うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

魔法少女の正道と外道

先日投稿したゆゆゆ記事の執筆中に感じたのは、「風先輩は自分を中心に回っているなぁ」ということである。

これは決して自己中心的ということではなく、「身内を精一杯大切にする」という、とても人間的かつ現実的な欲求がある、ということである。このような人は、身内に害をなす存在は排斥しようとするだろう。

9話時点で、風にとって大赦は「妹の夢を奪った敵」であり、もはや壊滅させる以外に選択肢はないのである。しかし、大赦側に立とうとする夏凜、そして「勇者」たろうとする友奈に阻まれる。この時、風は寝返りというよりは暴走であるため一概には言えないが、風と友奈・夏凜の対峙構図は「悪と正義の対立」に見立てられる。しかし前述したように、風の行動は「妹を思う姉」としては当然の行いですらある。そうでなくてはサム・フィッシャーは生まれない。

風の前に立ちはだかった友奈は、「誰かがやらなくちゃいけない」「それが勇者だ」と説いた。「世界(≒全体)のために自分を捧げる」という思想は、典型的な「正義」の思想であり、(包括的な言い方だが)魔法少女としては正道に位置する。そして友奈が正道にいるなら、対立した風は外道にいるとも言える。

「魔法少女の正道と外道」は、単に「正義と悪」に置き換えられるものではない。そして近年の魔法少女は、正道と外道の対立や移行を描いているように見える。

 

 

ヒョーロンめいた話で魔法少女を語る場合、どう転んでも現在はまどマギを抜かして語ることが難しくなっている。

そして実際、まどマギはステレオタイプな魔法少女像と比べると、利己主義だったり破滅的だったりと、だいぶ逸脱している。これはよく言われることだ。さやかは「男に恋して狂ったマヌケ」と言われるし、ほむらは宇宙規模のサイコレズとして認知されている。

ただ、「人間としてどうだろう」と考えた場合、わざわざ魔法少女になって手を治したのに別の女に取られたらそりゃメンがへラるだろうし、超あこがれた友だちの死を回避できるなら時間を巻き戻してやり直すだろう。大切なものに全てを捧げ、その他は目を向けない。そんな視野狭窄は、完璧じゃない人間なら誰だってあり得ることだ。

でも魔法少女は往々にして「街を守る」だの「世界を救う」だの、すごいマクロな視点を持っていることが多い。言い換えれば聖人君子であり、あるいは愛国者的なのかもしれない。ただ、本来の魔法少女とは「女児から女性への成熟」を戯画化しているものであり、こうした世界を守るヒーローとしての側面は、おそらくだがセーラームーン以降に発生した文脈なのだろう。鹿目まどかはたぶん、サリーちゃんやアッコちゃんの子孫ではない。

 

セーラームーンは、魔法少女とも言えるがバトルヒロインとも言える。バトルするヒロインなので、まぁ男性ヒーローの血が混ざることは避けられない。その血が色濃くなったのがたぶんプリキュアだ。それが男性向け文脈に入ってリリカルなのはになり、そこへ虚淵があれやこれや輸入したものがまどマギであろう。

「自分を優先する魔法少女」という類型が主軸に据えられるようになった、というのがまどマギの最大の功績だと僕は考えている。そして、そのノリが最近だとラノベに持ち込まれて始めている。

『魔法少女育成計画』は自分の命を守るために魔法少女たちが殺し合う話だったし、『非公認魔法少女戦隊』はオフィシャルな使命の後も金のために活動する魔法少女がメインヒロインの話だった。「他人や街なんぞ知るか、私は明日を生きるのに精一杯だ」と唱える魔法少女がわんさか出てくる。「魔法少女でやる必要ないな」という話を魔法少女でやることで新奇性が生まれたように見えるのが、現在の状況かもしれない。

これらの魔法少女は、従来の魔法少女としては外道に位置する。けど、魔法少女というジャンルじゃなければ、むしろ「人間的だ」と言われてもおかしくない。思うに、外道の魔法少女とは人間なのである。そのあり方は、普通の魔法少女よりも僕らに近い。

さやかの評価が真っ二つに割れるのもそのためだろう。魔法少女として見ればさやかはNGだが、悲恋の人として見れば「しょうがないよね…」と同情することもできる。CV担当のキタエリも「一番リアルな女の子」と評しているようなので、この「リアルな女の子」像をどう受け止めるかは人それぞれだろう。

こういった外道に立つ魔法少女は、単体の造形としてもちゃんと考えるべきだが、物語的に重要になるのは「正道と外道の変遷」であろう。『魔法少女育成計画』のスノーホワイトは、最後の最後で「気に入らないやつをぶっ倒す」という外道になったし、外道スタートだった『非公認魔法少女戦隊』のほのかは、1巻では最終的に世界を守る立ち回りをすることとなる。いわんやまどマギは正道と外道と行ったり来たりすることもザラだ。この変化が最も注意深く見るべきポイントであろう。

 

立ち返ってゆゆゆである。友奈は正道、風は外道、そして東郷もまた外道に位置する。

しかし風がさやかみたいにオタクに露骨に嫌われてる、というわけでもない。まちのこえを見る限りでは、むしろ9話の行動には同情的意見が多い。これは話の組み立てられ方がそのようになっていることもあるが、「自分の周りで精一杯の変身ヒロイン」というものを我々はすでに認知し、その在り方に強烈な違和感を抱くことも少なくなっているのが大きいだろう。

むしろ友奈に対して「不気味」という意見すら見かける。これは10話まで彼女のプライベートが全く描かれておらず、その上で実に正道らしいことを唱え続ける姿が、あたかもシステムめいて映るからだろう。「分解すると『大赦』になる」という説もまことしやかに語られるぐらいである。しかしそれを抜きにしても、あまりに聖人すぎると「人として不気味」となるという気持ちが、視聴者の内にもたらされていることは興味深いだろう。同様の感情はまどかにも抱かれていたとは思われる。

そして最大の外道に位置するのが東郷であると、10話で明らかになる。事情が事情だが、よりにもよって「世界を破壊する」という選択をとるあたり、ほむらに匹敵する逸材であろう。もっとも、彼女がかつて鷲尾須美という勇者として戦った「2周目のプレイヤー」であり、5人の中でイレギュラーであることがその原因であるが。

ゆゆゆにおいて、魔法少女の正道・外道は「どちらかが正しいわけではない」だけでなく、「どちらにも十分に同情できる」という設計になっているのが特色だと思われる。風の暴走も、東郷の選択も、ゆゆゆという物語を追っていれば十分に「仕方ないね」と思えるようになっている。個人的には、この設計にできたのも美樹さやかと暁美ほむらのおかであると思っている。もちろん言い過ぎである。

残り話数でどのように落としていくかにもよるが、ゆゆゆでかなりイーブンに描かれた魔法少女の正道・外道は、今後このジャンルで見逃せない要素になるかもしれない。そして、イーブンになるということは、いずれひっくり返る可能性もある、ということである。外道の魔法少女が「人間として正しい在り方」である、という解答が物語から提示される日も、そう遠くないのかもしれない。

 

あまりにも取り留めがない。とはいえゆゆゆがまどマギと異なる位置に着地できれば最高なのだが。あとは外道がハッピーエンドに至る魔法少女がとにかく最近見たいというのがある。ゆゆゆがそれに至れば御の字。浅学の身なので、すでにそういう作品があるのに知らないって可能性もあるが。

そもそも最近ラノベにやたら魔法少女モノが増えたり、マンガにも増えたりしているのが、個人的にはワクワクするところなのである。それもこれもみんなまどマギのせいであろう。「正道・外道」のような新しい基軸を魔法少女ジャンルに生み出したのがまどマギの功績だと思っているし、このジャンルが多様化するきっかけになったのなら、まどマギは素晴らしい作品なのだろう。どんなジャンルにも、起爆剤は必要だ。