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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

タイムラインが大衆居酒屋から新宿ゴールデン街に変わった時

今から5年前、僕はひっそりとTwitterを始めた。

当時は高校の知り合いを2人ほどフォローし、片方がやたらツイートしているせいでTLが埋まっていた。その光景を前に「なんだこりゃ」と思って1ヶ月ほど手付かずだったが、その後徐々に高校の知り合いを増やしてバランスをとり、自分もつぶやき始めるようになった。

やがて趣味の合う「リアルのつながりがない人」もフォローし始め、フォローもフォロワーも段々と増えていった。大学2年のころには、趣味の話題と高校同期の近況報告、そして両者の益体もないつぶやきであふれるようになった。よくあるTwitterのハマり方である。

その過程で、僕はTwitterをなにかに例える発言を何度かしている。Twitterを開始して3ヶ月目くらいに、僕はこんなことを言っていた。

 

「Twitterって、なじみの居酒屋みたいだ」

 

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まさにこの写真のように、タイムラインは僕の目に映っていたのである。

なじみの居酒屋。それは通いやすい場だ。そこには高校時代の友人がいるし、趣味の話題で知りあった人もいる。時々旬の肴(=RTされてきた話題)が出されるし、テレビ番組が始まればみんなで見ながらワイワイ騒ぐ。そういった大衆居酒屋のような、にぎやかな活気が当時の僕にとってのTwitterだった。

 

今年で僕のTwitter歴は5年になる。始めたころにすでに3〜4年目のフォロワーがいたが、もはやそれすら越してしまっている。立派な老害だ。

今の僕の目には、自分のタイムラインはこう目に映る。

 

「ここ、新宿ゴールデン街じゃねえか」

 

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かつては、みんな同じ店内で同じ飲み物を片手に騒いでいた。しかし今や、僕のまわりの人は、小さくとも立派な「自分の店」を構えるようになっている。

店の外装も、内装も、メニューもジャンルも異なる、無数の店が密集する空間。アド街なら「ディープな雰囲気のただよう」と形容する呑み屋ストリート。僕のタイムラインは大衆居酒屋から、新宿ゴールデン街になっていたのだ。

こういったお店は、とにかく店構えからしてオーラがすごい。おもわず入店をためらってしまうほどである。よって多くの人は、噂を聞く(=RT越しに見かける)にとどまる。しかし、思い切ってその扉をくぐる人(=フォロー、リプライ)もいる。場合によってはそこの常連になるだろう。それだけ話題がディープすぎるし、アングラなのだ。

おもしろいのは、このゴールデン街、店主同士がお互いの店を出入りすることも珍しくない。その時のノリは、実は大衆居酒屋時代の名残が残っていたりする。僕もたまにリプライを飛ばし合う時、ノリとしては非公式RT会話時代を思い出していることがある。

 

かくいう僕も、おそらくこのゴールデン街の一角に居を構える店の一つになっているような気がする。今はもっぱらゆゆゆ料理をふるまっている。

もうあの大衆居酒屋には長らく戻っていない。別の居酒屋の前を通り過ぎることがあるが、あの喧騒がどうも落ち着かなくなっている。戻るのは難しいのではないだろうか。

それでも大衆居酒屋で知り合った人とは、今でも関係が切れてないこともある。そういう人とは、もっぱら向こうからこちらを訪問してくれるパターンが多い。完全に出不精である。そして中には僕と同様に店を構えている人もいる。

もっとも、ゴールデン街に店を構える人は、お客さんをもてなすことを忘れていないだろうし、僕みたいなディスコミュニケーションのかたまりと比べるのは失礼だろう。ただ、肩と肩を密着させてにぎわうのではなく、自分の位置を定め、自分のスタイルを決めてTwitterを続ける人たちへの印象は、「居酒屋の常連」ではなく「ゴールデン街の店の店主」なのである。

そして、僕が未だにTwitterに張り付いている理由は、そんなゴールデン街じみた空間がどうなるか眺めていたいからなのかもしれない。

 

人によって、自分のタイムラインが「大衆居酒屋」と「ゴールデン街」のどちらであるかは変わるだろう。しかし「どちらがいいか」という話にはならない。好きな酒場は、人によって違う。

ただ、「自分がいまどちらにいるか」、そして「どちらが好きか」を知っている方が、酒も会話も弾むにちがいない。