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問い直されるビビッドパンチ ~ビビオペ2.0としての「結城友奈は勇者である」~[2014/11/8 追記]

 f:id:wasasula:20141104223352p:plain 2014年秋も3分の1クールを回りきった。みなさまもそれぞれプッシュする作品を決定し、仁義なきポジショントークを繰り広げている頃だろう。
 巷では「クロスアンジュ」のハチャメチャ具合に喜ぶ人、「GF(仮)」で声優溶解液に浸かる人、「プリパラ」で女装チンポが確定したことで熱狂する人、などで賑わっているが、僕がいま一番熱いと感じているのは他でもない、「結城友奈は勇者である」である。

 結論から言えば、僕はこのアニメに対し、あの伝説的災害「ビビッドレッド・オペレーション」と同じオーラを感じ取った。しかし、「結城友奈は勇者である」(以下、「ゆゆゆ」)はビビッドシステムの生き写しであっても、双子の妹ではない。ゆゆゆとは、ビビオペのフレームを踏襲しつつも、その是非を問い直す(ように見える)意欲的実験作なのである。
 以下、ゆゆゆ4話までを視聴した段階においての、ゆゆゆの意義と展望を考察する。

 

 

ビビッド戦士は勇者へ至る

 まず考えるべきことは、「ビビオペフレーム」とはなにか、である。
 ひとつは構造面の話である。ビビオペとゆゆゆにおいて、メインの登場人物は「4人の女子中学生」である。ビビオペは一人ずつ仲間になり、ゆゆゆは最初から「勇者部」という組織でまとまっている、という違いはあるが、舞台の中心に立つのがゆるゆりじみたJC4人組という点で共通している。そして彼女たちは、世界の存亡をかけて、巨大な敵と戦うために変身する。ゆるゆりっぽい日常パートと、エヴァっぽいと言えば全国のエヴァオタク500万人がブチ切れる非日常パートで構成されている。このような構造を「ビビオペフレーム」と定義する。
 そして、ビビオペフレームのもう一つの特徴は「映像のダイナミズム性」である。ビビオペを語る上で外せないものといえば、2話のドッキングである。「それ以上にトマトだろ」という指摘は真実だが、ダイナミズムという点で初ドッキングシークエンスは無視できない要素だ。「二人がドッキングしてファイナルオペレーションでアローンが死ぬ」。あまりにもシンプルな展開は、様式美あふれた必殺技モーションによって視聴者に叩きつけられる。「うおおおおお!」と叫ぶことができたなら、あなたは立派なビビオペ戦士である
 そんなビビオペのダイナミズム性は、ゆゆゆ1話においても顕現する。タイトルにもその名が冠せられた主人公・結城友奈は、バーテックスという使徒の亜種を前に、友だちを守るために「勇者」に変身する。その変身直前、彼女は生身の姿でスマホを片手に使徒亜種へ向けてダッシュする。1話で高所恐怖症を克服してタワーから飛び降りる一色あかねほどではないにせよ、「友だちを見捨てるようなやつは勇者じゃない!」で生身ダッシュするのはかなりヤバい。しかし、ビビオペよりも論理的な展開に見えるし、トリニティセブンを観た直後なら「そうだそうだ!勇者じゃない!」と深く納得してしまうだろう。

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 そして変身シーンに移るのだが、この初回変身は今どきめずらしい段階変身である。その1段階目、プロテクターに包まれた左手でパンチである。もう一度言う。パンチである。思い出してほしい。ビビオペの最後を飾ったファイナルオペレーションはなんだったか。宇宙創成の光、ビビッドパンチである。
 さらに両足も変身し、跳躍とともに髪が変色&変形し、コスチューム装着が完了する。そしてそのままの勢いでバーテックスに一撃を喰らわせる。その名も「勇者パンチ」だ。繰り返す。「勇者パンチ」だ。これをビビッドパンチと呼ばずしてなんと呼ぶか。このシーンをもって、結城友奈はビビッドレッドの生まれ変わりであると、視聴者は気付かされるのである。事実、全力の勇者パンチによってバーテックスに大穴を開けた後、「私は、勇者になる!」と見得を切るシーンをもって1話は締めくくられるが、このダイナミズムはファースト・ファイナル・オペレーションにも匹敵する力強さを感じるだろう。
 以上の2点から、ゆゆゆはビビオペの骨子を継承した、ビビオペフレームの作品であることが理解できるだろう。ゆゆゆがビビオペと異なる点は、ビビオペよりはシナリオに気を使っているところに集約される。それはトマトをはじめとするビビオペのアクを薄めたことに他ならないのだが、裏を返せばビビオペよりすんなり受け入れられるのである。

 

継承され、問い直される「パンチ」

 前項にてことさらに強調したのが「パンチ」だった。ビビオペを傑作かつ大災害たらしめた究極の要素といえば、最終話で園崎未恵カラスにぶっぱされたビビッドパンチであることは、ビビオペをさらりと聞き流した人にも知られていることだろう。その「パンチ」を1話にて繰り出す。結城友奈単体とはいえ、その一撃は使徒もどきに風穴を開けるほどである。勇者パンチとは、継承されたビビッドパンチなのである。
 この事実が示すことはなにか。それは「パンチの意義を問い直す」ことに他ならない。
 古来より、クライマックスをパンチで締める物語は多く存在した。ケンシロウがラオウにとどめを刺したのはただのグーパンであり、ジョナサンがディオにとどめを刺したのも炎をまとったグーパンだった。パンチ締めは長らく少年漫画のヒーロー特権だったが、近年はヒロインにもパンチを放つ権利が与えられてきた。「ハートキャッチプリキュア」は、合体したプリキュアによるパンチで悪の親玉を浄化することによって、物語の最後を飾った。そしてビビオペとはまさに、「パンチによって締める物語」の典型例であり、おそらく直近の代表作である。
 パンチによるクライマックスは、有無を言わさぬ納得を誘発し、「この物語は素晴らしかった」と視聴者に「わからせる」終わらせ方である。無上のカタルシスによって大団円を作り出すこのメソッドは、しかし、ともすれば「安直」と言われかねない方法でもある。ビビッドパンチが未だにネタにされる原因はここにある。「てめーここでパンチ出して逃げる気かよ」という「拳(いかり)」。機械仕掛けの神のグーパンは万能ではない。慎重に空気を読んで放たなければならないのである。
 そんな賛否両論パンチの後、ビビオペは1年経って結城友奈として再び生を受けた。しかし彼女は、ビビッドパンチを最終話までとっておくという選択をしなかった。ビビッドパンチを「勇者パンチ」とあらため、1話目に放ったのである。なぜなら、結城友奈は「パンチが万能とは限らない」ということを知ってしまったからである。だからこそ彼女は1話目にパンチを繰り出し、自らと我々に問いかけるのである。「パンチとは是か、非か」という問いである。結城友奈が目指すのは、「万能のパンチに頼らない4人組の結末」なのである。
 ここで、結城友奈の1話冒頭を思い出し(見てない人は今すぐに見るべきだろう)てもらいたい。ゆゆゆは勇者部による人形劇によって幕を開ける。劇の内容は「勇者がわるいことをする魔王と戦う」というものである。この劇中では、勇者が魔王を殺すことなく、勇者パンチによってノックアウトし、改心させることで幕を閉じる。つまり、死人が存在しない物語である。振り返ってビビオペは、トマトトマト言ってる間にモブがイージス艦ごと蒸発するが、主要人物は一人も死なない。誰も死なずに全てが解決する、まさに勇者部の人形劇がごときハッピーエンドである。
 これは邪推でしかないが、この冒頭人形劇こそ、劇中劇化したビビオペではないだろうか。勇者部たちは、ビビオペを人形劇として幼稚園児の前で演じることで、「ビビッドパンチはお伽話でしかない」ということを我々に提示しているのである。そして同時に、自分たちの住む世界にビビッドパンチは存在せず、ビビッドパンチによる解決も見込めないことを、彼女たちは理解しようとしているのである。そして結城友奈は、人形劇でアドリブで繰り出した「勇者パンチ」を、勇者となった自らの一撃として名づける。それは、ビビッドパンチによる解決を願ったのではなく、「ビビッドパンチはお伽話」という自らの認識を確認するための行いである。
 お伽話のパンチには頼れない。そんな認識を裏付けるかのように、勇者一行には一撃死スレスレの戦闘と、容赦無い死亡フラグの束が迫り来る。4話の露骨なまでの犬吠崎死ぬ死ぬアピールは、「この世界にビビッドパンチはない」という事実を否応なしに突きつけてくる。そんなハードモードな物語の上で、「勇者」の名を与えられた自分たちに何ができるか。その結末にもパンチを使えるか否か。ゆゆゆは、「無敵のパンチ」を与えられた少女たちが、その是非を再検討する物語なのである。


と思う

 基本的に5話で犬吠崎姉妹のどっちかが死ぬか再起不能になるかを前提としたおはなしです。どっちもケロッと生還したら全部ひっくり返るし、もし友奈が勇者パンチで二人を助けたら僕の拳(いかり)がディスプレイにたたきつけられます。
 しかし、2話非日常回、2話日常回という流れときてるので、現状はどちらにも転べる設計になってるんですよね。このあたりずるいというか。そのせいで現状はどっちつかずだけど、「どっちにいくかわからん」ってのが本来の物語な気もするんですよね。近年は一貫性がもてはやされ、これからももてはやされて然りなんだけども、宙ぶらりんなコウモリみたいな物語も悪くない。
 余談だけど、BGMが「ニーアレプリカント」を手がけた岡部啓一氏なせいで、ゆゆゆからは濃密な「死ぬ」匂いを感じるんですよね。そのせいで「ハードモードビビオペ」みたいな表現を使ったところがある。でもニーアの最後に待つのはおおむね「救済」だし、パーフェクトバッドエンドにはならないんじゃないかな。友奈が自らの存在を生贄にして世界を救うとか。でもそれじゃまどマギからなにも進歩しないというアレ。やっぱりバーテックス化したデューク東郷三森すずこを「楽にしてやる」かな(天邪鬼)

 

[追記 2014/11/8]

 5話観ました。はい。この記事がまるごと全て裏目に出ましたね。手近なディスプレイにひとつ拳(いかり)をぶつけました。

 ただ、「ビビオペ2.0」という言葉は決して間違いではなくて、というのも「次の段階」としての2.0ではなく、「要素のさらなる強化」としての2.0だった、ってことなんですよね。ゆゆゆ4話時点まではどちらにも転べるようにできていたけど、この記事もどちらに転べるようにしてあったと(姑息)

 予想以上に食わされたのが、「満開」はレベルアップシステムじゃなくて、DMCの魔人化やファンタシースターのナノブラストみたいな、強化フォームシステムだった点でした。このあたりは自分の見通しが甘かった。「ビビオペ2.0」ならどっかしらでドッキング相当のなにかが出てくるはずなんですよね。でも4人一斉に来るとは思わなかったし、東郷さんがミーティアを持ちだしてくるとは思わなかったし、まさか宇宙空間でビビッドパンチするとは思わなかったです。

 まぁ2話でいきなりドッキングするよりかは、多少なりとも日常を挟ませて、人間関係を申し訳程度に描いた後の方が、まだ満開の妥当性が担保できるんですよね。その意味でも「ビビオペ2.0」なのかもしれません。より正確には「ビビオペ ver2.0.0」でしょうか。というか「本来あるべきビビオペの姿」を見れたような気がして、僕はすごい幸せですよ。

 にしてもこの後どうするんだろうね。バーテックス2周目に突入かな? バーテックス化勇者登場かな?