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うらがみらいぶらり

チラシの裏のアーカイブ

小栗旬の顔がわからない

DIARY

人には向き不向きがあるとはいえ、顔をおぼえられない人は一定数存在する。もちろん、名前をおぼえられない人もいる。

僕は、顔はおぼえられるが、名前をおぼえられないという失礼なタイプである。しかし、顔さえ認識できれば、二人称を使ってコミュニケーションをとることができる。二人称会話を重ねていくことで、将来的に名前をおぼえようという作戦で日々生きている。

そんな記憶能力を持つ僕にとっての天敵はなにか。筆頭として挙げられるのが、テレビに映る芸能人だ。

 

アニメに肩入れし、「俳優なんて知らぬ」と開き直る方も多いだろう。しかし、僕の場合はアニメに入れ込んでいるわけでもないのに、「俳優が分からない」と言っている人間である。開き直りよりタチが悪い。

ただし、名前はおぼえている。そのため、次のようなことがしばしば起きる。

 

「小栗旬の顔が出てこない」

 

小栗旬の名前は知ってるし、有名な男優であることも知っている。しかし、「小栗旬の顔」だけは、どうしても出てこないのだ。真っ先に思い浮かんだのは、綾野剛の顔だった。

他にも、次のような俳優は、なかなか顔が出てこない。

 

「『相棒』で一瞬だけ見た、成宮寛貴」

 

『相棒』に出ていることは知っているし、成宮寛貴に変わってから初回の『相棒』も見た。だが、頭に出てくるのは及川光博の顔なのである。

もちろん、とっさに思い浮かぶ顔もある。玉木宏、向井理、妻夫木聡、そして綾野剛あたりは顔と名前が一致する。彼らと小栗旬の差は一体なにか。

この理由はすぐに分かった。顔がとっさに出てくる俳優は、出演作をちゃんと観ているのである。

玉木宏なら『のだめカンタービレ』、妻夫木聡なら『天地人』と、意識的に観ていたドラマに出演していたのである。逆に、小栗旬と成宮寛貴の代表作は知らない。

つまり、人間は「意識的に見よう」と思わなければ、人の顔をおぼえられないのである。そして、意識的になにかを見ることは疲れる。ドラマを1時間見続けることは、ほとんどの場合苦行だ。よほど好きで観ているか、1年くらい放映していない限り、俳優の顔はおぼえられないのだ。

 

さて、俳優の顔以上におぼえるのが難しい人びとがいる。声優だ。

声優の顔をおぼえる必要などあるのか。現代においては、おそらく「YES」である。そのように売り出しているのだから仕方がない。

もちろん、顔をおぼえている声優は存在する。杉田智和の顔は「あれね」とすぐ思い浮かぶ。田村ゆかりも同様だ。彼らは、声優の露出が高く、かつ自分が意識的に見た経験があるから、記憶に残っている。

だが、次のような声優は、顔が記憶に残っていない。

 

「どっかのブログで画像を一瞬だけ見た、津田美波」

 

津田美波は『ゆるゆり』のころから知っている。『ゆゆ式』では何度も何度も声を聞いた。

しかし、「津田美波の顔」はおぼえていない。かろうじて頭の中にイメージは浮かぶが、それは三上枝織かもしれないし、大坪由佳かもしれないし、大久保瑠美かもしれない。そのくらい、「津田美波の顔」は印象にすら残っていない。

これは、津田美波が登場から間もないこと以上に、僕が津田美波を意識的に見ようとした経験がないことが大きいだろう。津田美波を意識的に見る機会があれば、きっと「津田美波の顔」を記憶することができる。

逆に、次のような場合はおぼえている。

 

「生で動いているのをチラッとだけ見た、西明日香」

 

実物の西明日香が動いているのを、肉眼で見たことがあるのだが、その時は一発で「西明日香の顔」を記憶できた。

なにも『きんいろモザイク』フリークだからではない。この時に見るまで、そもそも西明日香の顔を見たことがなかったのだ。

 

人間はいつ、どこで、どんな人と遭遇するか分からない。もしかすると1回しか会わない人がいるかもしれない。その1回で記憶するためには、常に意識を働かせる必要がある。そして、常に意識が働いている人は、どこかで成功を収めるのだろうと思う。