを向けられやすいのが、安芸倫也の特徴だ。

このヘイトの度合いだが、おそらく創作サイドに身を置いているほど高まりやすい。とりわけ、この主人公が目指す「同人作品」という領域に身を置く人には、「同人をバカにしてんのか」「テメエふざけたことぬかすな」という怒りに駆られるだろう。というのも、彼自身が「同人市場はよく知らねーけど好きなもの出せるんだろ?」的なノリで「創作公開の場」として認識しているフシがあるため、一度でも現場を知っていると許せない気持ちになる可能性が高い。

しかし、そうではないなら「よくある青臭いオタクの愚行」として、メタ的視点をもってギャグとして捉えられるだろう。「このキモオタ、どうしようもないこと言ってるな〜」程度の態度で見れれば、冴えヒロは一定の視聴基準に達し得る。「オタクあるある」として小馬鹿にできる物語としては、極めて需要が高い。

ただし、安芸倫也と似たような経験をした身だと、ヘタすれば同人経験のある人よりもヘイトが高いだろう。「実際にモノを出した経験の非存在」は、かつて創作者を志したオタクほどコンプレックスになりやすく、安芸倫也は「かつての自分」のリプレイとして、ひたすらに殺意が湧くものと化す。

 

才ある彼女(ヒロイン)の映りかた

本作の中心となるのは、「地味で影が薄く誰にもおぼえられない」という、モブキャラを露骨に設定化したような加藤恵というヒロインであり、彼女をいかにヒロインにするかが物語の焦点となる。

そのために集められるのが、「金髪ツインテハーフ売れっ子エロ同人作家」こと澤村・スペンサー・英梨々と、「黒髪ロング黒スト現役JK売れっ子ラノベ作家」こと霞ヶ丘詩羽である。作中では「ドクズの安芸を下半身で好いているために惰性で彼に振り回される才能あるかわいそうなヒロイン」という描かれ方をしているが、よくよく見ると、このヒロインたちも真っ当とは言いがたい。

安芸倫也には才能がなく、この二人には才能がある。しかしながら、この才能を前提として「クリエイターあるある」を展開したり、あるいは純粋に安芸倫也を小馬鹿にしてくる。はっきり言えば、「ひたすらムカつくことを言うヒロイン」の類型である。

この手のヒロインはめずらしいものではないが、多くは対になるように常識のある主人公を置くことが多い。それに対し、冴えヒロは主人公が最も高い不快係数を叩き出す。つまるところ、冴えヒロという物語は「癪に障る連中が群がってなにか言ってる話」と映り得る構図なのである。この極端な構造が、本作に対し「不快」という感想を漏らす原動力になっているのではないだろうか。

もちろん、そこがある意味のツッコミどころではある。これをツッコミポイントとして効率よく消費できるかが、冴えヒロを楽しむ上ではひとつの基準点になるだろう。

 

冴えない彼女(サイコパス)のありかた

その上で、作中とにかく「地味」といわれる加藤恵の話をするならば、3話での彼女は相当異質、というより「異常」ともいえる。

3話終盤で、企画書が上がらず茫然自失とする安芸の前に、「安芸ウケするデザイン」として金髪ツインテがデザインした服をまとい、「安芸ウケする動作」を黒ストラノベ作家が演技指導した加藤恵が現れ、「私を最高のヒロインにしてください」と激励するシーンが入る。初見並の感想としては「これ1巻のラストかな?」だ。

しかしながら、大して思い入れのない男に対し、オタクウケする衣装とオタクウケする演技で「私を最高のヒロインにして」と言うのだから、その精神性が「地味な普通の人間」であるはずもない。しかも、「家族旅行を途中でほっぽかした」と言ってのける。クズのアスペオタクたる安芸倫也もさすがに狼狽する彼女の動向は、狂気の沙汰と言っても誇張ではないだろう。

この挙動を「ラノベヒロイン特有のもの」というメタ視点で見れば、加藤恵は「フィクションから抜け出てきた存在」という解釈も可能だが、それができない場合はサイコパスという判定をせざる得ない。表向きの異常者は安芸倫也だが、真の異常者は加藤恵である可能性がある。冴えヒロとは、「アスペ気味のキモ・オタクが、マジモノのサイコパスに惚れて人生を狂わされる物語」としても見ることができる、ということである。

なお、3話の当該シーンにおける加藤恵の衣装は、個人的な感想としては純粋にかわいいと思った。というのも、カスタムメイド3Dで「あらん限りシコりたい」と思った時、おのずとあんな格好にしているのだ。あの服というより、フリルつきニーソ。フリルつきニーソとはほぼほぼエロゲの文脈における存在だ。

 

冗長な会話(セリフ)の生まれ方

瑣末な要素として、冴えヒロはとにかく視聴体感時間が長い。「情報量が多い」という意味ではなく、「語りが冗長」ということである。

登場人物がどれをとっても「めんどくさいタイプのオタク」である以上、その語り口が長ったらしく、この記事のように、やたらひねってくるものであることは、当然の帰結である。オタクという要素で判定しないならば、「わるい西尾維新」といったところである。

ただし、この「冗長なセリフ群」を文章化すると、結構な情報量としてむしろ好意的に捉えられる可能性が高い。「音声の冗長さ」は退屈さを産むが、「文字の冗長さ」は場合によっては魅力となり得る。「冗長」は語り口次第で「饒舌」となり、その成功例として森見登美彦が挙げられる。セリフを聞く限りの印象として、冴えヒロのセリフは文章映えすると思われる。それがラノベアニメ化まで到達できた原動力なのだろう。

しかしながら、それをそのまま映像化して好評価になるとは限らない。『化物語』映像化の際、「映像化不可能といわれた作品の映像化!」というキャッチが上がったが、あれは「映像化(すると原作特有の言葉遊び満載な会話劇が死ぬという意味で)不可能」だったという解釈もある。冴えヒロが「映像化した途端破綻する作品」であったとしても、不思議ではない。

 

4話までの感想のまとめかた

総合的に見て、4話まで見た感想は「おもしろいところがひとつもない」というものだった。その虚無っぷりは、『アブソリュート・デュオ』第1話を超えてくるものだった。

このため、「おもしろいところが皆無なので、主人公のクズ性を持ち上げるか叩くか」で、視聴者はなんとか消費しようとしているのではないか、というのが僕の見解である。「おもしろいクソアニメ」として四大やISUCAがあるとすれば、冴えヒロは「不快なクソアニメ」であり、「いや、そうではない」という逆張りをしたいという気持ちにかられると、「クズっぷりがおもしろい」「クズとして描くのが本筋でありそれを叩くのはおかしい」というスタンスが生まれるのであろう。

「不快なクソアニメ」とは最悪の部類であり、クソアニメ愛好家であっても、なるべく避けたいものである。そして「不快さ」を取り除ける手法があるなら、建設的前進としてもてはやされるだろう。冴えヒロは映像の(シャフト的)高品質さも相まって、「中身のどうしようもない不快さ」を、いかに無毒化できるか、がひとつの焦点となっているフシがある。それは「アニメを楽しむ」というより「いかに災害に立ち向かうか」というトラブルシューティングであり、外野から眺めた際のエンターテイメント性は頂点に君臨し得る。

ひとつだけ言えるのは、「自分はオタクである」という自覚があるならば、冴えヒロはぜひ視聴するべきであろう。「自分はどんなオタクであるか」が、一瞬で浮き彫りになるからだ。「オタクのリトマス紙」としての価値は、冴えヒロの存在意義として後世に語り継ぐべきであろう。