うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

ビビッドパンチに祝福を 〜ビビオペ2.0としての「結城友奈は勇者である」〜

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 ついに「結城友奈は勇者である」が最終話を迎えた。

結論から言えば、この物語は間違いなくビビオペ2.0だった。

最終話で放たれたビビッドパンチが、みんなを幸せにする。ハッピーエンドへ導くための最強のパワープレイ。かの「ビビッドレッド・オペレーション」のような落とし方をもって、この物語の幕引きがなされたのである。

このような事実をもって、ゆゆゆはビビオペ2.0であった、と断言することができる。そして同時に、これは失望や侮蔑ではなく、祝福をもって与えられる称号であることを付言しなくてはならない。

ビビッドパンチを問い直した先に、なにがあったのか。最終話から明らかになったゆゆゆという物語の全容を紐解いていきたい。

まちのこえを見ると

まず、最終話を見た人々の最新の声を見ていると、この終わり方は賛否両論に近いが、どちらかといえば賛成が多いように感じる。

そもそも、ゆゆゆは11話時点で「咲き誇れ(やめて)」「いかなる時も生きて(切実)」などの、生存を求める声がやたらと目についた。おそらく命を落とすよりも、夢を断たれたり、死ぬよりもむごい仕打ちだったりするのが、心に堪えたのだろう。特にヘレン・ケラーと化した夏凜に対しては哀れみの声があふれていた。

絵柄を変えたドラッグ・オン・ドラグーンのような状況の中で迎えた最終話で、ビビッドパンチにより勇者部は帰還を果たす。それどころか散華による障害も回復する。即座とはいかず、リハビリも要したようだが、それでも彼女たちは日常の世界へ戻ってくることができたのである。「死地からの生還」に対し、「ご都合主義でもこの終わり方でよかった」という祝福を送る人は、少なくともビビオペより多いだろう。

あらためて全体から考えると、ゆゆゆは日常から始まった物語だ。まどマギのような、不穏な世界からスタートはしていない。この時点で、「この物語はこういうスタンスです」という意思表示がなされているのだ。そして、普通はよほどのことがない限り、この宣言を守る。ゆゆゆは12話を通して、冒頭の人形劇が行えるような世界へ戻ってきた。その一貫性は作品として正しい在り方である。

 

代償を得たビビッドパンチ

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最終話にて明確に認識できるビビッドパンチは、獅子座バーテックスを殺すために放たれた一撃だろう。まさに「とどめに放たれた拳」であり、障壁を破りながら敵のコアを砕く描写は、奇しくも園崎未恵カラスを殴殺したビビッドレッドのビビッドパンチを連想させる。

その究極のビビッドパンチの直後、友奈は一切の意識を失い、植物状態となる。車椅子で運ばれる廃人友奈から、マインドクラッシュされた海馬瀬人を思い出したが、それはどうでもいい。問題は、ビビッドパンチを放った後にこの症状があらわれたことだ。

ビビオペ最終話を思い出してほしい。ビビッドパンチを放った直後のあかねとれいはどうだったか。ピンピンしていたはずだ。直後に「全部元に戻してくれるって!」とかいう茶番をやる元気すらあった。大顰蹙を買って今でもネタにされるほどの盤面返しをやっても、二人は無傷だったのである。

対して友奈のビビッドパンチは、彼女一人で放たれた。それはそこまで問題ではない。合体しているとはいえ、ビビッドレッドは単独のユニットである。ビビッドパンチは単体でも十分に実行され得る。しかし、先にも述べた通り、ビビッドパンチ後の友奈は満身創痍を通り越して植物人間である。これはすさまじい代償だろう。その上で、彼女がなんとかしたのは「散華の機能喪失は回復しない」という仕様だけであり、結界の外はなんとかできなかった。ビビッドレッドのビビッドパンチとくらべて、なんとコスパが悪いことか。奇跡には違いないが、宇宙創成の光には程遠い。

ゆゆゆにおいて、ビビッドパンチは極めてスケールダウンされた状態で移植されている。そう判断できる材料が、1話の勇者パンチである。冒頭の人形劇で「勇者パンチ」と改名し、同じ名前のパンチをバーテックスに食らわせることから、「ビビッドパンチは所詮お伽話である」という主張が読み取れたのが1話だ。実在しない奇跡に対し、彼女たちは幻想を抱かない。それゆえ信仰もガタ落ちし、ビビッドパンチの効力は落ちているのである。

効力の落ちたビビッドパンチの強化には、ゆゆゆにおいては「なにかの欠損」が必要であると作中で定義されている。5話の満開ビビッドパンチで巨大御霊を倒すには、彼女自身の味覚が失われている。その味覚とは、彼女の「日常を謳歌する主体」という仕様を破壊する行為であり、一定の物語では自身の存続が困難になる。「ビビッドパンチと引き換えに日常から遠ざかる」というのが、ゆゆゆにおけるビビッドパンチの仕様なのだ。

だからこそ、「獅子座という最大の驚異を倒す」「勇者部のみんなを日常へ還す」という二つの奇跡を呼び出すにあたって、友奈は「日常を謳歌する主体」そのものを手放し、ビビッドパンチを強化する必要があった。キャラクターとして復帰できない代償をもって、限りなくハッピーエンドへ接近できたのである。

もっとも、このビビッドパンチによって「勇者部のみんなを日常へ還す」が実現した以上、勇者部の一員たる友奈も復帰を果たす。4人と比べて遅れたのは、4人全員が健常者レベルまで回復し、本当の意味で「日常を謳歌できるキャラクター」に戻れるまでが、上記奇跡の内容だからだろう。なお、4人の障害がすぐ回復しないのも、ビビッドレッドのビビッドパンチに比して効力が弱いからだと推察される。

 

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ちなみに、先ほど「明確に認識できるビビッドパンチ」とファイナルビビッドパンチを呼んだが、対して見落としがちなビビッドパンチもある。東郷さんへのグーパンである。

残り1話でゆゆゆをたたむには、早々に東郷を籠絡させる必要がある。しかし、最終話冒頭の友奈と東郷は「忘れないよ!」「忘れちゃうよ!」の千日問答を繰り広げる。対話で分かり合うには時間がかかる。ならばビビッドパンチで方向修正だ! そんな暴力的思想で放たれたのが、友情グーパンと化した対人調整ビビッドパンチである。そして、東郷の状況に介入した反動か、「東郷を押して歩く」という日常謳歌機能をリリースしたためか、友奈の両足が散華して動かなくなるのである。

 

「行って帰ってくる物語」を目指して

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もし、ゆゆゆがまどマギのフォロワーだとしたら、物語の途上で死人が出るだけじゃなく、その終わらせ方も同一であるはずだ。鹿目まどかは最終話で変身し、そのまま人間として物語には戻ってこない。人間サイドから神的サイドへ行き、そのまま帰ってこない物語である。

このような特殊性が、魔法少女という媒体の上で、ダークファンタジー的な空気の中から創出されたことが、まどマギの最たる特徴であり、社会現象まで上り詰めるほどバズ・コンテンツとなった原因だと思われる。

しかし、物語の基本とは「行って帰ってくる」とよく言われる。壮大な旅に出たら、必ず帰ってくる。神話をはじめとした、様々な物語の類型に採用されている、ともすれば陳腐と言われるほど基本的な要素である。

ビビオペは、ブルーアイランドを中心にした日常から、アローンとの戦いの日々へと旅立つ物語である。その結末は、あかねたちにとってはもとの暮らしへの帰還、れいにとってはもとの世界への帰還で締められている。この二つの帰還を成功させるために使用されたのがビビッドパンチであり、その強引さが今でも語り草になっているのである。

そしてゆゆゆは、勇者部の日常から、勇者としての戦いへと旅立つ物語だった。日常を謳歌する機能を失いながら、その最後に友奈以外の4人はもとの身体に回復し、犠牲になったと思われた友奈もリハビリを経て健常者に戻り、学園祭で演劇をやることができる日常へと帰還している。さらに、この結末に至るために用いられたのは、友奈は捨て身で放ったビビッドパンチであった。

もうお分かりだろう。ゆゆゆはビビオペと同じ構造を持ちつつ、その途上で多くのものを失い、奇跡の効力も弱まるという試練を与えられながらも、最後にハッピーエンドへと至る物語ビビオペ2.0なのである。ビビオペにはなかった数々の苦難を追加することで、ゆゆゆは「日常の尊さ」と、「ビビッドパンチを使っても適切な状況」を発見し、我々にひとつの可能性を見せてくれたのである。

このような在り方は、まどマギの逆張りともいえる。自己犠牲によって世界を救うことも、英雄的行為である。だがそれは、多を救うためなら死をも厭わない聖者的思想であり、「生きたい」という人間の根源的欲求とは相容れないものだ。まどマギが時代の寵児となる中で、「やはり生きたいと願うべきだ」という声が生まれ、それがビビオペとなり、いまこうして「結城友奈は勇者である」という物語として形を為したのである。

苦難の果てに奇跡はある。ご都合主義でも構わない。みんなが幸福に生きていることが大切だ。

ビビオペ2.0とは、残酷な物語があふれる現代に与えられた、日常を祝福する物語なのだ。

 

そんなことを思いました

とにかく、ゆゆゆには「行って帰ってくる物語」になってほしいと切に願っていて、記憶を失ってでも友奈が東郷たちを救って、やがて帰ってくることを期待していた。理想だろうなと思った流れは、こんな感じである。

・友奈、「自分の存在そのもの」を代償に宇宙創成満開
・アクエリオンの要領で宇宙創成勇者パンチを放ちバーテックス殲滅、新たな神樹に
・存在を対価にしたのでみんなの記憶からも消える
・「忘れない!」的なことを行って友奈消滅
・友奈によって勇者システム改良。散華で失った身体機能が回復するように
・東郷らの障害も回復
・東郷含めてみんなの記憶から友奈は忘れられる
・勇者部は散華した勇者たちの支援組織を立ち上げる
・十数年後、保養所的な場所に一人お務めを終えた勇者が来たと、管理人の東郷に園子が知らせる
・迎えに行くと、車椅子に乗った少女がいる。これが改竄後のシステムで存在が帰ってきた友奈だが、記憶と歩行機能だけ復帰していない
・東郷も友奈のことは記憶にないが、潜在意識でおぼえているので無意識で涙が流れる
・その涙を拭って(1話友奈の対比)東郷が「お務めご苦労さま」「名前聞いてもいい?」と聞く
・少女が「結城友奈」と名乗って物語が幕を閉じる

 要は「帰ってくるまどマギ」である。この予想、3割くらいは当たっていた気がするので、とにかく気持ちが良かった。特に散華で足が動かなくなったシーンは思わずガッツポーズしたほどだ。

とはいえ、行って帰ってくる物語と言ったはいいが、本編をよくよく深読みすると「友奈は戻ってきてないのでは?」という疑念が生じる。あの最後の立ちくらみシーンである。「あの瞬間に樹海化が発生し、友奈はバーテックスと戦ったのでは?」という仮説が、放映後にどこからか寄せられたのだ。

2周して見たが、「ごめーん!ちょっと立ちくらみ」の言い方、その前の「うーん…根性で!」の言い方が、1話で右手を震わせながら東郷に「大丈夫だよ!」と言ってのけた場面に近かったような、ないような。バイアスがかかった状態なので、正しく見れないのがつらい。

この仮説や、4人が真っ先に回復した理由などを考えるにあたり、気になる点があった。

・東郷、風、樹、夏凜が押し返すと巨大な花が出現する

・ファイナルビビッドパンチ前の満開時、友奈の背後のエフェクトが蝶に見える

・満開した友奈は4人とは真逆の方向から突撃する

この3点を総合すると、あのファイナルビビッドパンチのシーンは「蝶の受粉」がモチーフになっているのでは、という仮説が生じる。受粉された4人は、花が散った後に実がなる。それが後遺症の回復につながったのだろう。

では、受粉を行う側の友奈は、なぜ回復が遅れたのか?

同じくファイナルビビッドパンチシーンだと、御霊を破壊する寸前のカットも、友奈を精子、御霊を卵子と見立てて、「受精」を連想させるものだ。バーテックスとの素手接触が、最後の最後でなにが起きたか。立ちくらみとつながりそうな気がしないでもない。

友奈についての考察は、かなりの分量になると思われるので、やるとしたら別の機会に。

 

ゆゆゆは最終話をかなり説明スカスカ構造で作ってある。そのおかげか、いろんな掲示板で様々な考察が練られている。スカスカ構造にして当時のオタクの批評精神を煽り立てたエヴァの手法に重なる。末恐ろしいが、もしかするとゆゆゆはこれからさらに盛り上がってしまうかもしれない。

とはいえ、そんなことを抜きにしても、あんなゲキヤバ状況からよくここまで持ってこれたなと、ただただ感心している。それも主人公を一番ヤバイ状態に叩き込んだところが、ビビオペよりも真に迫るものがあった。予想と噛み合ったとはいえ、とにかく好みに合致した結末だった。

とにかく、最終話は友奈の圧倒的「神格」に惚れた。あふれんばかりの主人公力であり、近年まれに見るほど良い女主人公だった。彼女の「神格」についてもいろいろ書きたい。というより、書くべきことが多すぎるのだ。

そしてなにより、問い直しの果てに「ビビッドパンチの祝福」が待っていたことに、僕は強く感動した。あの時、宇宙創成の光にうっかり涙を流した自分は、決して間違いではなかったのだと実感させられた。容易に新シリーズへ転び、不穏設定が生まれそうな終わり方になったが、今はここまでたどり着いた勇者部一同を祝福したい。