うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

ライチュウ小説

 少年は一人っ子だった。

 兄妹姉妹はおらず、両親はともにポケモン研究家で、家を留守にすることが多かった。物心ついた頃にはすでに、大きな家の中でいつも一人っきり。ベビーシッターがくることはあれど、丸一日家族と会わない日も珍しくなかった。
 5歳の誕生日に、両親は一匹のピカチュウを連れてきた。父は「私たちからのプレゼントだよ」と言った。母は「今日からあなたの友だちよ」と語りかけた。
 その日から、少年はひとりぼっちではなくなった。ただ、その小さな黄色い体を、なぜかそこまで好きになれなかった。

 

 ある日、少年は机の上に見慣れない石が置いてあるのを見つけた。
 手に持ってかざしてみると、透き通った翡翠色の中に黄色のギザギザが走っており、でんきタイプのマークみたいだ、となんとなく考えた。
 その時、右足にピカチュウが飛びつき、驚いた少年は石を手から離してしまった。
 石は落下し、ピカチュウの頭にぶつかる。
 いけない、と少年が思った瞬間、ピカチュウは強烈な光を放つ。
 発光する小さな体は、瞬く間に倍の大きさとなっていき、耳や尾の形状も変わっていく。光が減じていくと、そこには小さな黄色い電気鼠の姿はなく、大きな橙色の生き物がいた。
 兎のように大きな耳、電気コードのように細い尾の先には稲妻状の物体。電気袋と呼ばれる器官は赤から黄色に塗り替わり、唯一原型を感じられる瞳は、少年の足元から胸元まで位置が上げていた。「ラァーイ」という聞いたことのない鳴き声に、少年は言い知れぬ心の高鳴りを感じた。
 ピカチュウだった生き物の手が伸び、少年の体にふれる。丸みを帯びたその手はこげ茶に染まり、朝ごはんに食べたパンを思い起こさせる。
 少年も、両手を橙色の体の背後まで伸ばし、そのまま抱き寄せてみる。やわらかなぬくもりが、少年の体の中に流れ込んでいった。
 後に、少年はあの石は「かみなりのいし」と呼ばれるもので、父が研究用に買ってきたものだと知った。ピカチュウを進化させるものであることも、父に教えてもらった。そして、ピカチュウは進化して、ライチュウというポケモンになったと教わった。
 これが、少年がはじめて目の当たりにしたポケモンの進化だった。
 この日をきっかけに、少年はポケモンに興味を持ち始めた。父にポケモンの本を見せてもらい、母にいろいろなポケモンの話を聞いた。そしてライチュウは、やがて少年にとってかけがえのない友だちになっていった。

 

   *  *  * 

 

 時が経ち、少年は10歳になった
 少年はポケモントレーナーになろうと決意していた。一生懸命勉強し、ポケモン取扱免許を一発習得。晴れてポケモントレーナーへの道を進むこととなった彼は、すでにパートナーを決めていた。修行の旅に出る朝、少年の隣にはライチュウの姿があった。
 最初の道路で、少年は生まれてはじめて野生のポケモンに出会った。
 飛びかかるポッポ、コラッタ。思わず体がこわばった時に、ライチュウは少年の前に立った。電撃が走り、野生のポケモンがなぎ倒されていく。ライチュウの背を見て、少年はポケモンバトルを学んでいった。
 ある洞窟で、ライチュウは深い傷を負った。じめんタイプに電気技は効かない。それでもライチュウは、素手で立ち向かった。弱々しい息になったライチュウを、少年は別のポケモンに交代させ、キズぐすりで丁寧に治療した。「大丈夫、もうすぐ出口だよ」と言い聞かせ続けた。
 ある森の中で、少年とライチュウは野宿をした。
 はじめて会った時と比べ、少年はすっかり大きくなり、すっかりライチュウを見下ろす背丈になっていた。抱きかかえられるくらいの身長差。だけど、膝の上に乗せて頭をなでる様子は昔と変わらない。
 しかし、変わったこともあった。
 先端が丸みを帯びた尾っぽの稲妻が目に飛び込み、反射的に少年は生唾を飲む。5年来の付き合いになるこのライチュウはメスであることを、最近になって知った。
 そのことを知って以来、”彼女”への見方がほんの少しだけ変わった。頼もしい相棒なのに、見つめて、体を寄せ合うと、鼓動が早くなった。
 ライチュウの体を、めいっぱい近くに抱き寄せる。
 三日月のような耳がピクリと動く。明るいオレンジの体毛は、色違いと呼ばれる希少種のものではなく、彼女固有のものらしい。背中を優しくなでてやると、愛くるしい声を発し、満月のように丸い顔が満面の笑みを浮かべる。
 暖かな感触を全身で味わう。時間が、とてもゆっくりと流れていく。
「僕は、君のことが」
 自分と彼女しかいない空間で、少年の口から、積み上げてきた想いが顔を覗かせる。パートナーといるこの瞬間が、なによりの幸せだった。
 風が木々を揺らし、枝葉が波のように音を立てる。
 たき火が照らす大小の影が、ゆっくりと一つになっていく。
 満月の照らす夜、少年は11歳の誕生日を迎えた。

 

 翌日、少年とライチュウは森を出た。一歩一歩、軽快に前へ進む姿は、今までと変わることのない光景。だけど、一つだけ変わったこと。
「次の町はもうすぐだよ、サヤ」
 少年の声に、パートナーは元気よく鳴き声を返した。
 サヤ、という名前をなぜ思いついたのか、少年自身もよくわからない。ただ、彼女を見ていたらなんとなくその名が浮かんだ。そして、その名を彼女もまた、すんなりと受け入れた。
 サヤという名を与えられたライチュウと少年の間に、もう距離はない。ふたつの手は、固く結ばれていた。
 サヤの方を向いて、少年に顔に笑みがこぼれる。そんな少年を見て、サヤもまた笑顔を作る。トレーナーとポケモン、そんな垣根はどこにもない。朝日に照らされた道を行く二人の影は、どこまでもつながっていた。

 

   *  *  *

 

 月日は流れる。
 少年は18歳になり、立派なポケモントレーナーへと成長していた。各地のジムを勝ち抜き、若干12歳でポケモンリーグを制した彼は、今や世界でも指折りのトレーナーとして名を馳せていた。様々な大会で好成績をおさめていくその傍には、やはりサヤの姿があった。
 少年とサヤの組み合わせは、「心がシンクロしている」と評されるほど神がかり的なものだった。少年の意図をサヤは瞬時に察知して行動に移し、サヤの様子を見て少年が的確な指示を送る。普通のトレーナーとポケモンのはるかに上をいく連携は、ついに公式試合で100戦全勝を記録した。
 彼らを褒めたたえ、「最高のトレーナーとポケモン」と呼ぶ人がいる一方で、過剰ともとれる愛情表現を槍玉に挙げて批難する者もいた。
 彼はそれを否定しなかった。試合後のインタビューでサヤにキスをし、「僕の生涯のパートナーです」と堂々と言った。真っ直ぐにカメラを見据えて。

 

「なぁ、ちょっと控えた方がいいぜ?」
 ある試合が終わった後、少年の友人が言った。なんのことかと尋ねると、呆れたような顔を向けられた。
「サヤとの、そのなんだ、あんまりイチャつかない方がいいぞ? ポケモンなんだからさ」
 ほぼ反射的に、友人の胸ぐらをつかんでいた。
「ポケモンだからなんだっていうんだ!」
 大きな声で、周囲にいた人が一斉に少年の方を向く。友人をつかみ上げた右手は、震えていた。
「俺とサヤはずっと一緒にいた! ポケモンだからなんだ! お前なんかが口出しするんじゃねえ!」
 一人称すら変わるほどの怒声を、他ならぬ少年自身、聞いたことがなかった。
「わ、わかった、わかった」
 友人の声はおびえきっていた。
「すまん、謝る、ごめん……」
 目には薄らと涙が浮かぶ。とっさに少年は友人を解放した。
 自由になってもなお謝り続ける友人を前に、少年は自身の右手を見つめる。急に、自分自身が怖くなった。かすれるほど小さな声で、友人に「ごめん」と言い続けていた。

 

 その夜、宿泊先のポケモンセンターに戻った少年は、簡素なベッドの上で考えた。
 自分は狂っているのか? 異常なのか?
 何度も同じ問いを繰り返した。しかし、答えを出すことができない。
 少年にとってサヤは、単なるポケモンではない。パートナーなのだ。10年以上の付き合いに、異常など見出せない。
 その考え自体が異常なのだ、ということは薄々感じている。だが、それを認めたところで、どうしろというのだ? 自分がサヤに対して、ライチュウというポケモンに対して愛情を向けることを否定して、では今までの自分の人生はなんだったのだ?
 怖かった。自分とサヤを否定することが。
 ラァイ、という馴染み深い声が聞こえる。
 突っ伏していた顔を上げると、サヤが隣にいた。
 薄暗い部屋の中でも、自分を気遣うような顔をしているのが少年には分かった。ひどい顔をしているのかもしれない。少年は無理をして両頬を吊り上げる。だが、サヤの表情は変わらない。
 憂うような瞳が胸に突き刺さる。それは、私も同じ気持ちだよ、と言っているのかもしれない。
 そんなパートナーの頬に、少年はゆっくりと手を差し伸べる。かすかな静電気がてのひらを走り、やわらかな毛が指先をくすぐる。
「大丈夫だよ、サヤ」
 自分たちは、変わらないんだ。
 今までも、これからも、僕らは、ずっと一緒だ。
 迷いはない。異常だろうと関係ない。自分とサヤは、どんな壁だって乗り越えていける。泣きそうな彼女を見て、そう心に固く誓った。
「僕は、サヤが好きだから」
 最愛のパートナーの体を抱きしめると、想いに応えるように、小さく短い手が少年の背に回りこむ。
 ラィラァィ、という小さな鳴き声が耳に響く。少年の顔に自然と笑みがこぼれる。
 ゆっくりとサヤの頭を枕に乗せ、その上に少年は覆いかぶさる。
 一つになるように、溶け合うように、ふたつのカラダは混ざり合っていく。
 衣擦れの音が、優しく部屋の中に流れていった。

 

   *  *  *

 

「いやぁー、この子はすばらしい能力の持ち主だ! こんなにすごい子は見たことないよ!」
 バトルタワーの一角、ジャッジは嬉々とした声を上げた。
 両手に抱えているのはピチュー。産まれたてだと言って、少年が連れてきた。彼の左足には、サヤが寄り添うように立っている。
「しかし、まさかサヤに産ませるとは。君のことだから、そんなことはしないと思っていたよ!」
 冗談めかして笑うジャッジに、少年も同様に笑い返す。
「まぁね。だけど、最高の相手に出会えたからね」
 足元のサヤに目を向ける。打ち合わせをしたかのように、サヤがウィンクする。
「それはよかった。大事に育ててあげるんだよ!」
 そう言って、ジャッジはピチューを返す。両手に収まる小さな顔は、寝ぼけ眼であくびをしている。
「もちろん。僕らが、大切に育てていくさ」
 少年はしゃがみ、産まれたての命を母に渡す。安心したようにピチューが抱きつく。

 

 我が子を抱いたパートナーは、誇らしげに笑っていた。

 

 

 

 

※本作は、2012年6月20日に、Twitterにて #ライチュウ小説 タグをつけて連続投稿したものを、再編・修正したものである。